日に日に 己が進化してゆくにつれ 世界のありよう
心のありよう 様々な変化がみうけられるようになりました
人 物 意識 感情 食 そして己という個人に ほとんど
興味がなくなり
全てにおいて あっても良いし なくても良い
そう思えます
とりわけ 食事への概念を崩壊させてからは 脳が覚醒しているのを
感じずにはいられません
大気 自然 オーラ DNA あらゆる匂いを感じます
そんな感じで ここに来られる方が 何を求めているのか 今朝
感じたことが 一つありましたので 今こうして書いております
多くの方が 言の葉は理解していても 実際に体感してはおりません
誰もが仏の教えを知っていると言います
しかし それは 知性(自我)が知っていると言っているにすぎないのです
体験してこそ 真の理解となります
悟りの世界 目覚めを知った人は よく ありのままでとか ただ在るという
言の葉を耳にするかと思いますが その意味が 咀嚼できていません
あなたは そのままで完全です
何者にもなろうとしないでください
こう言われても いまいち分かりません
ですので 少し 分かりやすく表現してみます
我々は 人間として 多くの自我がありますから 何事にも無意識に
判断をしてしまいます
否定する己の心が 哀しみや苦しみをうみだしています
何か 己にとって 辛い出来事が起きたとします
ありのままでいるというのは この辛いと思う出来事を 体験することです
ここで 多くの人がとる行動は 逃げることです
辛いので気晴らしに 誰かと逢うことや お酒を飲んだり喫煙したり エステへ行ったり
これが 何かになろうとする瞬間なのです
もう一つ簡単な例でいいますと
お部屋で読書をしていると 近所の子供が 家の前でサッカーを始めました
それは もう 騒がしく 本の内容など はいってきません
あなたは その内いらいらするかもしれませんし
すぐに その空間から 立ち去って出かけるのかもしれません
この状況では 騒がしい中に ただいるという 行動のみが
あなたのままで ありのままでいる
そういう意味です
騒がしいとか 辛いと思うのは あなたの心なのです
そう思うから そう思う現実が 瞬時に創られてゆくだけです
人は 判断する上で 楽しいことは良くて 厭なことを排除してしまいます
それが ありのままでいることが 出来ない原因なのです
それだったら 人生 つまらない・・・ と言われそうですが
つまらないとかいう気持ちも自我です
ただ 世界の法則を受け入れる勇気があるか ないかだけです
我々は 元々が 完全な神でした
不自由を体験してみたかった ただそれだけです
世界が深層心理で繋がっていて 脳が少ししか使用できなくて
意識が現実を創造するというゲームを 自分自身で創り 自分自身が
ゲームの中へ入ったものですから 全てを忘れてしまっただけです
この世界を体験しつくしたら 目覚めるようになっていたのです
自我世界を満喫した者は 自我の放棄を選択していますよね
しかし そうした選択をしていない人も 強引に そうなるように
人生で大きな出来事が起きていると思います
日常の中で 楽しい 嬉しい 哀しい 悔しい あらゆる感情が起きたとき
冷静に なぜそう思っているのか 観察者を24時間 配置してゆくと
どんどん この世が 仮想空間であり 諸行無常なのだと 実感できてきます
変わるか変わらないかは あなた次第です
いつ変わるか 今でしょ! って 林先生が 言っていますけどね(*^_^*)