「 わたし には 音楽 だけしか ない 」 ・・・
「 わたし には スポーツ だけしか ない 」 ・・・
「 わたし には 仕事 だけしか ない 」 ・・・
などの ように ・・・
「じぶん には ○○ だけしか ない」
と 思って いる 人が
たくさん いる ・・・
そして
「それら」 の 「ほとんど」
が
「その人」
の
「健 康」 を 「条 件」
に
「成 立」
して いる ・・・
でも ・・・・
人は 「必 ず」 いつか
「健康 を 失う」 ・・・
その時
「その ような 人」
は
「当 然」
「音 楽」 も 「スポーツ」 も 「仕 事」 も
「失う」 ・・・
そして 同時 に ・・・
「そ こ」 から 「先」
の
「人 生」
も
「失 う」 ・・・
だから
「健康 で なければ 成立 しない」
「生きがい」
は
とても
「危 険」
だと 思う し ・・・
それに
「じぶん」
が
「健康 で あること」
で
一番
「都合 が よい」
のは
実は
「じぶん 自身」
では なく ・・・
「じぶん」
の
「まわりの 人たち」
なん だと いうこと も
知って おいた 方が
よい と 思う ・・・
今 「じぶん」 は
「たまたま」 「偶 然」
に
「健 康」
な だけ ・・・
基本
「じぶん は 生きてる だけで 十分 価値が ある 」
・・・ って
「そ う」 思って
「生きて」 いたい ・・・
それに ・・・
「 わたし には ○○ しか ない 」
って
「じぶん で 言ってる 人」
に 限って ・・・
案外
「たいした ことが ない」
ことが 多いし ・・・