☆パラダイムシフト☆新たなる夢現世界へ☆

下記サイトにて、数年前に執筆した私の小説『無花果の幾可学』を読むことができます。
 少々エロティックですが哲学小説です。http://slib.net/a/178



テーマ:
言語を愛し 言語の限界まで辿り着いた自我の私は
意識の限界 言語の限界を知りました

内外反転である この世界において 限界まで辿り着いた
言語の意識を 内側に取り込み 内側へ浸透させることが
沈黙の道なのだと思いました

そして春分の日を境に 突然 パステルアートを始めていました


言語 自我 意識を内側へと内在させた私は 言語を放棄し
パステル(有)を誕生させることが 沈黙の続きとなりました


意識の建築 沈黙の芸術 

内側と外側


今は ハートと形ないものを 描くことが幸せでなりません

言語の先に 待ち受けていたものは 沈黙でした



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テーマ:

何人か鏡を把りて魔ならざる者ある


魔を照すにあらず造る也


即ち鏡は 瞥見す可きものなり熟視す可きものにあらず



鏡は別視するものでないと 鏡の世界に取り込まれてしまいます




ヴィトゲンシュタインの名言


昇りきった梯子は捨てよ 語り得ぬものには沈黙せよ


この言語を理解する時 それは あなたが この世の仕組みを

理解した時に訪れる


梯子とは知識 意識 自我の世界での最高峰です


その頂上に至った時 梯子 自我を捨てることを選択してゆきます


精神世界では あらゆる修行やら資格をマスターしてゆくことが梯子に

似ているかもしれませんね  茶道でも華道でも この道に繋がります

芸術家でも建築家でも もちろ何者でもないものでも・・・


梯子の先の世界を 私も言語にしようと自我的に思っておりましたが

それは 無理なようです


自我は どこまでも どこまでも しつこく 存在しますが 梯子を捨て去りし世界には

自我は介入できません


その先を 言語にすることは 鏡の世界においては 真逆の反応が起きてしまうため

過去の偉人は 神話や芸術に 痕跡を残してくれました


私が 最もヒントになると思った神話は イシス オシリス ホルスです

破壊神でもあるイシス そして 肉体を切り刻まれたオシリス それを再構築するイシス

破壊 分断 再構築 そしてホルスはウジャドの眼をもつ神


この三つの示す者は かなり重要なヒントです


自我は ある一定の知識に辿り着きますと自ら自我を破壊 そして分断します


しかし 目覚めに近づいたと思う瞬間と同時に 自我は また復活 つまり再構築を

何度も繰り返します


自我は 何かしら他者に報告したくなります

そして 反応し歓喜したり落胆したり それは 目覚めを遠ざけます

沈黙は ここでも重要です


神話では イシスは最後は再構築できず オシリスは冥界の王となります


真我と自我の闘い(クロノスとの闘いも同じですね)は いつしか 完成します

その時 ウジャドの眼が重要な鍵となります


ウジャドの眼は 中庸そのものです


眼の位置が重要なのです



我々が 二元的に世界を見る仕組みは 二つの穴 二つの眼を通して世界を見ているからです


エジプトも フリーメイソンも ケルトも あらゆるところで 3という数字が登場します


GOD 創造 破壊 維持も3 三種の神器 3の意味とは?


第三の眼とは?


ある地点まで 内観をできた者は 努力せず到達するという境地を見るでしょう


涅槃のポーズがまさにそうですね


最初はお経やマントラ 座禅が必要でしょうが 段々 どこにいても瞑想しているという

感覚ができ 世界の眼差しも変化します


中庸というもので世界を見ることが重要だと知ります


何事にも判断しないこと これは思考の話ですね


では 中庸に世界を見るとは?


それは 簡単です


少しだけ ずらす ピカソの絵のように



ここからが とても重要


鏡の世界では 観る者は 観られているという法則があります


つまり 世界を観ている人は(多くの人間は) 世界を本当には観ていないのです

観られている世界に住んでいるのです


本当に観る世界に移行するには 自らが観られるもの

つまりは 観られる者は観るものと化すことです


そうするには 3という数字 3つの穴を どう使用するか


第三の眼は内側にあります


肉体の眼と第三の眼は 三角形です


二つの穴で観る世界は判断の世界 ということは?

一つの穴で観る世界が 判断の無い世界です

中庸な世界です


この眼は チャクラを活性化するとか クンダリーニ瞑想やらマカヴァやら

そのようなことは 必要ありません


この世に存在する 瞑想も幻想です チャクラを観たいと思い修行すると観ることが

いつかできます


しかし それは もう古い次元の話です


第三の眼は そんなことせず ただ ずらすだけで開眼します



世界を観る時に 鼻の上を視野に入れるのです


常に鼻を意識すると 世界が自分を観る視線を感じると同時に

このラインでのみ 第三の眼に意識が自然と向かうことになるのです


二つの眼で世界を観つつも 鼻を視界に入れることで 第三の眼に意識が向かい

観る者から観られる者へ変換します


この視線で世界を観ると 内側に光りが 流れだします


内側に光が流れ あふれ出すと それは 鏡世界にもあふれ出します


繋がっていますから



ここで 沈黙という言語がいかされます


第三の眼により 何かしら 個人的な出来事が内側で起きますが それを言語にして

しまうと エネルギーは外に流れだし 内側が枯渇します


世界が鏡であるということは そういうことです



モーツアルトの魔笛は そのままですね



太陽の王と月の女王が登場し 世界が反転 そして 水の試練(自我消し)

火の試練(第三の眼開眼) そして沈黙の試練 この試練をクリアし 神殿の門を

通過する


ルイスキャロル(数学者)の鏡の国のアリスも ヒントがたくさんありますね


鏡の国では 世界は反対 お花は観るものではなく アリスが観られる世界


虫はアリスよりも大きい(ミクロとマクロの反転)


時間は逆再生 アリスの世界は この世からの目覚めるヒントがありますね



まぁ 日本の神話でも インドの神話でも どの世界も 同じことを 違うイマージュで

伝えているというだけですが 気づくか 気づかないか はたまた 気づいたふりをするのかは

本人の意識次第なのでしょう









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超えた者に 届く詩がある



田村隆一 恐怖の研究より


10

針一本
床に落ちてもひびくような
夕暮がある

卓上のウィスキーグラスが割れ
おびただしい過去の
引出しから
見知らぬカード
不可解な記号

行方不明になってしまった心の
ノートがあらわれてくる
これは
光りと影の世界
写真のネガの世界

K大外科病棟のカルテのファイル
蘭の葉脈のような血管が
灰白色の河流をつくり
皮膚と皮下脂肪は暗黒の世界を
いだく

ゴムの手袋でさわるのにふさわしい
だるい感触
合金のナイフとピンセットで
さぐるのにふさわしい

燗熟した肉
それが死せる心をいだいている肉なら
どんなパンが想像できるか
きみの好きな詩人にたずねてみたまえ
乳色の血のながれから

どんな葡萄酒が眼に見えてくるか
きみの好きな絵描きにきいてごらん
ああ
意味がほんのすこし入ってきただけで
いかなる近代都市も粉砕されてしまう

光りがごくわずか入っただけで
ネガの世界は崩壊する
床からピンがはねあがる
乳色の河流は血の色にかわり
なめらかな皮膚の下に
死んだふりをしていた心があらわれる


窓がひらく

乱暴な音をたててドアがあき
だれかが出て行く
あるいは
だれかが入ってくる

9

心が死んでしまったものなら
いくらよみがえらせようとしたって
無駄なことだ
かれを復活させるために

どんな祭式が
どんな群衆が
どんな権力が
どんな裏切り者が
どんな教義が
どんな空が
どんな地平線があるというのか

たぶんブリューゲルだったら
重力よりも重い色感で
大きな橄欖樹を黙々と描いたかもしれない
空白をつくるためだ
空白によってしか答えられないからだ
空白の遠近感がどうしても欲しいからだ
空白のリズムをききたいからだ

ところで
行方不明になってしまった心なら
あっさり埋葬するわけにはいかない
死亡認定書も
火葬許可書も
偽造するのにぞうさはないが
心を偽造するわけにはいかない

たぶんモーツァルトなら
一本のフリュートがいるだろう
一本のフリュートで
巻毛の少年は旅に出るだろう
一本のフリュートで
あらゆる生きものの国々をさまようだろう
あらゆる渇きから

少年は単一な夢をさがし出すだろう

たぶんミロなら
単一な夢に
単一な色彩をあたえるにちがいない
単一な色彩から奔放な線がうまれ
やがて線と線とが交叉し
点と点とが共鳴し
ある中心にむかって
豊饒な領土を描き出してくれるにちがいない

あらゆる生物が生れ
あらゆる生物が死んでいった
黒い土
黒い土はおもいきり翼をひろげ
空と地平線を分割するにちがいない
ときには
驟雨がくるだろう
あるいは雷鳴もともなうだろう
稲妻が空間をつらぬき
無数の海豚は交接し
巨大な鯨は紅色の潮を吹くだろう

しばしば
象牙海岸に貿易風がおくりこまれ
アンリ・ルッソーの
暗緑色の樹木が繁茂するだろう
東方にはまだ名づけられない星がきらめき
その光りが地上に達するまでに
ヨハネの
ジョン・ダンの
ボードレールの
マラルメの暗喩がうみだされるだろう

これらの暗喩によって
数億の日と夜はわかれ
数万の日と夜は調和と秩序をもち
おお
ぼくの心のなかでは
四千の日と夜が戦うのだ

8

日と夜のわかれるところ
日と夜の調和と秩序のあるところ
日と夜の戦いのあるところ
それは
一本の針の尖端
無名の星の光りにひかる針の尖端
歴史の火の槍
ふるえる槍の穂先

7

塔へ
城塞へ
館へ

かれらは殺到する
かれらは咆哮する
かれらは掠奪する
かれらは凌辱する
かれらは放火する
かれらは表現する
かれらはあらゆる芸術上の領域を表現する

白熱のリズムを
増殖するイメジを
独創的な暗喩を
危険な直喩を
露悪的なマニフェストを
偽善を弾圧するもっとも偽善的な芸術運動を

6

ほんとうにものが見たいなら眼をえぐりたまえ
ほんとうにリズムがききたいなら耳を切れ
イメジとイメジをむすぶものは王の権力
イメジからイメジをうみだすものは天使の栄光

服従は奴隷の歓び
享受は被支配者のひそかな愉しみ
それゆえに
王は民衆より偉大でなければならぬ
それゆえに
頭上の天使はあらゆる王より強大でなければならぬ
地上の全批評家は消え失せよ
歴代の王の眼を見るがいい
彼らの眼は数千年まえからえぐられている

眼は石のなかにある
天使の耳を見てみたまえ もし
きみにきみ白身の天使が見えるなら
耳は翼のなかにある

5

ふるえる翼
ふるえる舌
K大病院の裏庭で
ぼくは野鳩の桃色の脚を見た
ふるえる舌
裂ける舌
信州上川路の開善寺の境内で
ぼくは一匹の純粋な青い蛇を見た
ふるえる舌
美しい舌
秋風の六里ヶ原で
ばくは桜岩観音は出会った

4

針一本
おちているところ
光りはどこからでもくる
闇は野鳩の声のなかに
蛇の華麗なデザインのなかに
桜岩観音の手のなかに
ある

3

角笛から
ホルンヘ
ブロックフレーテから
フリュートヘ
楽器の歴史は光りと闇のもの
行方不明になってしまった心の
空白ヘ
モーツァルトからドビュシーへ
角笛から
ホルンヘ
ブロックフレーテから
フリュートヘ

2

光りはリズムヘ
闇は器楽的形態へ
心を追いつめるのだ
猟師が獲物を追うように
飢餓が野獣を追うように

1

針一本あるところ
沈黙がある
頭上の天使のさえぎるところ
ふるえる舌がある

搭が見える
罪を犯すにはわれらの人生は長すぎる

城が見える
罪を償うにはわれらの人生は短かすぎる

魂は形式
角笛から
ホルンヘ
ブロックフレーテから
フリュートヘ

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ALONE 一人という言の葉の語源は ALL ONEと

きいたことがあります


全て一つで一人という意味


鏡 影見 カガミ 我を消し 神となる


自分の意識が上昇するにつれ 二次元 三次元 四次元 五次元

これらは 全て 今ここに存在しているのだと気づいてゆくと共に

世界は本当に一人であり 言の葉の流出が大きな壁となっていることを

最近感じております


ことわざにもあるように沈黙が金というのは 確かなことなようです


世界は鏡であり 自らの内面であるのなら 内側で起きる変化を

外に言語にて伝えるという行為は よく考えると 正しい行動ではない


虚無の世界 宇宙卵への回帰に至っては この連鎖は 間違っているのであろう


外は内の排泄(創造した後)であり その過去に対して 今という時間枠 時間軸が

混入することは やはり 無限世界ではなく 夢幻世界になるのではと思う


私自身 この空間に 体験を書いてきたが その後 内側のエネルギーが外側に流出したのを

感じた


昔から大事なこと 叶えたいことなどは 人にいうと失敗すると言われていたが

同じことだと思う


結局 一人世界であるのに 外側に向け 発信し続けることは 内側のエネルギーが枯渇する

結果にしかならないし 目的地 神への道を自我が 遠ざけている手段にほかならない


我々は666獣であり 今 999になろうとしているが  自我を捉えた真我が目覚めた状態は

半覚醒でしかなく 自我は いつでも 復活する


それを うまく見つめてゆくことが この先 とても重要である


6と9を重ねると 8の数字になる 8を横にすると∞無限マークになる


二極の世界は この二つの○である 善と悪 光と闇 ○ ○ この空間をいったりきたり

それは自我世界 自我は世界を他者を分けて思考している 


意識が世界を創造する夢幻ループ


真我の目覚めた半覚醒とは9の状態である 無限の8 ここに亀裂が生じ9になる

しかし 自我が復活すると 9にまた線(物質世界)が繋がり8になる


9の線を 完全に(自我を完全)離脱できると 0になる ここで 初めて 虚無

原初の海 何もない永遠の豊饒の海となる これが 神 超人であろう


今 少ない気付きの人間は 半覚醒999の状態である


ここには まだまだ自我のトリックが存在している 私自身も 何度も罠にはまった


000 生命の樹では 無限光を意味する


666獣 その中間 888人間 999半覚醒 そして 000 神 無限光


以下OSHOの言の葉を


あなたは独り、完全に独りきりだ。
これは極めて明確に理解されなくてはならない。
人は意識するようになるや、独りになる。
意識が大きいほど、自分が独りであるという気づきは大きくなる。

だから社会、友人、会合、群衆によって、
この事実から逃避してはならない。
それから逃げてはいけない!
それは大いなる現象だ。

進化の過程全体は、それに向かって少しずつ進み続けている。
意識は今や、自分は独りなのだということを知る地点にまでやって来た。
そして「独りで在ること」(アロンネス)においてのみ、
あなたは光明を得ることが出来る。

私は「孤独」(ロンリネス)と言っているのではない。
孤独の感覚は、人が独りで在ることから逃げようとしている時、
それを受け容れる用意の出来ていない時に生じる感覚だ。

独りで在るという事実を受け容れないなら、その時には寂しく感じる。
あなたは自分自身を忘れる為の群衆や、
あるいは何か酔っぱらえるものを見つけるだろう。
孤独は、それ特有の忘却という魔術を生み出す。

もしあなたが、ほんの一瞬でさえ独りでいられるなら、
全面的に独りでいられるなら、自我(エゴ)は死ぬ。
「私」は死ぬ。
あなたは爆発し、もういない。

自我は独りの状態で生き残ることは出来ない。
それは他者との関係においてしか存在出来ない。

いつでもあなたが独りの時は、奇跡が起こる。
自我は弱くなる。
それはもう長くは存在出来ない。

だから独りでいられるほどの勇気があるなら、
次第に自我がなくなってゆく。
独りで在ることは、極めて意識的で思慮深い行為だ。
自殺よりも思慮深い。

自我はひとりの状態では存在出来ないが、
自殺においては存在することが出来るからだ。
エゴイスティックな人はより自殺しやすい。
自殺はいつも他者との関係の中にある。

それは決して独りで在ることの行為ではない。
自殺においては自我は痛手を受けない。
むしろそれは一層顕示される。
それはより大きな力をもって新しい誕生へと入ってゆく。

独りで在ることによって、自我は打ち砕かれる。
関係するものを何も持たない為に、それは存在出来ない。
だから、もし独りで在る用意が出来ているなら、
揺らぐことなく独りで在るなら・・逃げることも後退することもなく、
独りで在ることの事実をありのままにただ受け容れるなら・・
それは大いなる機会になる。
その時あなたは、内に多くの可能性を秘めた種子のようになる。

だが覚えておきなさい。
植物が成長する為には、種子は自らを破壊しなければならない。
自我は種子、可能性だ。

もしそれが打ち砕かれれば、神性が誕生する。
その神性は「我」でも「汝」でもない。
それはひとつだ。
       
独りで在ることを通して、
あなたはこの「ワンネス(全一性)」に達する。

このワンネスの偽りの代用品を作ることも出来る。
ヒンドゥ教徒はひとつになる。
キリスト教徒はひとつになる。
イスラム教徒はひとつになる。
インドはひとつだ。
中国はひとつだ。
こういったものはワンネスの単なる代用品だ。

ワンネスは全面的な独りで在ること(アロンネス)を通してのみ訪れる。

群衆は、自分達をひとつだと呼ぶことは出来る。
だがその一体感は、いつも何か他のものとの対立の中にある。

群衆はあなたと共にある為、あなたは安心する。
今やあなたには責任がない。
あなたはひとりではモスクを燃やしはしないだろう。
ひとりでは寺院を破壊しはしないだろう。
だが群衆の一部としてのあなたには、それが出来る。

もうあなたには個人的な責任がないからだ。
全ての人に責任があるのだから、特定の誰かに責任がある訳ではない。
個人の意識はどこにもなく、ただ集団意識だけがある。
あなたは群衆の中に後退し、動物のようになる。

群衆はワンネスの感覚に対する偽りの代用品だ。
その状況に気づいている人、人間としての責任に気づいている人、
人間である為に生じる困難で骨の折れる仕事に気づいている人は、
どんな偽りの代用品も選ぶことはない。
彼は、ありのままの事実と共に生きる。
どんな虚構も作り出したりしない。

宗教や政治的イデオロギーは、
ワンネスの幻想を作り出す虚構に過ぎない。
ワンネスは、自我のない状態になる時にしか生まれない。

そして自我は、全面的に独りで在る時、初めて死ぬことが出来る。
完全に独りの時、あなたはいない。
その瞬間こそ爆発の時だ。
あなたは無限なるものへと爆発する。
これが、そしてこれだけが進化だ。

私がそれをレボルーション(変革)と呼ぶのは、
それが無意識的ではないからだ。
あなたは自我のない状態になるかもしれないし、ならないかもしれない。
それはあなた次第だ。

独りで在ることこそ、唯一の真の変革だ。
それには大きな勇気が必要とされる。

仏陀のような人だけが独りなのだ。
イエスやマハヴィーラのような人だけが独りなのだ。
それは、彼らが家族から、世間から離れて行ったということではない。
そのように見えるが、そうではない。
彼らは消極的に何かから離れようとしたのではない。
その行為は積極的なものだった。
それは独りへと向かう動きだった。

彼らは離れて行こうとしたのではない。
全面的に独りで在ることを探し求めていたのだ。

探究の全ては、独りで在る時に起こる、爆発の瞬間へと向かうものだ。
独りで在ることの内に至福がある。
そしてその時、初めて光明が達成される。

私達は独りではいられない。
他の人々もまた独りでいられない。
だから私達は集団を、家族を、社会を、国家を作る。
全ての国家、全ての家族、全ての集団は群衆で成り立っている。
独りで在れるほどの勇気のない人々で成り立っている。

真の勇気とは、独りで在る勇気だ。
それは自分は独りなのだという事実、
その他には在りようがないという事実の、意識的な理解を意味する。

あなたは自分自身を欺くことになるか、それとも、
この事実と共に生きることが出来るかのどちらかだ。
あなたは何生にもわたって自分自身を欺き続けることも出来る。
だがそれは、悪循環に陥るだけだ。
独りで在るというこの事実と共に生きることが出来さえすれば、
その循環は断ち切られ、あなたは中心へと至る。
その中心は神性の、全体の、聖なるものの中心だ。

私には、あらゆる人間が生得の権利として、
これを実現し得る時など想像出来ない。
それは不可能だ。

意識は個人的だ。
無意識だけが集合的だ。
人間は、自分達が個人となる意識の地点にまで到着した。

人類というようなものは存在しない。
ただ個としての人間だけが存在する。
それぞれの人間が、自分自身の個人性と、
それに対する責任を悟らなければならない。

私達がしなければならない第一のことは、独りで在るということを
根本的事実として受け容れ、それと共に生きることを学ぶということだ。

どんな虚構も作り出してはならない。
虚構を作り出せば、あなたは決して真理を知ることは出来ない。
虚構とは、事実を知ることが出来ないように考案され、
創作され、でっち上げられた真理のことだ。

独りで在るという事実と共に生きなさい。
もしこの事実と共に生きることが出来るなら、
あなたとこの事実との間にどんな虚構も存在しないなら、
真理はあなたに明かされる。

あらゆる事実は、もしそれを深く究めるなら、真理を明らかにする。
だから自分に責任があるという事実、
自分は独りなのだという事実と共に生きなさい。
この事実と共に生きることが出来れば、爆発が起こるだろう。

それは骨が折れる。
だが、それこそが唯一の道だ。
困難を通して、この真理を受け容れることによって、
あなたは爆発の起こる地点に達する。

その時初めて至福がある。
それが既製品として与えられるようなら、それは価値を失う。
あなたはそれを働いて得た訳ではないからだ。

あなたは至福を感じ取れる受容性を持っていない。
この受容性は修練からのみ生じる。
自分自身に対する責任と共に生きることが出来るなら、
修練が自動的に訪れる。

自分自身に全面的に責任を持つことで、
あなたは修練されたものになるしかない。
だがこの修練は、外側からあなたに押し付けられたものではない。
それは内側からやって来る。

あなたが自分に対して取る全面的な責任ゆえに、
あなたの取る一歩一歩は修練となる。
あなたはひとつの言葉さえ無責任に口にすることは出来ない。

自分自身の「独りで在ること」に気づくなら、
他人の苦しみにも気づくようになる。
すると、ただひとつの無責任な行為もおかせない。

なぜなら、あなたは自分自身に対してだけでなく、
他人に対しても責任を感じるからだ。

「独りで在る」という事実と共に生きることが出来れば、
あなたはあらゆる人が孤独であることを知る。
その時、息子は父親が孤独なのを知る。
妻は夫が孤独なのを知る。
夫は妻が孤独なのを知る。
ひとたびこれを知れば、慈悲深くあるしかない。

事実と共に生きることが、唯一のヨーガ、唯一の修練だ。
ひとたび人間の状況に全面的に気づいたなら、あなたは宗教的になる。
自分自身のマスター(主人)になる。

だが、それがもたらす簡素さは、苦行者の簡素さではない。
それは押し付けられたものではない。
醜くはない。
その簡素さは美的だ。

あなたはそれが唯一可能なことであり、他にはやりようがないと感じる。
こうしてものごとを放棄し、非所有となる。
所有したいという衝動は、独りではいられないという衝動だ。

人は独りではいられない。
だから彼は仲間を求めるのだ。
だが他人である仲間は頼りにならない。
そこで彼は、その代りに物の仲間を求める。

妻と一緒に生活することは大変だが、自動車と一緒に生活することは、
それほど大変ではない。
だから最終的に、所有は物へと向かうのだ。
あなたは人を物に変えようとさえするかもしれない。
彼らが人格や個性を失うやり方で、型にはめようとする。

妻とは人ではなく物だ。
夫とは人ではなく物だ。
自分が「独りで在ること」に気づくようになれば、
あなたは他の人達も「独りで在ること」に気づくようになる。

そうすると、他者を所有しようとすることは、
侵害することだということが分かる。

あなたは決して積極的に放棄するのではない。
放棄は、独りで在ることの副次的な影になる。
あなたは非所有になる。
その時には夫でも妻でもなく、愛する人になることが出来る。
この非所有と共に、慈悲と簡素さが生じる。

無垢があなたに訪れる。
生の事実を否定する時、あなたは無垢ではあり得ない。
あなたはずる賢くなる。
自分自身と他の人々を欺く。

だが、 在りのままの事実と共に生きるほどの勇気があるなら、
あなたは無垢になる。
この無垢は作り上げられたものではない。
あなたがそれだ。無垢そのものなのだ。

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中学生の事件 上村さん


あの事件は いくつかの大きなメッセージがありましたね


まず 彼の殴られた写真 報道でもありましたが その顔は笑顔です


彼は人気者だったよですね  犯罪を断ったのが殺害のきっかけかと言われておりましたが


NOという勇気


ゴダールも映画で NOということを 伝えておりました


NO それは 世界への否定 NO それは 現実への否定


YES それは 恐怖からの逃避 YES それは 孤独からの乖離ではないでしょうか


上村さんは あだ名が かみそんだったそうです 神SON 神の子ですね


リーダーとの会話は 唯一 アニメのLOVELIVEというものだったそうです

それ以外のアニメは だめだとか・・・


LOVE 自我と真我 そして神の対話は それのみでしょう


彼は 結束されて 身動きとれずに 殺害されたようですが これも まるで

キリストのようだと思いませんか?


全ては あなたへのメッセージです



もう一つ ドレスの色が 違ってみえるという 面白い報道を観ました


黒と青 それか 白金に見えるそうです


私には 白金にしか見えません 18%が白金で ほとんどの人は青黒だそうです


これは 脳の違いによって 意識の違いによって色が違って見えているようです


面白いですね


世界が幻想であるという そのものです









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ゴダールの新作を観賞してきましたが 非言語の世界

新世界の領域まで達していました


昨日 世界をありのままに見る 排泄物として見ると記載しましたが

同じことが 映画にもあり シンクロしている やはり鏡だなぁ・・・

なんて思いながら ゴダールが言語の領域を超えたことに

嬉しく感動した一日でした



ゴダールも映画にて 人間は世界を見ていない

犬の眼は 人間よりも優れていることを 伝えていました



私たちは 意味を概念を創りすぎてしまいました


今は(神への帰還を目指すもの) それらを破壊する時です


もし 今 あなたの周りに 何か問題だと思うことがあるとするのなら

それが 今の あなたにとっての最大の気付きとなります


もし認知症の人がいて記憶を失うことに恐れているのなら それが気付きです

記憶を過去を記憶する必要はあるのか? 本当は 失ってゆく方が正しいのでは?


もし耳が聞こえない 眼が見えない そんな人が周りにいるのなら それも同じ

もう外の世界を聞かなくていい 見なくていいのだと教えてくれているのです


人それぞれ 何かしら 解釈はあるにせよ 自分にとっての問題 反応は

真我への気付きでしかありません


恐れは自我の栄養となります 恐れることはありません


世界は意識です 恐れてしまうことは 未来に恐れを創ります


自我は依存が好きです 悩みも好きです とにかく なにか問題を探し解決しようとします


自我に意識をむけるだけ 悟りは遠のきます


毎日 少しでも多くの時間 意識を思考を停止するように心がけてみてください


あぁ 今 また思考しているな・・・ そんな感じで 見つめる意識を もう一人

つくってください


そうやって観察していくと 自我は弱ります


そして 判断してしまった時も 判断した自我を否定しないでください


どんな時も 否定はしないで ただ 判断しちゃったなぁ・・・ そんな風に観察してゆくと


だんだん 自分でリズムがつかめてゆきます


そして 私たちは 自動で 意識を操縦することができますから(思いこみ)

その作用を逆説的に利用していくといいです


毎日 世界はあるのか?空間はあるのか?私は誰か?

考える自分から 感じる自分へ  もう否定はしない


そういう言の葉を 繰り返し脳に言い聞かせると アップデートしていきます


普段の口癖なんかも じっと観察してみると 絶対こうだよ!とか普通はこうでしょ!とか

なにかしら 当たり前である 自分が正しい的な見方 世間の常識的な思考 概念が

いっぱい見つかると思います


それを じっと見ていると あ・・・ 私は こんなことも決めつけている・・・なんて

気づいてゆきます


車の運転や電車で 突然わりこみされても 何も感じなくなります


マナーがどうとか 言わなくなります



そして 段々 鏡世界の実感がわいてくると 否定しないの意味がわかります


否定が どれだけ 自分(本体)を傷つけていたのか わかります



でも わからない時でも とりあえず 否定はしない方がいいですよ


波動の法則でもありますが 因果応報 必ず もどってくるのですから







ゴダール パンフレット あらすじより


テーマはシンプル

人妻と独身男が出逢う

二人は愛し合い 口論し 叩き合う

一匹の犬が街と田舎を彷徨う


季節は巡り

男と女は再会する


犬は気づくと二人のもとに落ち着く


他者が個人の中にいて

個人が他者のなかにいる


そして登場人物は3人になる


かつての夫が全てを台無しにし

映画の第二幕が始まる

第一幕と同じようで それでもどこか異なる


人類からメタファーへと移り

犬の鳴き声と赤子の鳴き声で物語は終わる




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今の自分は 少し前の人間的自分から 遠く離れてゆく感じです


一緒に 精神磨きをしてきた友人が 今日 メールで 11歳の少年事件に

判断して反応する心があると言っていました


今の私には あの事件でさえ ただ 見る それだけでした


人間的感覚でいた私は 正義感もあり美しいものが好きでした

世界を平和にしたいと思っていた


けれど 今は よく分かります


こちら側にくると 世界が 窓の向こうの映画世界に見えてきます

それは 心の投影です


窓の映画劇場内にいると 世界でおきることに意味を判断をしてしまいます


しかし 劇場から退場すると 本当に違うのです


紗鳥の森に いらしてる皆様は 真我 無我 悟り そのような道を歩んでいる

方々だと思います


私は 予知 超常現象などを経て ヨガ ヒーリング あらゆる幻想世界を

歩んで今の境地に戻ることができました


しかし ここに居ることもできます 二世帯住宅が 完成したような感じでしょうか


いつ あちらに還るのか分かりませんが 次の自分(あなた)の為に 少しでも

書き残しておこうと思いました


________   線 これが 二極世界の思考です


線をひくことで 世界が生と死 善と悪 あらゆるものが生まれてきました


これは 判断する心によって生まれます


どうして判断するのか?自我はそう思うからです 自分を正当化するのが自我です


線の世界を円 ○にしてゆくことが 無分別の第一歩です



そうですね では この文字を見てどう感じますか?مَوْت 

感じませんよね?

意味を知らないからです


これは 死という意味です


死 この文字では 冷たいとか・・・厭な感じしますか?


それは 意味を知っているからです



では お手洗いにいって 排泄物を流す時 その物をちらっと見て

流しますよね?


排泄物に 感情ありますか? かわいそうだとか 思いますか?


ただ 流せるでしょう? 


この世の現実 出来事を 排泄物と同じように ただ 確認 意識から流す


これが 真の見方です


雑草を踏んで泣きますか? それが アリさんなら泣きますか?


雀なら? 猫なら? 人間なら?


あらゆるものに 固定概念があります その概念により人間は判断 反応をしています


今 何かに対しかわいそうと思うその気持ちが かわいそうな現実を未来へつくります


それをやめたら かわいそうな現実も消えます


道元さんの春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬 雪さえてすずしかりけり


相田みつをさんの雨の日には雨の中を 風の日には風の中を


宮沢賢治さんの雨にも負けずにしても 同じことを言っています


そのままを見るのです


痛い時は 痛いを感じてください 寒い時は寒いと感じてください


風邪にしても同じです なぜ人間は 風邪をわるいと思うようになったのでしょうね?


本当は身体にとっては 良いことが内側でおきているのに・・・


くるしいことは いやですか? 寂しいことが いやですか? それはどうして?


楽しいことだけをしていたいですか?



ありとあらゆる瞬間に疑問を抱くようになってください


そして いつの日か 己さえも 疑問にしてください


最後の最後 自我消しの最終段階には 私は誰か? この問いは 

最強です 私は この私は誰か? マハルシの教えを何度も問いました


自我は燃え尽きます








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今年2月に 突然 津留さんを再読し 津留さんが光になる直前

最後の講演CDを聴いていた


1999年の講演 あの年は 今 思うと確かにアセンションが起きている


当時の私は まだ未熟であり卵状態であった


エヴァンゲリオンも流行しノストラダムスの年でもあった


1999年の津留さんの講演では 2012年 人間は二つに分かれ

今までと同じ世界を生きる者と 新しい人間への道に進む者になると言っていた


そして2013年 個であるという意識はなくなってゆき時間のない世界に突入すると


16年の時を超え 今 津留さんのメッセージの通り 自分がいることに納得する



そして 津留さんの生誕日でもあった2月22日 にゃんこの日

私は 高熱をだした その後 気づいたら 自我が燃え尽きていた

まだ 少しは居ると思うが ほとんど感じられなくなった


先日 相方と映画のDVD観賞をしていた際 なぜか 字幕と日本語が3分おきに

交互になるという 不思議な現象がおきた


元々 私よりも 温厚な相方が いらだっていたのに 私は 何も感じておらず

ただ 映画を静かに鑑賞していた 

以前なら 私がいらついていたであろう


記憶の遠のく父はTVを見る際 チャンネルを 永遠に変える

リモコンは宙に浮いたままで チャンネルがとまることはない


以前は これにも 少々 いらだっていたが 今は 何も感じなくなっていた


姉にしても 今朝も 大量メールがさっそくはいっていたが 相変わらずなにも

感じない自分がいたし どんな質問 愚痴にも 淡々と答えていた



昨夜 瞑想をしていて 新たに気づいた


人間の身体を 透明な容器に例えると 自我は容器の中 空間に漂います


自我というのは総称で 想念 意識の数だけ ミニ自我が存在します


自我という霧が容器の中に充満している状態が普通の人です


そして充満した容器は その容器自体が本体であると思います


浄化とは 自我を消してゆくことですが 霧をとる掃除機のようなものかも・・・


ヨガ 茶の湯 華道 芸術 何でもいいのです 自我というものに意識が

向いてゆくことが 最初の掃除になります


どんどん霧が晴れてゆくと その奥に何かいることが分かります


完全に霧が晴れた時 背中側に ぴったりと 小さな 小さな存在 眼があります


そうですね ど根性かえる ぴょんきちさんみたいに ぴったりと 張り付いています


そして その小さな眼(これは 実は大きいのですが) 世界は反転しておりますので

小さな眼から 身体の内側が見られるようになります


その内観は 私は まずギリシャ神殿とエジプト ピラミッドを彷彿しました


その眼から ぐーんと意識を 上昇させて身体の目(窓)の外を見るようになります



それで 昨日 分かったのが この小さな眼が どこに繋がっていたかといいますと


その眼のドアの奥には 無限の世界がありました


入り口はピラミッドでした



あれ? と思い 絵に描いてみると フリーメイソンのマークになっていました




あれれ? フリーメイソン モーツアルト魔笛?と思いだし・・・



あれれ? 魔笛は3 3つの試練 最後に神殿に入る・・・



あれれ? これって 今じゃん! 全て 内側じゃん!って 



この世界は夢のまた夢なんです



ややこしいけど  まず 背中が入り口なんです 

この外が現実 


入り口にいる 小さな小さな存在が真我 でも この小さな存在の居るところは

すでに夢の入り口


そして 空であるスクリーンに 無数の自我が発生した


それが映し出されたのが現実という 夢のまた夢 現実は鏡になっていて・・・


あぁ・・・・書くだけでも こんがらがりそう・・・ まさに鏡の国のアリスです



とりあえず いつか この境地にくる人の為に 書いておこうと思いました



  

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マハルシの言っていた ただ 在るという感覚が 今はよくわかります


早朝から 姉のメールに対応していて 在りし日の自分だったら こんなに

常に 何もなく 穏やかでいられなかっただろうと 思い出しました

そして いつの間に ここまできたのだろう・・・ そう感じました


姉との対話は 自我的には つっこみどころ満載ですが 今の私は

何も感じません


Aが姉 Wが私


A 眠れません つらいです 


W 眠る必要があるのでしょうか?

眠れない その状況にただ いなさい


A 障害者施設にいます

そこも 追い出されそうです 助けてください


W その状況にただ いなさい

助けてもらえません どこにいても同じです

お経 感謝 ただそれだけをしなさい


A 文字がうまく書けません


W うまく書く必要がありますか?


A 人と話せません


W 私は毎日 瞑想して過ごしています

人とは 滅多に会話しません 


A 捨てるものが分かりません 掃除がすすみません


W 1年使っていないものは いらないものです

考えずに 捨てなさい


A くるしいです 助けてください 


W くるしいと思うのは誰ですか?

楽しいことだけをしてきた結果 そうでないものを今 見ているだけです


A 見たくありません 助けてください


W エゴに意識を向けると エゴはどこまでも増えます

ただ 今 起きることを見る ただ見る そこにいなさい


それしか道はありません


今見ている世界は 例えるのなら お菓子を好きなだけ食した

後のゴミを 見ているだけです


A こんな意識の低い私とメールしてくれてありがとうございます


W 私には 判断する心がもうありません

低いとか高いとかは 存在しないのです ただそのものを見ています


A 自我の掃除にかかります




このような感じで対話していました


以前の私なら 心の中も 頭も もやもやしていたことでしょうが


今の私は 少しも変わらず 平穏でいられました




エゴはEGO エッジングゴッドアウト つまりは自我(鋭い思考)が

神を追い出すのです


ただ 静かに 瞳を閉じ 瞑想していると そこに本当の自分が見えてきます


誰でも いつか その源へ還ります


身体が神殿だという意味も実感できます


そうなった時 世界が まるで 家の中(身体)から 眼(窓)を通して

見ているだけだと分かります


小さな小さな私が中にいるのが見えます

その眼で 大きな神殿の外を見ることができるようになります

窓を見ない時 音で 嵐だとか雨だとか鳥のさえずりが ただ きこえてきます



空間ができると どんどん神殿の内側が見えてきます


今の私のように 必ず 見えてきます


だって あなたは 私なのだから


私がなったのだから あなたもなるのです





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自我という意識で 言の葉を紡ぎ その限界を感じ もう書くことは

できないと思っていた


だが 今 私は また 違う私という存在で 今ここに存在し書いている


自我が弱くなるにつれ 本当の自分が強くなってゆく


どんなことに対しても 感覚が違ってきている


昔の感覚を忘れつつある


私には 20年間 助けを求め そして助けてきた姉がいた


姉は 好き放題の人生を送ってきた


他者に求め 厭なことは何もしない 自我に埋もれ 結婚し 子供を3人もち 

家を買い 猫 犬を飼い

人間的な暮らしを 物にあふれた暮らしをしてきた そして 20年かけて 苦しみを

増やし 精神隔離施設に数度入院し薬まみれになった


その姉を 昔の私は 自我は すぐに問題にしていた

自我の固定概念で判断し こうしないといけないと思考していた


けれど 今は もう違っていた


数週間前から 姉は 私に大量のメールを 送ってくるようになった


自我最終放棄を開始したあたりからだった


その数は一日で100を超えた


内容は 助けて 助けて お願い 助けて 地獄だ 死にたい 苦しい


そういう言の葉が 永遠に続いた


昔の私なら その言の葉に反応したが 今の私は違っていた


その言の葉に判断も意味も反応さえしていなかった


むしろ 滑稽にさえ思えた 下手な役者をみているかのような気持ちであろうか・・・


今朝も 姉のメールは早朝から 私は猫を二匹捨てました 家族にひどいことをしてきました 感謝など忘れていますとか 自己否定と懺悔が綴られていました


昔の私は 猫を捨てるなんて!そう思ったに違いありませんが 今の私は それに対しても判断 否定を 一切しませんでした


完全に 私の中で 自我は 力を失っていました



そして 姉に対して 昔の私は 知識を教え 意識を変えようとしていましたが

今の私は 何もしません 


彼女が会いたいと 何回もお願いしても 私は会いません

断り続けました 


電話したいとお願いされても したくありませんと断りました


彼女が死にたいと言ったら 私は 死にたいのが願いなら そうしたらいいと言いました


死にたい 死んで幸せになると思っているのなら そうしたらいいと言いました


私の意識が完全に変わり対応が変化したので 彼女は 死にたいのは生きたいからということに気づいたと言いました



そして 次に変化した彼女はどうしたら 地獄から抜けられるのか 訊いてきました


私は その意識をとりなさいとだけいいました


彼女は 多くの自我を 私に見せてきました


孤独です 子供が旦那が厭です 寂しいです 苦しいです 思考できません

食事ができません 話ができません 眠れません


たくさんの できませんを 私に告げました


昔の私なら その言の葉に耐えられず 負のエネルギーを受けていたことでしょうが

今の私は 何も 受けず ただ その空間に存在することができました


私は 言いました


幸せとはなんでしょう? 世界は鏡です 意識です

考えるのをやめなさい 歩きなさい お経を読みなさい 感謝しなさい


相手が どんな状況 人であれ 同じ意識を伝えました

以前の私は この人に言っても分からないだろうと判断していましたが

結局 判断していたので 理解できない人がいただけです


彼女の発言に対し 心から 私は 何も感じなくなっていました


かわいそうとも思わない 自業自得だとも思わない 助けたいとも思わない


だからこそ 20年過ぎて 彼女は 初めて 変わりたいと思っています

そして あまりにも多い ゴミ屋敷のような自我を消したいと思っています


20年 何もしなかった人が 20年ですよ





そう これが鏡の世界の真相です



どんな出来事も もれなく 自分の心が創造しているのです


世界を平和にしたいと願う心が戦争をうみだします


かわいそうだと思う心が不幸をうみだします


救いたいと思う気持ちが 困った人をうみだします


全ては 自作自演なのです



意識の階段はどこまでも どこまでも 自我がなくなるまで続きます


今の私だからこそ 書ける言の葉がここにあります


私たちの中には たくさんの小さな自我が在ります


それを映し出しているのが世界です


否定するもの 反応するもの 人 出来事 それこそが あなたの見逃している

自我ですよ


厭だと思うことから 眼を放さずに 正面から向き合っているとね


厭なことは消えてゆきます これは体験済みですので 本当です


もし嫌いな芸能人がいたら その人の動画を ずっと見てください


嫌いを味わい尽くしたら 何も感じなくなりますから



意識の螺旋階段をあがると 同じ言の葉の意味は 意味を変え 意味を変え

それを繰り返します


どんどん変化します それがパラレルワールドということだとも分かる時がきます









いま ここ以外 どこにもない


簡単すぎて難しい パラドックスな世界


いま 今だけに集中する  いつか 皆が その意味を

理解する時がくる


今というレンズ カメラで撮影された過去が現実


現実は 過去の写真でしかない幻想


その幻想を眺めることは 死体を眺めることと同意である


現実とは死なのだ


排泄物なのだ


この言の葉の意味が 段々理解できる日が 必ずくる


世界は 一人でしかないのだから



誰かを救いたいと願う気持ちが 救いたい人を創造している


誰かをかわいそうだと思う心が かわいそうな人を創造している


善だと思いこんでいる概念が 悪という概念を創造している


全ての判断を捨てさりなさい 


身体も心さえ あなたではないことに いつか気づく時がくる


このパラドックスに気づいたものだけが  ここに天国を創造する


どこにもない NOWHERE その意味そのままに 天国はどこにもない


NOWとHEREの間に空間を作る つまり無でいること 今ここでいることで


ここが天国になる



今 ここ  天国は ここにあるということを 理解しなさい




https://www.youtube.com/watch?v=3hRBDfB_Niw&list=RDMM3hRBDfB_Niw

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