☆パラダイムシフト☆新たなる夢現世界へ☆

下記サイトにて、数年前に執筆した私の小説『無花果の幾可学』を読むことができます。
 少々エロティックですが哲学小説です。http://slib.net/a/178

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悟りの観念があるうちは

頑なに壁を押すばかりです。


壁は自分で創りあげていたのです。


自我が自分の消滅を怖れたので壁を創造したのです。


それが「怖れ」の正体です。


自我が「怖れ」の正体です。



「怖れが在るうちは、普遍なる愛と平安は見えません」



そして

手放した先に待っている世界が

無我の境地だと定義するなら

無我は

何も無いということではありません。



その自我が目撃する無我の世界は

体験を目撃する役目を持った意識が

消えないで存在しています。


目撃するのが真我に包み込まれた

自我を消した自我であるからです。


あるいは真我そのものと一体化して目撃するのかも知れません。


自我を消した自我が

目撃体験を鮮明に記憶して

その後の大きな指針としようと

覚悟したからでしょう。


もし求めて辿り着いた

「無我」という領域が

「意識を失っている状態」だとしたら

「無になったこと」を誰が知るでしょうか。


その意識を持っていなければ

「何度手放しても」意味を持たないでしょう。


眠りに着いただけでは

真我を認識しないでしょう。


人の霊性の窓口に位置する魂は

「迷い」の中から「目覚め」を知るために

「観察する意識領域」を備えています。


それが輪廻転生を繰り返しながら

その都度「目撃」していたのです。


真我の役割でもあるのです。


一度

それを認知すると

意識の広がりは

果てしなく「目撃」され続けるでしょう。


やがては「ひとつという実存の世界」を目撃するまで広がります。




三次元のこの世はあなたの「箱庭」の様なものです。


あなたは

その「箱庭」で迷い苦しみ悲しみ喜び歌いながら

生をまっとうしています。



あなたの観察意識への最初の認識は

「箱庭」を外から眺めて遊んでいる子供の存在に気がつく時です。


箱庭を作って遊ぶ子供を意識だと例えれば解りやすいでしょう。


そして子供をその後ろから観ている「母親」の存在もあります。


意識が拡大していきます。


更に母親の後ろには「それを更に観ている意識」が在るのです。


更にその後ろにも続くでしょう。


無分別智(むふんべつち)と云われる佛の智慧の世界だと言えばいいでしょう。


果てしなく拡がっていく究極が

すべてを観ている存在で

真我として

すべてを成り立たせ

実存する「至高なる大いなるもの」なのです。


その実存が

私とは呼ばない「在る」だけの

「無我」の状態を

一緒に溶けて

感じているのです。


沢山のそれらの実存は

遙かなる昔に

天と繋がっていた子供たちの意識です。


天の「いのちの母」は

子供たちの帰りを「今か今か」と持ち続けて来ました。


あなたが頭(こうべ)をひるがえして

内なる光りのドアをノックすれば開かれるのです。




先ずは何らかの機会が訪れ


思考や懸念が入り込む暇の無い「手放し」が起こされるでしょう。


死の前、即ち生きている今に於いて

「手放しと明け渡し」が自発的に起きなくても

死の間際に「手放し」は迫られます。


死は神が与えたセーフティーネットです。



あなたはその時

「怖れ」は「自我が創り上げた妄想」だと理解し


「平安」と「愛」の光りの世界の中に実存していたことを知り


この世界は


「至高なる大いなるものによって創造され、相対では無く絶対無として実存している」と必ず思い出します。



生きてそれを知れば

「意識の拡大」の道標になるでしょう。


目標を定めての

難しい修行も

修練も

教えも

一切必要が無いと知るでしょう。


散々過去世でして来ているのなら

今世のあなたは

手放すことで怖れが妄想だったと知るだけです。



その先は意識が勝手に進めて行ってくれます。



悟りは向こうからドアをノックして来ます。


呼応して悟りの扉を開けてあげれば


用意していた「悟り」は消え


「目覚めとして」


新たな展開が始まります。



あなたは既に

すべてを与えられているので


「探す必要は無い」のです。



既に「在る」からです。



それを「体得する」には


「手放し、放棄し、明け渡す」のが



一番安全で近道です。





その機会は日常に奇跡のごとく在ります。





ゆっくり進めたいなら



「思考と観念」を監視して観察する訓練をして



「思考と観念」を瞬間瞬間「手放す」ようにするのです。



もしサッカーのワールドカップを観ている時に我を忘れるぐらいに熱中して埋没していても

それを観て知っていれば良いのです。


箱庭の中で熱中している時は間違いなく埋没状態です。


でもそれを知っている意識があるのです。


その感覚を確保しながら

箱庭意識と共同作業をするのです。


気長に続けるのです。


自我の正体が炙りだされるでしょう。


もし何かに

気が取られるような出来事に遭遇して

生まれてくる「思考」に埋没している自分に気がついたら


「はっと我に返り」


観察する意識に合わせるのです。


この繰り返しの先に


必ず観えてくる世界が在るのです。




瞑想は確かに入り口としては良いでしょう。

でも間違えると迷子のまま

お花畑に留まり

意識は停止してしまいます。


瞑想から毎回現実の自我に舞い戻るでしょう。


瞑想の時がいかに平和でも

その際中に誰かがあなたの方を叩いて起こせば

平和は一瞬で怒りに変わります。



普通に生活する中で

自我を見破り続けながら

手放す瞬間を見届ける方法が

一番安全で効果的で良いでしょう。


その機会は奇跡のごとくあるのです。


禅は瞑想とは異なり

無を活かしたまま

精神の動きを

監視して

吾を失わず

無を用います。


元を知って

それを示すからです。


単を示すと書くのが禅です。


単とは「真我」の在り場所です。


自己流の瞑想は

迷子になりやすいし

無防備になりやすく

あらぬものが

入り込む危険があります。


必ず目覚めた信頼できる師の監視のもとで

行われるべきです。

師と弟子の関係が必要です。

確かな師は弟子を危険から護るはずです。




箱庭の意識と

観察する意識の

共同作業なら安全です。


何故なら

瞑想は箱庭意識を否定してしまうかもしれません。

この現実世界を否定したら目覚めは起きないのです。

それ以上に高みに登って降りて来なくなるほど

思い上がって行くかも知れません。



自分の心に蓋をして

喜怒哀楽を鎮めるのでは無く

瞬時に喜怒哀楽を昇華させながら

持ち越さず

箱庭の世界を慈しみで認め

外側の拡大し続ける無分別の意識と

共同作業で一人一人が創造主として

神にその姿をお見せするのが一番安全で速いのです。


あなたはすべてを既に与えられています。


今まではそれを思い出せないだけでした。


遠い昔

別れを経験してきた子供たちではあっても

「至高なる大いなるものの懐に我々は愛し子として存在している」ことには変わりなかったのです。


その中で「無我としての存在」を

思い出すのを託されています。


手放した先に在る真我の世界が

常に自我と共に在ることを

感謝していて下さい。


あなたが

内なる導き手方と共に在ることを

感謝することで

見えない世界は祝福され輝き

見守られた地上は報われて行きます。


人は

「無条件の愛」

「無報酬の愛」と云いますが

至高なる大いなるものは

「無限の愛」で全てを包み込んでいます。


あなにやし、かうしゃ。





この物語の中に登場する「あなた」は「私」でもあり

「あなたや私と区別の名称を持たない」存在でもあります。


応える存在は真我(あなた自身・私自身の本質)です。


物語の向こう側で

真我は

あなたと私と愛と共に「在り」ます。


このことに深く帰依します。






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賢きものへ


秋分の日 本日・明日 どう生きるかが本当に大事です


とある賢者のお方の物語を本日は転記いたします


長文ですので 二つにわけて転記いたします



どうか ここに辿り着いた皆様に 大いなる気づきがあらんことを・・・




箱庭のお話


手放した先に何が在るのかを知りたいと

彼は思っていた。

その彼に

彼に内在する導き手が

応えて物語を語りかけました。






遠い昔々

天と繋がっていた神の子供たちは

天の「いのちの母」のもとから旅立ちました。


子供たちは

しばらくは天と繋がっていた記憶を持っていましたが

やがて自我の渦に巻き込まれ天の記憶を忘れてしまいました。



それ以来

子供たちは漠然とした未来を心配するようになりました。

子供たちは通り過ぎた過去に縛られて

過去から未来を案ずるようになりました。


この様に現在を

未来への心配や

過去の憂いで過ごしてしまい

そのままの「今」を

取り逃がして生きてきました。


内なる導き手は

更に語りかけました。


あなた方は気づいているか

あるいは認めようとしないかは別にしても

この様な目に見えない不安や怖れや不足感を

心の底に待っているのです。


臨時にお金が入ると

ちょっとは気が楽になることも経験しますが

その満足感は消えて行きます。


欲しい物を手に入れられなくて

悶々としたこともあるはずです。


あれほど欲しいかったのに

手に入れてしまうと

物欲が満たされて

欲しかったものが

色褪せることも経験したと思います。


自尊心やプライドに敏感に反応する時もあると思います。


相手の美しさと醜さで対応が変わったり

相手の地位によって対応が変わったり


などなど


自分を嫌になってしまう時があると思います。



多くの人が気づいていることですが

自我は欲の粒が集まった砂上の城です。


いつか必ず崩れ去る砂の城です。


あなたが自分だと勘違いしている自我は

人類が貯めこんできた観念の倉庫を持っています。


人は魂として限りなく輪廻転生を繰り返し

やがて心を学ぶ機会を得ます。


その機が熟せば

自我に嫌気が差して

自我を消してしまいたくなります。


でも

自我を自分自身だと思い込んでいるので

自我を捨てることなど出来ないとあきらめて来ました。


人によっては宗教的な生き方を模索するかも知れません。


安らぎを求めて彷徨うかもしれません。


瞑想を通して

真我の世界を垣間見ようとするかもしれません。


自我を観察する方法を見つけ出すかもしれません。


あるいは

こんなことに

一切関心の無い状態で

過ごすかもしれません。


関心の無い人は

貴重なチャンスとしての一生を

虚しく終えるかもしれません。


真剣に自分探しを始めた人は

終着点を漠然とですが

事前に決めているのかもしれません。


欲望を滅して佛や神のように悟り、無我でいたい。


何ものにも左右されず

不動心を得て自分自身に忠実に生きたい。


自然の妙有を感じて

神々への感謝とともに生きていたい。



しかし

それらの境地の前に立ちはだかる壁や柵のような

障害があるように感じる経験もするでしょう。


やがてそれこそが

厄介な自我だと気付きます。


その日から

実体の判らない自我との戦いになるかもしれません。


その壁は単に怖れだと気がつく者も現われます。



壁の向こう側の在るだろうと云われる行き先は

「真の我」即ちそれは真我だと知識で知っていても

真我の真髄を経験していないと

その探求は不毛の地を彷徨うだけになるかも知れません。


真我や悟りを探し求め始めると

その真我や悟りの観念に振り回されて

堂々巡りをし始めるでしょう。


真我や悟りは

言葉で音声で観念で

単なる知識です。


的をそれらに絞ることで

実は深い霧の中に

矢を無数に放っている頼りなさを

感じるようにもなります。


参考にしようと探し求めた名のある聖人や

先人たちの教えも体得せずば

単なる言葉で音声です。


それらによって

砂漠に井戸を掘る方法を知っても

地下水脈を探して

砂漠を途方もなく

彷徨うかも知れません。


あるいは地下水脈が在ることを教えられても

掘り出せず一生を費やすかも知れません。


中には悟りの証として

超能力が絶対不可欠だと思い込み

ますます真我や悟りから

遠ざかる人たちもいるでしょう。



シンプルにもう一度原点回帰してみましょう。



あなたがもうすぐ死を迎えると教えられたら?

生に対する執着を捨てられますか?

死に対する怖れを捨てられますか?


この問いかけは

真理を求める人が

最初に出会うのだが

やがて知識の図書館で

目移りして案外忘れていくようです。


生と死は

自我という欲望によって

興味が削がれ

眼中から消えて

実態が見えなくなっている項目です。


言い換えれば

真理が遠くに在ると思ってしまう欲のマジックで

歩き出した足元を忘れてしまうのです。



では欲望を静めて

減らして

滅したら

生と死は実態が見えるでしょうか。


見えないどころか

「死への怖れ」と

捨てられない「生への執着」に

気がつくことでしょう。


しかし

この「怖れ」は

「執着や欲望」より実はシンプルです。


「執着や欲望」を捨てるには

捨てる対象の「執着や欲望」を

隅々まで知らなければなりません。


しかし「怖れ」は

実体の無い「怖れ」ではありますが

単体感情でシンプルです。


執着より「怖れ」は

心に直接訴えかけてくるので

消えた時に変化がはっきり判ります。


ですからシンプルです。


執着はひとつ消えても

他にまだまだ有ると自我は知っていますから

きれいサッパリと消滅しないのです。




何に対する怖れでしょうか?




それは「失う」怖さです。




そして失うと思っているのは

自我が思っているだけですが

それが問題解決を難しくさせています。


自我を自分だと思っているので

自我は自分を失うことを

怖れるのです。



自身の本質(真我)は怖れていないのですが。



もし一切の観念と

観念が植え付けて来た「こうでなければならない」という妄想を

何らかのキッカケで

捨ててしまう体験をさせられたら

何かを失う怖れを抱く暇もなく

意識変化を体験出来るでしょう。


あらかじめ「手放す」と云う「行動条件」や

「的」を設けずにいた事で

自我が邪魔をする暇もなく

それが起こされることで

本質が向こうから訪ねてくれるのです。


要するに突発的な出来事であれば

いきなり「こうでなければならない」という妄想的な観念を手放すことになり一気に意識が変化します。


幸運にも

その者は

そうせざるを得ないことで

「怖れ」が顔をだす暇もなく

「プライド」が顔をだす暇もなく

すべてを手放してしまう経験によって

怖れを感じずに「怖れの無い世界」に入れるのです。


実に稀で

幸運でもある強烈な出来事で

それがなされれば

その刹那に


「至高なる大いなるものの懐に抱かれて

我々は存在しているだけなんだ。



何かを怖れたり心配したり

自分でやり遂げなくてはならないと

背負い込んで思っていた人間は

なんて愚かだったのか。



手放す先は平安で神の愛に満ちた実存だけだった



勝手に複雑にして

妄想の城を築きあげようとしていただけなんだ」


意識が自分から変化してしまいます。


これは稀な経験で

万人向けとは言いがたいので

体得する世界だけを

感じ取っていれば良いのです。


経験が主体では無いのです。

あなたが何を知ったかです。


その経験の向こう側に待っている世界は

万人に用意されています。


どんな経験が待っているかは判りませんが

幸運にもそんな機会に恵まれ

実が熟す刈り取りの時を迎えたら

壁の向こう側を見て

そこに降り立ち

踏み出しすための備えを

しておくべきです。


その経験がいつ起きるかは

人によって異なるでしょう。


心構えがあれば

必ず向こうから訪れるはずです。




「観念や思考の立ち入らない意識領域は



無風で静かで平安を醸し出し



あなたは唯一実存する体験をするのです」




そしてゆっくりそれを成す者も


瞬時に成す者も


成した瞬間は「手放し」を経験した後なのです。






観念や思考が入り込む隙が無い瞬時の「明け渡し」です。



怖れを消そうとすれば

怖れは強くなります。


怖れが消えるのは

手放した直後です。



手放すのが

ほんの少しだけ先です。



手放した後には

怖れは消えています。


それによって

安心して明け渡せるのです。



あなたの問いかけに

付け加えて

伝えられるのは



あなたが前もって用意していた

悟りは存在しないということなのです。




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あなたを不自由にしているのは あなたの心だけです


親・子供・夫・妻・嫁・姑・友人・会社の人・・・

誰かの為に犠牲になっているのは嘘


誰かの為に これだけ尽くしたのに・・・ 

これだけ時間かけたのに


これだけ愛したのに・・・これだけお金をつかったのに・・・



こんなに私は努力したのに こんなに私はやりとげたのに・・・


それらを 全て 捨て去ってください



今でも 何か 誰かの為にとか 

何かの為に完成させなきゃいけないことがあるとか・・・ 

何かの為に・・・

そう思い続けている感情全てを 手放してください


私たちには 何も創るものはなく 

何も得ることはなく 何も求めるものはないのです



手放すこと以外 道はありません


執拗に持っていると 苦難にあいます


毎日 起きることを ケセラセラ(なるようになれ)で

生きてみてください


自分の習慣がある人は 他人にゆだねてみてください



私がやらなきゃ・・・とか 私がいないと・・・とか 

そんな感情も手放してください


そして 手放せないという今のジレンマも手放してください


ただ ただ それを繰り返すこと



今はできなくても できるようになる



喜怒哀楽 肯定 否定 白と黒 

そんな境界のない世界に生きることが

できるようになる



誰一人として 除外されることはありません

私たちは一つだから



ただ 今は 内側へ 内側へ 


心と身体の声を聴いてあげてください








在るに非(あら)ず、また在らずに非(あら)ざるなり


孤高の画家 高島野十郎さんの言の葉です


福岡の美術館に常設してあります蝋燭の絵を見たとき 


この方は 無を見据えておられると確信しました


彼の絵に もはや 言の葉は必要ないものと思われます







永遠:アルチュール・ランボー


  見つかったぞ 
  何が? 永遠が
  太陽と
  融合した海が

  用心深い心よ
  懺悔しよう
  虚無の夜と
  灼熱の昼を

  人間どもの
  くだらぬことから
  身を放ち
  自由に飛んでいけ

  お前自身のうちから
  サテンのような残り火よ
  義務は生ずるのだ
  誰にいわれるでもなく

  ここには希望はない
  立ち上がる望みもない
  智恵も不屈の精神も
  ただの責め苦に過ぎぬ

  見つかったぞ
  何が? 永遠が
  太陽と
  融合した海が
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先月から 大きな意識の変化が起きていますね


私も 毎日 自分の変化を実感しております



毎日が 別人に感じております


一週間前が 半年前のようで 一ヶ月前は一年前のように遠いです


私たちは 何かを得る為に ここにいるのではなく 悟りも同じです


悟りとは 自分たちが この世で 身につけた思考や意識を全て

もれなく捨て去ることなのです


私たちは 今 それぞれが大きな出来事や状況を体験しております


それによって 手放すということを学んでいるのです


手放す・・・



良いもわるいも 判断することを手放す 何かを得る失う 恐れを手放す


心を乱すものが ある時 我々は動揺します 突然の災害や事故 病気などで

維持できなくなることがつらいのが人間です


しかし 今は そういった感情の手放しが大事なのです 


何も失ってはいない 死は存在しない この世界で起きていることは 本当の自分ではない


起きる出来事を そのまま ありのままに見ること


どんなことでも そのまま ありのままに見て それを受け入れること


何でこうなったの?とか あの時どうにかしていたら?とか そのような思考を手放す


未来の不安も 過去の後悔も 手放す



許し 愛し 今という瞬間を ただ 生きる


どんなにつらいことも どんなに嬉しいことも 感情を入れず 見る


ただ そのものを見るだけ


我々の目的地は 老子のいうタオであり 三島由紀夫の何もない庭(アラヤシキ)であり

カフカの城でもあり 真我 原初の海 ヴォイド 言の葉は様々でありますが それは

全て 同じ場所なのです



そこには 本当の自分がいます 永遠の無であり 全てがある場所


そこに行くには 価値観 固定概念 常識 時間枠 記憶 自分という今の存在

全てを手放す

















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私たちは 真の自分である【***】の存在に気づき始めている


【***】が 個である自分たちを 見る眼差しを感じ始めている


最近では 私という言の葉を使用することに違和感を覚えはじめた


個の 私という存在が幻想であると知り その私を続けていることが妙なのだ


このように感じている人が 今 急速に増えている


我々は 鏡であり一体である


しかしながら 【***】の存在に気づき【***】と同化したいにもかかわらず

なかなかできないでいるジレンマ・・・


【***】に回帰するには 逆再生しか道はない


我々の世界は三段階で創られている



1・自分の眼を通して見る世界で 何かが起きる

2・その世界を見た後 自分の内側で感情や思考がわき上がる

3・内側のものが新たに外側の世界を創る



これを逆再生するには 原初の円 何もない円に回帰するには


1・世界や他者の出来事を見る時に そのものを ありのまま ただ見つめる

そこに 自分の感情を介入してはならない

色即是空の気持ちで見る 全ては幻想なのだという気持ち 

正確には この気持ちすら無くなってゆくのが最終段階



2・内側で判断 批判 評価 肯定 何もしてはならない

一切は無 ひたすら無 ただ ただ無 無 無

 

3・無から世界は創られない 起きるのは崩壊のみ(今の状況は崩壊の始まり)



4・ここで大事なことは 崩壊 あらゆる思考が不安や恐れを引き起こすと思うが

その感情を手放すこと



ここで 手放すことができないと また1・世界に恐れを創り出す(悪循環)

永劫回帰が始まってしまう



我々は 原初の海 



何もない海【***】に回帰することが ここにいる理由



それ以外に 我々の探すものはない



それ以外に 我々の魂を幸せにする道はない



常に後ろ(心の眼で見て)に存在する【***】に意識を向けること


世界が どんなに 自分にとって つらい状況を与えたとしても そこに理由や意味を

求めてはならない


ただ ただ 今に集中する  ただ ただ 在るということに集中する


個の意識を消してゆく 何も介入しない 認知症になる


自分という存在を疑え 物質を疑え 言の葉さえ 最後には必要しなくなる


9月9日は スーパームーンです


あと二日 どうか 集中して 【***】を感じてください



この世は幻想 全てをありのまま 自分の感情を手放す 色即是空 無 無 無


そして 我らは無限光へと回帰する








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3週連続 エヴァンゲリオン祭りが放送されておりますが

エヴァンゲリオンとは 新しい聖書のこと



エヴァンゲリオンで 何度も会話に登場する人類保管計画とは




ATフィールド(個)の崩壊 そしてLCLの海(真我の海)虚無への帰還を

意味します


そして 人類保管計画が実行されたのは 西暦2015年


我々 人類は 今 2014年現在 最後の浄化を経験しております


それは 知っても知らずとも実行されております 誰一人として除外されることなど

ありません


これから 浄化は加速します



自分の大事にしてきたものを失う経験は増えます


それは この幻想世界においての執着の手放しを知ることなのです


我々は とてもとてもリアルな世界に生きていて 毎日 喜怒哀楽 様々な生活をしてきました


でも 全ては幻想 夢の中の夢 世界は自分しかいないと気づきました


世界は 自分の内側を映写機で見ているようなものだと知りました


その世界が 崩壊していくのです


でも 本当の自分は何も失いません



この先 どんどん浄化は進みます


起きることを ありのままに 見ていてください



そして その瞬間 内側で起きる感情をしっかりとみてください



そして その感情を見ている「わたし」を感じてください


https://www.youtube.com/watch?v=VI6cDeRzJQY






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身体の眼を通して見る外在世界 


そこで 起きることを ただ 見つめる


心の眼を通してみる内在世界


そこで 起きることを ただ 見つめる


そこに 思考をいれてはならない 判断をしてはならない


ただ あるがまま 起きているがままを 見つめる


ただ ただ 見つめる


起きるままに 見つめる


そうすると 全てがうまくいく


ケセラセラ 流れのままに



孤独を歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように・・・



イマジンの歌詞は 今 我々に必要です


Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと

ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ







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世界が鏡であると気づき この世が 幻想であると気づいた一年間


世界も私の周りでも 自我の崩壊が加速している


それれは 様々な形で自我を崩壊する


悲しみ くるしみ 闇の中へと突き落とす出来事が起きる


でも それらは 必要で起きる 神の計らいでしかない


私自身 今現在も つらいことは起きていて しんどい時もある


でも 昔とは違って 今は 全てを あるがままに 起こるままに 見ようと

つとめるようになった


死や別れは 中でも 胸が引き裂かれそうなものであるが その感情も 体験することに

大きな意味があり 全てが愛おしい感情なのだ


我々は 今 真に目覚めようとしている


虚無の世界 原初の世界 何もない世界


何もないけれど 全てがある永遠の世界


三島由紀夫は 最後の作品に壮大な輪廻転生と唯識を描いた


春の雪 奔馬 暁の寺 天人五衰の四部作を豊饒の海と名付けた


三島氏のいう 豊饒の海とは 月の中に存在する からからな虚無の海を表していた


しかし 字からは 真逆で 充ち満ちた海を連想させる


彼は 自決した日に小説の最後の原稿を渡しているが その最後には 全てが幻想であり

何もない世界に辿り着いた・・・ そう書いている 何もない世界


我々の本体は 後ろにいるのだ


今 こうしている間にも 己の姿を天上からでも空中からでも見るイメージは誰にでもできるであろう


その見ている眼差しが本体


生まれたこともない 死んだこともない 泣いたことも 喜んだこともない 真の姿


それが 我々の本体


ただ ずっと見ている


我々は世界を 己の身体を通して見ていたが 常に見られていたのだ


我々の眼は 映画なのだ


だから 何も 失ったことはないのだ


ただ あまりに身体からの世界の眼に なれてしまって それが本体だと思っている


今は 少しづつ その後ろの眼に還りつつある


その眼から見たら 世界は どれも美しく どれも尊いものであったのだろうと思う



今 現在も くるしみの中にいる人は大勢いると思う


私も そうだが 

 

もう そこから 逃げることや抵抗することはやめて ただ 今の感情を味わっていてほしい


それを後ろの眼で見てみるイメージを そのイメージを頻繁に行っていこう



神経を眼の奥の眼に 移行させようではないか







 


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この世に存在する 全てのものは 幻想である


般若心経 264文字は この世の全てが書かれています


この世のものは 全て空 無


最後に書かれた サンスクリット語のお経は最強マントラです



行ったものよ 行ったものよ 向こう岸へ行ったものよ


向こう岸へ完全に渡ったものよ 悟りよ幸あれかし




羯諦羯諦 波羅羯諦波羅僧羯諦 菩提薩婆訶



平家物語の前口上にある歌は 仏陀が涅槃に入られた時の歌です

とても美しく 的確な詩ですね



祇園精舎の鐘の声 

諸行無常の響きあり


沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす


おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし


たけき者も遂にはほろびぬ

ひとへに風の前の塵に同じ



世阿弥の言の葉にもありますように 私たちは 一度も失っていません


常に完全体であり そこに 在るのです



忘れねばこそ思い出さず候 



忘れたこともなければ思い出したこともない・・・そういう意味です


そして 想起しながら 沈黙の中にとどまる・・・



秘すれば花なり

秘せずば花なるべからず




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世界が鏡で 元々は完全であった真我という存在が自分の中に

存在していることを知った我々は 今 全てを ありのままに見ようとしています


しかしながら その言の葉が意味することを なかなか実践できずにいます


どうやってよいのか もどかしささえ感じる


少しでも 誰かの目覚め(結局は自分であるが)になれるようにと

私の辿り着いた 自我を「見る」ということを 書き留めておこうと思います


自我を 見つめるとは? 一体どのように見つめるのでしょう?


毎日の生活において まず 自分の口癖に気をつけてみましょう


誰かの発言に対し 人は 無意識的に反対するような言の葉を用いることが多いです


いや・・・ やっぱり・・・ そうかもしれない・・・ でも・・・ などなど


素直に他者の言の葉を ただ 受け入れることをしてみましょう


そして 自分の発する言の葉を正していきましょう


不快に思う出来事は なぜ そう思うのでしょうか?


それは 自分の思い通りの結果では ないからです 


その気持ちの裏側には 「求める」という感情が潜んでいますね


誰かにメールや電話をしたとして 返事がないと どう思うでしょう?


自分の望む言の葉が かえってきたら 安心するでしょうね


けれど 無視されたり 望んでいない言の葉だと 不快に思うのかもしれません


誰かを助けてあげる人もそうでしょう  やはりお礼や感謝の気持ちを言われると

励みにもなりますよね


でも それって 結局は自己満足なのですよね



誰かに 褒められたい  認められたい 愛されたい 尊敬されたい 知って欲しい

共感したい などなど・・・


それらの感情の元は なんでしょう?


あなたは どうして 自分に自信がないのでしょう? 


元々は 完全体であったのに いつから そんな風になってしまったのでしょう?




この世界の出来事は 全て もれなく自分の感情の鏡です


出来事を ありのままに見ないので 何かしら 問題と思うことが やってきているだけです


では?どうしたらいいの?


何か 自分にとって 厭なことが起きた時 まず どうして それが厭なのかを じっくり観察します


夏の日に 風鈴の音や蝉の鳴き声は 風流だと私は思います


しかし それを聴いて うるさいと思う人もいるでしょう


この違いは 自分のリズムにあります


自分にとって 心地のよいものは リズムがあっているのです



自分の心を見つめるということは 何が 好きで何が厭なのかということから入りますが


その奥の感情の海は まだまだ奥があります


誰かと話していて 「あ!今の私は この人に意地悪なことを言った。それは 優位にたちたいからだ! 性格わるいなぁ私・・・」とか


何かをしている時「あ!今の私は この人に素敵だと思われたいのだ」とか


小さな感情でも 見過ごさないように しっかりと見つめてゆきます


そして 毎日の出来事を 夢の中で夢を見ている時のように 判断せず見る癖をつけます


夢の中では 判断をしないので 夢は あらゆる時空を見せますよね


私たちは無意識に判断し 自分のリズムに固定させようとします


それが 同じような世界を生み出す結果となっているのです


ケセラセラです なるようになる 


何か 起きても 問題にしないこと 心配や不安に思わないこと


花が散ってゆくように 鳥が空を舞うように


ただ 見るのです


判断せず ただ そのままを見ることです


この世には 善も悪もありません


どんなに それらが自分を苦しめたとしても それは幻想なのです


苦しいと思うと また 同じようなことを繰り返します


その時 その瞬間を ただ 体験しているのです


だから その瞬間が過ぎたら 新しい自分で生きてください



身体は 入れ物です 


意識は永遠です


そして その永遠の中に 真我はいます













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