何人か鏡を把りて魔ならざる者ある


魔を照すにあらず造る也


即ち鏡は 瞥見す可きものなり熟視す可きものにあらず



鏡は別視するものでないと 鏡の世界に取り込まれてしまいます




ヴィトゲンシュタインの名言


昇りきった梯子は捨てよ 語り得ぬものには沈黙せよ


この言語を理解する時 それは あなたが この世の仕組みを

理解した時に訪れる


梯子とは知識 意識 自我の世界での最高峰です


その頂上に至った時 梯子 自我を捨てることを選択してゆきます


精神世界では あらゆる修行やら資格をマスターしてゆくことが梯子に

似ているかもしれませんね  茶道でも華道でも この道に繋がります

芸術家でも建築家でも もちろ何者でもないものでも・・・


梯子の先の世界を 私も言語にしようと自我的に思っておりましたが

それは 無理なようです


自我は どこまでも どこまでも しつこく 存在しますが 梯子を捨て去りし世界には

自我は介入できません


その先を 言語にすることは 鏡の世界においては 真逆の反応が起きてしまうため

過去の偉人は 神話や芸術に 痕跡を残してくれました


私が 最もヒントになると思った神話は イシス オシリス ホルスです

破壊神でもあるイシス そして 肉体を切り刻まれたオシリス それを再構築するイシス

破壊 分断 再構築 そしてホルスはウジャドの眼をもつ神


この三つの示す者は かなり重要なヒントです


自我は ある一定の知識に辿り着きますと自ら自我を破壊 そして分断します


しかし 目覚めに近づいたと思う瞬間と同時に 自我は また復活 つまり再構築を

何度も繰り返します


自我は 何かしら他者に報告したくなります

そして 反応し歓喜したり落胆したり それは 目覚めを遠ざけます

沈黙は ここでも重要です


神話では イシスは最後は再構築できず オシリスは冥界の王となります


真我と自我の闘い(クロノスとの闘いも同じですね)は いつしか 完成します

その時 ウジャドの眼が重要な鍵となります


ウジャドの眼は 中庸そのものです


眼の位置が重要なのです



我々が 二元的に世界を見る仕組みは 二つの穴 二つの眼を通して世界を見ているからです


エジプトも フリーメイソンも ケルトも あらゆるところで 3という数字が登場します


GOD 創造 破壊 維持も3 三種の神器 3の意味とは?


第三の眼とは?


ある地点まで 内観をできた者は 努力せず到達するという境地を見るでしょう


涅槃のポーズがまさにそうですね


最初はお経やマントラ 座禅が必要でしょうが 段々 どこにいても瞑想しているという

感覚ができ 世界の眼差しも変化します


中庸というもので世界を見ることが重要だと知ります


何事にも判断しないこと これは思考の話ですね


では 中庸に世界を見るとは?


それは 簡単です


少しだけ ずらす ピカソの絵のように



ここからが とても重要


鏡の世界では 観る者は 観られているという法則があります


つまり 世界を観ている人は(多くの人間は) 世界を本当には観ていないのです

観られている世界に住んでいるのです


本当に観る世界に移行するには 自らが観られるもの

つまりは 観られる者は観るものと化すことです


そうするには 3という数字 3つの穴を どう使用するか


第三の眼は内側にあります


肉体の眼と第三の眼は 三角形です


二つの穴で観る世界は判断の世界 ということは?

一つの穴で観る世界が 判断の無い世界です

中庸な世界です


この眼は チャクラを活性化するとか クンダリーニ瞑想やらマカヴァやら

そのようなことは 必要ありません


この世に存在する 瞑想も幻想です チャクラを観たいと思い修行すると観ることが

いつかできます


しかし それは もう古い次元の話です


第三の眼は そんなことせず ただ ずらすだけで開眼します



世界を観る時に 鼻の上を視野に入れるのです


常に鼻を意識すると 世界が自分を観る視線を感じると同時に

このラインでのみ 第三の眼に意識が自然と向かうことになるのです


二つの眼で世界を観つつも 鼻を視界に入れることで 第三の眼に意識が向かい

観る者から観られる者へ変換します


この視線で世界を観ると 内側に光りが 流れだします


内側に光が流れ あふれ出すと それは 鏡世界にもあふれ出します


繋がっていますから



ここで 沈黙という言語がいかされます


第三の眼により 何かしら 個人的な出来事が内側で起きますが それを言語にして

しまうと エネルギーは外に流れだし 内側が枯渇します


世界が鏡であるということは そういうことです



モーツアルトの魔笛は そのままですね



太陽の王と月の女王が登場し 世界が反転 そして 水の試練(自我消し)

火の試練(第三の眼開眼) そして沈黙の試練 この試練をクリアし 神殿の門を

通過する


ルイスキャロル(数学者)の鏡の国のアリスも ヒントがたくさんありますね


鏡の国では 世界は反対 お花は観るものではなく アリスが観られる世界


虫はアリスよりも大きい(ミクロとマクロの反転)


時間は逆再生 アリスの世界は この世からの目覚めるヒントがありますね



まぁ 日本の神話でも インドの神話でも どの世界も 同じことを 違うイマージュで

伝えているというだけですが 気づくか 気づかないか はたまた 気づいたふりをするのかは

本人の意識次第なのでしょう