2015年 立春を終え ますます 世界が変容しているのを

感じております


世界が自分であるという事実が 最近 身にしみて理解できるように

なりました


電脳世界にしても現実にしても 自分に近づいてこられる方や

カウンセリングで縁のある方と接しておりますと 皆さん いつの日かの

自分の意識と同じであったと感じるのです


あぁ・・・ こんな風に 世界を見ていたこともあったなぁ・・・とか

自分を特別だと思っている人や 孤独だと思っている人


みんなとは違って意識が高いと思っている人・・・


弱い人 見えない存在におそれている人 自我でいきてつらい人・・・


どんな人も かつて自分が体験した意識を見せてくれている存在に

すぎないのだと・・・


ふと 紗鳥 個人としての人生を振りかっているだけにすぎず

紗鳥 その本人を癒し 励ましているにすぎないのだと・・・


遠い過去を 想起してみました



まず5歳くらいの私を・・・


その頃は 耳成ほういちが お気に入りで いつも 耳成ほういちの書と

猫のぬいぐるみを 持っている子供でした

5歳の私には 世界の言の葉を理解することができなかったけれど

その後 真我体験をして 世界の全てを知りました


そして そのことを 親に伝えたくて 言の葉を学んだ結果 大事な記憶が

消えてしまいました



今 思うと あの頃に戻ろうとしているのだと感じます



それから 多くの死や悲しみを体験してゆくにつれ 魂人生が始まりました


岩戸が開かれようとしていた・・・


19歳くらいの頃は 自我の方が強かった変わりに 心は冷ややかで

常に虚無感であふれていました


カウンセリングやヒーリング ヨガを通して 自我と真我の比重に

変化が訪れるようになっていったのです


今では 自我は10%くらいしか残っていません

常に 個という着ぐるみ 衣装を着て 皆が見る自分を演じるようになれました


役者であることを自覚し 常に感情 思考を観察しているのです


それが楽しいかと言うと 楽しいとは言えないでしょう


楽しいとか楽しくないとかいう話ですらないのです


しかしながら 三次元的な幸せから解放された今

私の心の中は 常に 満たされ 幸せであふれているのです


それは 恋した時や 何か夢が叶った時のような幸せではありません

三次元の幸せという概念には存在しないものです


本当に満たされてゆく この幸せは 幸せという言の葉の意味を

遙かに超えたものであるのです 至上の幸せとでも言いましょうか・・・


ただ 説明ができないものであることも確か・・・



昨日 カウンセリングで出逢った方に こう言われました


あなたは 顔に幸せが溢れていると

しかしそれは 三次元的なものではなく 内側の本当の幸せであり

顔の奥 こめかみあたりに もう一人いて そこからも

幸せが溢れているのだと・・・


そう 言われた時 私は 三次元的には 何ももっておらず むしろ

世間的には不幸に思える出来事も多い中 幸せでいる自分がいることに

気づきました


自我を捨てて 捨てて 今は10%くらい自我はいるけれど

90% 常に真我で生きることができるまでに 成長できた今が

幸せでならないのです



ここに辿りつくまでは 本当に険しい道のりでした


ピラミッドのような意識の階層を上昇するにつれ 共感する相手は

ほとんどいなくなります


ピラミッドと同じで 自我の頃は 底辺にいましたから 同じような

人間だけでした 


中間にいた頃が 最も やっかいであった気がします


気づいた者同士が 気づいていない者を見下したかのような

二極の世界が 激しい空間でした


しかし そこを通りすぎてゆくと 世界の何をみても 誰をみても

とけ込めてゆくようになるのです


時折TVなどを観ていると すこし前までの私なら 疎ましと思っていた人や

出来事を 今の私が観ても 何も感じないのです


感情というものを超えた 感覚でしか 物事を見ていないのです


けれど10%の自我は まだおりますので 突然 私という感情が

浮上してくることもありますが それも数日間で数分しかありません


それ以外の時間は 常に 白く 脳内も心も 常に白いキャンパスで

ただ 世界を感じています


不思議なものです 今は無境界 インセンサテス そのものです