「これでもか!」に「負けるもんか!!」

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

 

 

父が最期を迎えたホスピスのことは テーマの『ホスピス』に17まで書いてます。

 

今回は書くつもりだった18を書こうと思います。

 

 

 

この続きです。

 

「もう少し長くいらしてもらいたかったですね。」

 

看護師長さんにそう言われたことも驚きました。

 

どんな病院でも病院というところは 患者さんには早く良くなって出て行ってほしいものだし 「また 来ますね!」なんて言ったら「もう 来ないでくださいね。」って言われるようなところでしょ?

 

でもホスピスは病気を治して退院させる場所ではなく ホスピスにいる間は その患者さんは『生きている』ということなんだ と改めて看護師長さんの言葉を嚙み締めました。

 

 

 

そして 葬儀屋さんの寝台車が到着して ストレッチャーに乗せられた父の後をついて入り口を出た私は息をのみました。

 

入り口から寝台車のところまで両脇に先生や看護師さんやスタッフの皆さんが整然と並んで立っていてくださったのです。

 

この日 出勤している方全員なんでしょうか とにかくたくさんの人が両脇に一列に並んで父を見送ってくださるのです。

 

もちろん 私は涙涙でしたが ふと見たら隣に立っている叔父も泣いていました。

 

こうして 父はたくさんの方に丁寧に見送られてホスピスを後にしたのでした。

 

 

 

 

これでホスピスの話は終わるのですが 余談として・・・

 

父を家に連れて帰った後 集まった親戚に一緒に帰ってきた叔父がホスピスの話をしたようでした。

 

私は台所にいたのでその様子は見ていないのですが叔母が「ちょっと!驚いたわ!」と言いながら叔母が台所に入って来たのです。

 

何を驚いたんだろう?

 

「ウチのパパったら ホスピスを出た時のことをみんなに話してたんだけど 泣いてるのよ! 自分の親が死んだ時だつて泣かなかったのに!」

 

ああ 叔父はホスピスの玄関でも泣いてたもんね。

 

私も父の実の兄弟でもない叔父さんが何で泣いてるの!?って「???」だったもの。

 

「感動したんだって!亡くなった人をあんな風に送り出してくれるなんて見たことないって。」

 

確かにあれは感動的でした。

 

 

ちょっと長くなったので 次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回のブログは父のことになる予定ですが 父の最期のことは『ホスピス』に書いたのでそこを読んでいただこうと思っています。

 

・・・が 今 読み返したら最後を書いてなかったことに気が付きました。

 

あれを書いていた当時 きっと忙しくなっちゃったんでしょうね(言い訳ですが)。

 

なので 次回は 『ホスピス 18』を書いておこうと思います。

 

 

 

 

それと 『ホスピス』を読んでいたら 『怒涛の4年間』の文字が小さいことが気にかかりました。

 

やっぱり 読みにくいですね。

 

次回からこの文字の大きさにします。

 

そして もっと簡潔に書けないものか・・・模索中です。(多分無理だけど)

 

 

 

 

 

 

 

被害者のYさんのお店には私一人で何回か行き ケガの状態やら今までのお店の経営状態やらを聞いた。

 

お店はYさんが一人でやっていて他のアルバイト等の人件費は発生しないと聞いて ちょっと安心。

 

Yさんはお客さんが「おばちゃん、焼き鳥ちょうだい!」「はいよ!ちょっと待っててねー!ビールは自分で出してね!」

 

という会話が想像できそうなくらいフレンドリーで加害者の親である私とも世間話をしてくれるような人。

 

こんなことがなければ 私もお客さんとして焼き鳥を食べに来たかったわ。

 

 

 

もちろん 事故の補償の話は ちゃんと話し合ったけど 何度目かの訪問の時 次回はYさんの息子さんも同席すると聞いて緊張が走った。

 

Yさんはフレンドリーな人だけど 息子さんは?

 

親がケガを負わせられて店を休まなきゃならないようにさせられたのだから 何を言われるか・・・。

 

もしかしたら いろいろな経費を上乗せさせられるかもしれない。

 

それも覚悟しておかなきゃ!といろいろなシチュエーションを想像していたのだけれど 息子さんはきちんとした人で店の帳簿も持ってきてくれて 一日の売り上げとかいろいろ説明をしてくれた。

 

ヘンな想像をして申し訳なかったなぁと反省。

 

そして 休んだ日数とか治療費とか いろいろ私の目の前でちゃんと計算しくれて 補償の金額を提示してくれた。

 

それは 我が家でも支払える金額で ホッと胸をなでおろし 後日 息子と夫と3人で支払いに行き 息子の自転車事故は終わった。

 

 

 

本当にYさんも息子さんも普通のいい方々でよかった。

 

実は この数年後に義父がコンビニで接触事故を起こし その相手が・・・所謂 ガラの悪い人・・・で 事故を起こした夜に「これから先輩と一緒にそっちに行くからよ! 金を用意して待ってろよ!」みたいなことを言ってくる人だったんですよ。

 

それは もちろん 保険会社の人が間に入ってくれる事案だったため すぐに保険屋さんに連絡して 何事もなく終わったんだけど 結局 相手が金額に納得せず 一年くらいもめたらしい。

 

「もめたらしい」 というのは それ以降は保険屋さんに 我々は一切相手と会わないでくれ と言われていたため保険屋さんからの時々かかってくる連絡で知るぐらいだったのでね。

 

この義父の事故なんて ほんのちょっとゴツンとぶつかっただけだったのにね。

 

 

 

そういえば 息子の自転車事故のすべてが終わつた後 すぐに夫が鼠経ヘルニアで10日間入院手術したのを思い出した。

 

我が家から とても行きにくい場所の病院まで 私は毎日のように通って大変だったんだけど こんなこと忘れちゃうくらい大したことないと思ってしまうくらいいろいろあった我が家なので 『怒涛の4年間』には入れずスルーします。