日に日に 己が進化してゆくにつれ 世界のありよう

心のありよう 様々な変化がみうけられるようになりました


人 物 意識 感情 食 そして己という個人に ほとんど

興味がなくなり 


全てにおいて あっても良いし なくても良い 


そう思えます


とりわけ 食事への概念を崩壊させてからは 脳が覚醒しているのを

感じずにはいられません


大気 自然 オーラ DNA あらゆる匂いを感じます


そんな感じで ここに来られる方が 何を求めているのか 今朝

感じたことが 一つありましたので 今こうして書いております


多くの方が 言の葉は理解していても 実際に体感してはおりません


誰もが仏の教えを知っていると言います


しかし それは 知性(自我)が知っていると言っているにすぎないのです


体験してこそ 真の理解となります



悟りの世界 目覚めを知った人は よく ありのままでとか ただ在るという

言の葉を耳にするかと思いますが その意味が 咀嚼できていません


あなたは そのままで完全です


何者にもなろうとしないでください


こう言われても いまいち分かりません



ですので 少し 分かりやすく表現してみます


我々は 人間として 多くの自我がありますから 何事にも無意識に

判断をしてしまいます


否定する己の心が 哀しみや苦しみをうみだしています


何か 己にとって 辛い出来事が起きたとします

ありのままでいるというのは この辛いと思う出来事を 体験することです


ここで 多くの人がとる行動は 逃げることです


辛いので気晴らしに 誰かと逢うことや お酒を飲んだり喫煙したり エステへ行ったり


これが 何かになろうとする瞬間なのです



もう一つ簡単な例でいいますと


お部屋で読書をしていると 近所の子供が 家の前でサッカーを始めました

それは もう 騒がしく 本の内容など はいってきません

あなたは その内いらいらするかもしれませんし


すぐに その空間から 立ち去って出かけるのかもしれません


この状況では 騒がしい中に ただいるという 行動のみが

あなたのままで ありのままでいる


そういう意味です


騒がしいとか 辛いと思うのは あなたの心なのです



そう思うから そう思う現実が 瞬時に創られてゆくだけです


人は 判断する上で 楽しいことは良くて 厭なことを排除してしまいます


それが ありのままでいることが 出来ない原因なのです



それだったら 人生 つまらない・・・ と言われそうですが


つまらないとかいう気持ちも自我です



ただ 世界の法則を受け入れる勇気があるか ないかだけです


我々は 元々が 完全な神でした


不自由を体験してみたかった ただそれだけです


世界が深層心理で繋がっていて 脳が少ししか使用できなくて

意識が現実を創造するというゲームを 自分自身で創り 自分自身が

ゲームの中へ入ったものですから 全てを忘れてしまっただけです


この世界を体験しつくしたら 目覚めるようになっていたのです


自我世界を満喫した者は 自我の放棄を選択していますよね


しかし そうした選択をしていない人も 強引に そうなるように

人生で大きな出来事が起きていると思います


日常の中で 楽しい 嬉しい 哀しい 悔しい あらゆる感情が起きたとき

冷静に なぜそう思っているのか 観察者を24時間 配置してゆくと


どんどん この世が 仮想空間であり 諸行無常なのだと 実感できてきます


変わるか変わらないかは あなた次第です


いつ変わるか 今でしょ! って 林先生が 言っていますけどね(*^_^*)


ここ最近 食事は 一食で 基本 お豆腐 おつけもの 

海草をいただいておりますが お豆腐スタンプを使用することで

とても 楽しく 満足していただけております


毎日 三度 きっちりと 食事をしていた私が 今月になり 

食すことを やめたいと思い 始めた 食しても良い

食さなくても良い生活は 本当に楽しく?魂が嬉しいような

どんどん 概念が崩壊されてゆき 今までなかった 感覚が

でてきております



食事を変えてから まず 良かったことは 肌が綺麗になりました

きめ細かく 肌が綺麗と 出かけても言われるようになりました

長年悩んでいた 脚のむくみや あらゆる不調も消えました


そして なにより 複式呼吸でいられる時間が増え

今という時を 生きられる時間も増えました

過去や未来へ意識が飛躍することは少なくなり 鑑賞者としての己を

しっかりとつかめるようになりました


食事をほとんどしないのに 一日 よく活動し 運動もできますし

やつれているどころかお顔も他者によると元気だそうですし

以前より綺麗になったねと言われました


先日 早朝から 運動がてら 歩いておりましたら10年以上

逢っていない友人の匂い(オーラ)を感じました


懐かしいな・・・なんて思っていたら その数時間後 スーパーの入り口で

出逢いました 友人は驚いておりましたが私は あぁ・・・ なるほど・・・

と思いつつ 己の嗅覚が研ぎ澄まされたことに気づきました


人以外でも ふと  このお魚の名前は 何というのだろう・・・

そう思考した後 アロワナだときこえ あぁ このお魚は アロワナなんだと

分かったり


この葉は何だろうと思考すると 葉が よもぎと答え(そう感じるのです)


愛用している石けんがなくなったと考えたら

その数時間後 相方が その石けんをくれたり・・・


夜中 野良猫が 呼んでいると思い お外に行くと やはり じっと

座って待っていたり・・・


喫茶店に出かけ カウンターに座り 目の前にある 芸術品を見て

この作品 素敵で好きなんだよねと会話すると 隣に 作家さんがいたり・・・


今 思う 今 感じることが そのまま そうなるという出来事がだくさん増えてきて


あぁ・・・ 流れってこういう感じなのだなぁ・・・ 脳が覚醒してゆくって こういう感じなんだ・・・

どんどん自我が消えてゆくと 全てが感じられるのだと・・・



そして本日は 仲良しの 友人が 熊本から逢いにきてくれ ランチをしながら

自我を消してゆくこと概念を崩壊させること 今からの世界には 

それが 進化の鍵になるというお話を永遠とし その後 次の目的地へ移動しようと

したのですが・・・

右折しないと その目的地へつくことができないのに  なぜか右折させて

くれない車が現れ 友人が きっと左折して目的地を変更しろと言われて

いるんだよと言ったので きっとそうだねと 道なりに進みました


そして 道なりにある県立美術館に入ることになりました




まず 「いま ここを巡って」という 文字が 私たちを出迎えていました


あぁ・・・ やはり・・・と思いながら 


中に入ると まるで 私たちを待っていたかのように 新聞記者の人が

数人 取り囲んできました


写真を撮影され 現代アートについて 質問をされていました


私も友人も 違う記者にそれぞれ話しをしていました


私は最初は 何を話せというのか・・・と思っていましたが 口が勝手に動いたのです

それを自我の私が聴きながら話していました


現代アートって どうして?という作品が多いですよね

それって 固定概念を崩壊させるきっかけになるんですよね


話は自我消去や覚醒へと続きました


記者の方は とても 興味をもったようで 熱心に それも概念の崩壊のくだりを

何度も確かめていました


そして ある一枚の気に入った絵があり 私は ふと 作家名を見ました


池田龍雄さんでした


池田さん・・・ 実は 数ヶ月前 東京からお見えになった際 私 お逢いしたんです

それに いつも 私は龍に縁があるんですよと 記者の方にお伝えしたら その方

とても驚いて 名刺をくださいました


じつは 私 名前が龍二なんですと・・・


そして もっと 面白いのは 私の友人が竜二だったのです


その後も 気に入る絵を見つけたのですが その絵も 知り合いの人だったり


シンクロが止まりませんでした


帰りに友人が プレゼントをくれましたが それがまた 猫さんが鏡を見ている置物


ナルシスの絵のように・・・己をのぞき込んでいる猫さん・・・


世界は 己の意識なのだと 確信できた一日であり 意識が確実に波及し 

この先 己が進化するほど より波及されてゆくのだということも 実感しました



今日の記者さんは 鹿児島の人でしたので 鹿児島の人が 記事を見て

少しでもインスパイアされると 面白いなぁ・・・ そう思えましたし

全てが 神(真我)のシナリオ通りなのだと・・・


私は とにかく 捨てて 捨てて 観察者として生き 今に集中するのみだと

決心がより固くなれた一日でした


 










本日は夏至であり エヴァンゲリオンにて シンジ(神の子)が

エヴァに初搭乗した日です


全てがシナリオ通り 人類補完計画にむかっていますね


ここ最近 昔のことを思い出したり 振り返ったりすることがありますが

今までの どの瞬間も 今に至る為に 本当に必要であったのだと痛感します


6月は 試練も多く つらいと思うこともありましたが

無意識的に毎日 大掃除をしておりました


本当に とりつかれたように 朝6時から夕刻まで お掃除している日もあり・・・

人生初な 大掃除の毎日で・・・


しかし外側を綺麗にすると 内側が より鮮明に見えてきて まだ こんな感情があったと

思っては 物質を見て まだ こんな不要な物があったと捨てる


外も内も 捨てて 捨てて 捨てて 捨てていくうちに どんどん軽くなっていた


そのうち 世界のあらゆることが 本当に おままごとに見えてきて


お隣さんや近所 家族仲良しそうな様子を見ていると なんか 家族ごっこに

思えてきて 忙しくしている人も 必死な人も ごっこに見えてきて・・・


お金も 昔のおままごとの感覚で ただの紙に思えて 本当に いろいろなことが

幻想なのだと・・・


そうなってくると己さえ 存在しないのだと 段々 実感がわいていた


食事も 数年前から 好きだった フレンチやイタリアンを食さなくなり

毎日 サーモン お野菜 お豆腐 海草 同じ物を食していました


ここ最近は 食すことさえ疑問になり 父の食事を作って 己は飲み物だけ

一日一食 お豆腐やおつけものくらいで よくなって


むしろ 無理して食しているような気もしてきていました


こだわり食→菜食→小食→不食




これって 自我と同じだと つくづく実感・・・


全てが 概念だったんですよね


だからこそ どんどん していなかったこと それは 自我を消して存在することですが


食も不要 思考も不要 人も不要 娯楽も不要


最後には己も不要



そうなって アセンションしてゆく気がしてなりません


まぁ した時には 己は 消えているのでしょうから 今 この課程のみ

私(個人)での 記録や 意識が健在なわけでして



誠に面白いゲームですね



我々の脳は ほとんど未使用であり クラウンチャクラも未使用


概念をはずしてゆくことだけが 覚醒の鍵であるでしょう


その大きな壁が 自我です


唯識では 第1から第5識が 五感 6識が心 7識が自我であり

その奥に8識 アラヤシキ 全ての源があります


どんどん 自我消去への世界へ 進みましょう


津留さんの動画が このタイミングで たくさん アップされています


全ては 流れのまま シナリオ通り


https://www.youtube.com/watch?v=O1hm5H1cfss


穏やかな夜に身をまかせるな


映画インターステラーにて 繰り返し引用される詩です


インターステラーは 時間も空間もない そして 世界はミクロでありマクロ

内側であるということを とても象徴する映画でした


いま世界から目覚めたいと思う人が どんどん増えています


鏡であると知り 現実という幻想が 舞台に見え 自分も他人も役者に

思えてくる生活が始まると もう ここから目覚めたいと思うのです


自分の意識が 投影されているのが現実なら 自我を消すのだという答えに

至ります

しかし ここからが 結構 難しいもので 自我で自我を消すという


判断が なぜいけないか

自我を消すことが なぜよいのか?


分からないなる人もいますよね


いいでしょうか 



元々 自分(そう思っている)存在など ありません

身体も あると思っているので あるだけです


麻酔をかけられたら 身体があるのに 感覚がないという体験をします

そう あるのにないですね


元々は 何もなかったのです


歴史を見るとよくわかります



自我を消すという作業をしていくと 自分にどれだけ依存 物惜しみ 執着 欲が

あるのかを知ります

苦しいと思う体験の時は 人はより心を見ますが 楽しい時はみません


楽しいというのは 本当は 危険です


なぜなら 何かを感じている時 つまり 楽しいと思う時は 同時に逆を創造しているからです

ですから 時間差か同時に 辛いと思う体験もします

 

哀しいと思う体験の時は 同時に 楽しいという世界を創造します



私たちは 五感と意識を使用する癖がありますので 瞬時に感情が生まれます


1 何かを見る 2 そこに意識が向く 3 それを見て過去の記憶と照らし合わせる

4 判断する 5 判断した意識が未来へ投影され




私たちが 夢のまた夢から 目覚める為に 与えられた アイテム ヒントは3つ


まず 皆 記憶はないですが 胎児の時は お腹にいましたね


つまり 帰還するところも お腹です


お腹は 丹田 複式呼吸 


我々は 意識しないかぎり 複式はしませんね


そして 第三の眼も同じです


内側に意識をむけた時だけ開眼します


これらが 目覚めるアイテムです


外側には 何もありません



自我は知識や情報を求めますが それは 何もならないのです


知識は どんどん自我がつよくなり 目覚めからとおのきます 


毎日の生活の中で 気をつけて自我を見張ることです


私はモーツアルトを聴いている→モーツアルトを聴いている→音楽を聴いている→

聴いている→在る


私は雀を見ている→鳥を見ている→見ている→在る


今まで 努力して学んだ知識 記憶 常識 あらゆることが 今は逆に障害なのです


認知症になってください


忘れること 物を捨てる 執着しない 逆を生きてください


そして もう 否定しない


自我を消せない己も否定しないでください


ここ最近 鏡の報道では コロナウィルス そして個人情報漏洩ですね


どちらもウィルス それは 内側でコロナ つまり宇宙のウィルス 個人情報漏洩は

個人が漏れているわけですから 個が全体になっている証ですね


報道もどんんどん 変わってきます




目覚めにおいて最も大事なことは 今 この瞬間が 最良なのですから

自分は 目覚めている存在であり神だと 信じきることです



悟りたい目覚めたいは 未来も 同じ 悟りたい 目覚めたいになります


この世は  夢の鏡世界

自分の意識は 鏡に反映され  感情 判断は 2つの世界を創造する


今 いま 今 いま 今を生きる


単純で難しく でも 単純ですから 外に意識をむけないで



最後に 鏡世界を思い出す有名な詩


色はにほへど ちりぬるを

我が世たれぞ 常ならむ

有為の奥山 今日超えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

 

紗鳥の森は 更新しておりませんでしたが 毎日 多くの方が

訪れているようで 彷徨う人もおられるようですね


まず あなたは 今世で悟りたいのでしょうか?

現実を楽しく生きたいのでしょうか?



紗鳥の森は 前者の方向けに 発信しております


この世界を鏡であるということ その真実から眼を

そむけておられる方ではなく夢の夢から目覚めたい人への

メッセージです


悟りとは目覚めることです


現実という夢から目覚めることです


2015年6月から 人類の振り分けは始まりました

一日の内 50%以上 内側に向いていることが必須でしょう


9月3日(2012年12月22日) に向け 毎日 どこまで 意識を

シフトさせてゆくことができるか それが大事です


ちなみに 世界が鏡であり 至る所にメッセージがあるのは

おわかりかと思いますが  まず 大塚家具の娘さんは

家具屋姫といわれていました 名前はくみこさん


家具屋 かぐや姫は月へ帰還しますが 地球を離れる際

記憶が消えますね


かぐや姫 くみこ 数字にしたら935 

9月3日GO みたいです

月は 本当の我らだということも 聞いたことがあります


そして 先日 始まりましたテニス 全仏オープン

これは 簡単ですね テニスは 内側を見る象徴 全仏もそのまま

全て仏 神ですね


それが 開幕って感じでしょうか


そして 噴火した 口良永部島

口は0 ゼロ つまり 無です

無が良い 永遠に 部屋は内側でしょう


古い思考 現実思考ですと メッセージなど気づきませんが

その方々にも 目覚めの兆候として 災害や事件 あらゆる機会はきます


これから先 どんどん 加速してゆくことでしょう


目覚めたい者よ


古き思考を捨てよ

概念を捨てよ

執着を捨てよ

記憶を捨てよ

知識を捨てよ


捨てて 捨てて 捨てて 一点に集中せよ


無の己に目覚めよ


無を長く発音すると むーうーとなる


無とは有なのだ


孤独に歩め悪をなさず求めるものは少なく・・・


世界は自分の意識です


現実になにが起きようと それは 意識の過去でしかありません

過去に文句や意見をするだけ 未来は また苦しみを創造します


外側ではなく 内側   己だけをみよ





本日のタイトル 胡蝶の夢は 荘子です

先日まで 100分で名著にて 放送されていましたね


昔者(むかし)、荘周夢に胡蝶と為る

栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり


自ら志に適へるかなと喩しみ、周なるを知らざるなり

俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり

知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを


周と胡蝶とには、則ち必ず分有らん。此を之れ物の化(もののか)と謂ふ



訳(下記)




あるとき、わたし荘周は胡蝶になった夢を見た

栩栩然て、ひらひら迂曲しながら飛び巡る胡蝶になりきっていた

これは思うがままであると自分でも楽しくなって気ままに舞っていて

この身が荘周という人間であることなどいっこう念頭になかった


はっと目が覚めると、蘧蘧然まあ荘周であった

ところで、荘周が胡蝶になった夢を見たのか

胡蝶が荘周になった夢を見ているのか、どちらか私には分からない


常識では荘周と胡蝶とには必ず形の上では区別がある筈であるが

主体としての自分には変わりなく、どのようにしてその区別をつけるのか


このようにそれがあるに似てしかもその定めのないのが

物の化(物事の絶え間のない移ろい、生死)というものである


一碗の茶を喫することは宇宙を一碗に溶かして飲むこと


今朝 最初に観たTVでの 重森三玲氏の素敵な名言です



今月に入り 己の進化がめまぐるしく 過去の記憶 意識 概念の崩壊も

加速し 言語なき世界の門の前にいる感じです



私の人生で最初は幽霊 そして サイキック能力 オーラ チャクラ ヨガ ヒーリング

そして自動書記で小説を執筆したりした後

いつからか 世界が鏡であること 浦島太郎であることに気付き

逆再生への修行がスタート


そして この世は 夢のまた夢

意識の具現化した世界でしかない

何もない アラヤシキだと確信した後 自我を放棄することに

辿り着く


しかしながら 自我をもって 自我放棄をする モラトリアムが一時続き

迷走するがゲシュタルトに世界をみることで 解消された


常に 観察意識を忘れぬことで 自我はよわまり


判断する心や常識 固定概念などは 自然と消えゆくようになった


最近では 非言語の領域が心地良く  誰かと何かを共感したり

対話したり  何かを創造し会話したり・・・そういうことにも 興味がなくなってきた


どこまでも どこまでも自我は存在し  


結局は 己だけを見よ! それだけにつきるのです


孤独に歩め 悪をなさず 求めるものは少なく 林の中の象のように


これにつきるのです


ここに手記を記載することも 限界がきているようです

何かに気付き言語にするという 環世界にいつまでもいたら

結局 抜け出せない これも 自我の罠だと気づきました


もっともっと超えて 古き思考 言語 身体 意識 記憶 概念

全てを捨てて いかないといけません



完全版 かもめのジョナサンを拝読して そのことに気づきました


以下 ジョナサンより


天国とは 場所や時間ではない 場所や時間は そもそも何の意味も

もたぬものだから 


私たち 一羽一羽が偉大なカモメの思想であり 自由という無限の

思想なのだ


全身とは目に見える形をとった思考そのものにすぎない

思考の鎖を断つのだ そして肉体の思考も断つのだ


本来の自己は まだ書かれていない数字が限界をもたぬごとに

限りなく完全なるものであり 時間と時空を超えて いかなる時も

いかなる場所にも 直ちに到達しうるのだと知れ

私は 草花 木々の香りが初夏の風と共に漂ってくる 

薫風の季節がとても好きです


昨日までの二日間は お天気でしたので 公園の木陰に

シートを敷き 寝ころんで 青空を眺めていました


遠くの方からきこえてくる 子供たちの声やテニスの練習の声

薫風を楽しむ鳥や蝶々たち

大地や大気から感じられる生命力


無心になることの美しさ 独りでいることが こんなにも幸せに思える

日がくるとは思っていなかった己の変化に驚いておりました


あまりにも 素敵なので 明日は友人をつれ 木陰でお茶会しながら

読書や無について会話をしたいと思っております


二年前までは 働いていたもので お休みには 

色々出かけたり お買い物したり 三次元を満喫していたように思えますが

心は内側へ100%向かっておらず 常に外側に何かを探していたように

思えます



しかし 世界が反転して 父のお世話もすることになり 環境も変化し

気づくと 毎日 お花たちのお世話や 毎日 お顔を見せにきてくれる猫さんへの

ご飯やり そして 近所の高台にある森で 自然と対話することが 私の日課となり

本当に 目の前のことを見て生きられるようになれました


それは とても素敵なことでした


なによりも 自然の移り変わり 美しさ 儚さ 本当に一瞬一瞬 無常を感じられるように

なれたこと 蝶々や虫さん 鳥さんを見て 心から 美しく 温かくなれる心へと変化していたこと


二年前までは 世界が鏡である意味を 本当に理解してはおらず 物質へのこだわり

唯美へのこだわり 様々な物事へのこだわり そして偏見が たくさんありました


2013年 シリウス元年を経て 二年かけ 自我は どんどん 力をなくし

世界の見方 感じ方 あらゆることが変化しておりました


ミクロ 素粒子 そして 内側へ向かうほど 世界は 宇宙へと繋がってゆくことを

実感しております


世界が鏡であると知ると 愛をもって 選択をしようと心がけるようになれます

そして 判断することでの 作用 反作用を知ります


中庸であることの大事さ 仏様の教えの尊さ


本当に痛感しております


怒りは 内観する中でも 最も見逃してしまいがちで 己の敵 自我の栄養です


怒りのパターンをまず知ることは 必要かと思います


怒りには10種類のパターンがあります



何かを厭と思う基本的な怒り

そして 厭な思いを忘れないことで蓄積される怒り


他者を軽視することで生まれる怒り

誰かと張り合うこと 負けたくないと思うことで生まれる怒り

嫉妬から生まれる怒り


物惜しみから生まれる怒り

反抗心から生まれる怒り


後悔から生まれる怒り


最大の怒りは 積もりつもった怒りや 妄想などからうまれた

感情が 増加していくもの 誰かの不幸を望むまでになります


心を見つめてゆくことで 最初に怒りの元となる感情が心にあらわれた時

消すことができます


鑑賞者をつけないと 消すことはできません 鑑賞者というより監視の方が

いいですね


監視をしていると 怒りはすぐに消えます


火が出始めた時 消火する作業に似ていますね


怒りは 放っておくと どんどん増幅してゆきます


なぜ 怒りが生まれるのかと言いますと 結局 求めているからです


そして 思い通りになると思っているからです


この世は 無常


己の思い通りになることはなく 己さえも幻想であり この世は夢だと

心から理解してゆくことで 自我を捨ててゆくことで 怒りにくくなります


幸せだから笑うのではなく 笑うから幸せであることの意味を

理解することも大事ですね


この世は 諸行無常 色即是空 因果応報なのですよ



意識の高いと思われる人そうでない人 様々な人との会話で

ここ最近 気になっていたのが 自分が正しいと思い疑わないこと


人間意識として しみついているのだと思います


私も 毎朝 自分は誰か? 自分は正しくないと 言い聞かせ

一日を すごしておりますが それを言わないと忘れそうになります



人は 表現が違えど 誰かを見下していたり 批判していることが多いです


意識が高いと思っている人は 世界の見方について 多くの人間を卑下します

そして 卑下されている対象の人 自我まみれな人は 家族 友人 会社 社会

全て他の責任として生きています


せっかく世界が鏡であることや 自我を見つめているのに卑下する心が

1ミクロンでも存在したら それは 同じ穴のむじなです


とても もったいないことです



こう記載している文字も 批判しているかのようになり なんとも

お伝えするのが 難しいのですが・・・


人間の最大の特徴として  常に 起きることに意味 判断 評価を瞬時にし

それが カルマだと理解していないということをお伝えしたいのでとりあえず

書きます


もし 今 くつろいでいて  ゆっくりと静かにしていたいのに

電話が鳴り 誰かに不条理に怒鳴られたら どうでしょう?


多くの人は その出来事に 不快さを感じることでしょう


リラックスしていたいのに 急に マイナスなエネルギーを受けたような気になる


そして その後も 一体なんなの? まったく なんて 心が もやもやするかも

しれません


これが カルマです



その瞬間 何が起きても ただ その起きたことを見る 感じる

その後は 今に集中するといいのですが

大抵はそうはいきませんね


どうしても起きたことに 文句や意見をいうでしょう

意識 判断をすると そのカルマを未来へ連結させます


まず 怒っている人に対して 心がいらいらするなら そのいらいらしているのは

誰か?と問うことが大事です それは自我ですよね


本当のあなたは 静謐な存在です


怒っている人に対して  きちがいだ!なんて 思うと 未来に きちがいな

その人が投影されるという仕組みです

そして 人間の多くは その体験を共感したがりますから 

同じように きちがいだと言う人を探します


そうして やっぱり きちがいよね!なんて断定してゆくのです


それが 本当に 具現化してゆく仕組みとは知らず・・・


結局 何かしら 意見 判断した結果を 未来で見ているだけなのです


何が起きても よしよし 口癖を よしよしにしたら いいでしょう


よしよしだと 少なくとも よしよしな 未来がきますよね


後は やはり 感謝でしょう ありがとうは魔法の言の葉ですよね


言霊って 本当なんですよ



独り言でも 同じです


発言には気をつけてください



その訓練の末  無になれるよう心がけてゆくと良いかと思います



はせくらみゆきさんの 良い動画を見つけましたので 是非 見てくださいね


https://www.youtube.com/watch?v=g4crhsOG90I

四月は 多くの人が  何かしら 別れや 決着 手放すということや

新たな出逢い 始まりが 目立っていたように思えました


まさに 一斉浄化が起きたように思えました


キャサリン妃のお子様も88夜に誕生し 5月は 新しい 意識の時だと思います


進化の道を歩んできたものは 自我との格闘にて 少しお疲れ気味な感じですが

そもそも 自我をもって 相変わらず思考し 自我を消したいとか 進化したいと

思っているのが 誤りであることに気づくことが 出口である


ここ最近 よく眼にするのが シナリオ通りなので お任せしていたら良いという


それは 自我の一つの思考です


お任せというのは ある意味では正しいのかもしれません

自我の思考で できることは ないのですから


しかしながら それにかまけていると 自我は 調子にのり 新たな世界を創造します


現に今もそうでしょう


大事なのは 今 日々是好日です


毎日 その瞬間を そのまま 受け止め ありがたく生きること


そして 常に 観察者をつけること


これだけは 自我の力を使ってすることです


その上で お任せにしたらよいのです


自我を常に観察することをしないと 自我は 三次元が好きですから  気づいたら

自我まみれな生活になって 苦痛を感じたり いらいらすることが増えてゆくのです


自我がいるので いらいらも苦痛も存在するということを忘れないようにしないといけません


観察者がいることで 目覚めた状態で夢の世界に存在することになります


その先は 私にも分かりません


津留さんは 新生地球は 自我を完全に捨てた先に 内側に現れると言っていましたが


私たちが 夢を見ている時と同じ感じがします


夢は 一人の脳内で起きているのに 世界も時間も季節もあります


大勢の人がいて 建物もあって 食事もできます


しかし 目覚めたら 一人です


世界が一人で 夢の中というのは まさに こういうことでしょう


ずっと 長い眠りの中にいるので 私たちは分からなくなっているのです


夢の中で 起きたり寝たりしているのでしょう


自我を見つめている時の観察者こそ 夢を見ている 本当の私なのでしょう


この世は 夢のまた夢なのです

先日 図書館で見つけた種子図鑑


とても美しいです


種子は 時空を超えるタイムカプセルそのものであり

こちらの図鑑を見ていると 種子というよりも ガウディの建築か

宇宙にしか思えませんでした


どのような 偉人の作品でも やはり人間の自我が介入されていますから

自然という芸術が最たるものですね



今年は 人類補完計画の年でもあり 実は 2012年冬至 アセンション

マヤ ノストラダムス 色々言われていた年の 本当の年だと知っていましたか?

うるう年の関係で9月3日が その日にあたるそうです


実際 今年は 四回の蝕があったり スーパームーンや赤い月 流星群も

すでに起きていますよね


私個人も 意識変化はめまぐるしいです


四月になり いらいらしている人も増えているようです


そういった感情は 自我をしっかり見つめていないと どんどん大きくなります


カトマンズでの大地震も 内側では 影響しています


いらいらしやすい人は 毎日の言動を 今一度 見直してみるとよいかもしれません


ひふみの教えでは 遠くて近いものを食せと言われております


遠いとは 仲間であるものという意味です 牛 豚 鳥 魚 手足の数が人間と同じである

牛は もっとも 波長があらいのです


実際 死体を食していますが 死ぬ瞬間の牛や豚は 恐怖の意識がつよく残っているのです


その結果 牛や豚を いつも食しますと いらいらしやすい体質になります


次に近いとは 土地のもの


まず日本のもの そして 暮らしている土地のものを意味します


今 いる空間には その空間の波長がありますから 遠いものを食すと 異質なわけです

私は 基本 魚と野菜 大豆 海草を中心に食事をしておりますが 時折 お肉を食したくなり

食した後は いらいらしてしまいます


あと 飲み物も大事です


珈琲は意識を固めます 紅茶は 逆です ロココ時代など紅茶を飲んでいたのは会話が

弾む思考になるからです


おすすめは 薬草です


とりわけ ミントやカモミールなどは 本当に優れております

私は お庭で 様々な薬草を育てておりますが 薬草は神経にとても良いですし

お茶にしたり お飾りにしたり ポプリにしたり お風呂に入れたりと 生活がとても

豊かになります


食事の次に大切なのは言の葉ですね


もし いらいらしても あーいらつく あーむかつく

そんなことを言ったら もっといらいらします


そう言いたくなっても我慢するのが大事です


自我は 言うとどんどん 大きくなりますし心は乱れます


どうしても 発散したい時は カラオケなどで大声を出したらよいです


私は 歩いて発散しております


毎日 どんな言の葉を選んでいるか? どんな食材を選んでいるか?


小さな選択が 心には大きな影響を与えています


今一度 見直してみてはいかがでしょうか?


パソコンや携帯を見ている時間を減らし 自然にふれることや

美しいものをみたり 時には美術館などに 脚を運んでみるのもいいでしょう


毎日 どう生きるかで 明日の 自分が変わります