新東名高速道路の長篠設楽原パーキングエリア下りから、歩いて戦国史跡に行くことができます。
それが長篠設楽原合戦時の織田信長本陣跡です。
専門的にいうと、茶臼山陣所比定地(ちゃうすやま じんしょ ひていち)というのですが、一般的には『のぶながのじんあと』でOK!
信長は合戦時に陣を動かしているので、陣跡はココ以外にもあります。
また信長公記によれば、信長は合戦が始まりそうになると、家康の本陣があった高松山に登って指揮をしており、ここにいたのは短い時間だったのでしょう。
でも新東名高速道路のパーキングエリアから行くことができる史跡なので、早速チェックしてみます!
位置関係はこの通り。
茶臼山(ちゃうすやま)というのが信長本陣跡。
茶臼山といえば、大坂の陣を思い浮かべますが、いろんなところにある地名みたいです。
中に入ると高台があります。
この高台に現在は稲荷神社が祀られています。
なのでこの高低差が戦国時代からのものか、あるいは神社を置く時に盛られたのかよくわかりません。
本陣跡の看板。サビてますね。
この本陣跡は、高速道路のために整備されたのではなく、もっと前から史跡として存在していたので、この看板もよくある史跡に建つ看板ということです。
ちなみに昭和57年3月製。
信長が詠んだ歌の歌碑があります。
『きつねなく こえもうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね』
信長公記によると、武田軍と間近に対峙できたのは天の恵みだから一兵残らずうち果たそう。みたいなことが書かれているので、ワクワクしながら策を練っていた時の歌なのでしょう。
ちょっとした案内看板。
古くから城山と呼ばれていたみたいです。
長篠設楽原パーキングエリア下りが見えます。数年前まで山だったのを削ってパーキングエリアにした様子がよくわかります。
【史跡のポイント】
茶臼山の信長本陣で気になる史跡ポイントがひとつあります。
それがパーキングエリアからの入口付近。
現在道になっている部分の両脇に土塁みたいなものがありますね。
ここはパーキングエリアができる前、つまり道がなかった頃からこの状態。
史跡散策している人の中には、これが虎口跡という説があります。
↑ちなみに同じ場所の2009年の写真。
パーキングエリアなんてないのに、もともと折れ曲がった下りの山道がありました。
虎口(こぐち)とは、城における兵の出撃口の事。
もしかすると、ここから出陣できる様になっていたのかもしれませんね。
という事で、私の感想ですが、ここは長篠設楽原パーキングエリアの下りに立ち寄ったら是非、チェックしておきたい史跡だと思いました。
その理由は歩いて数分だし、上り坂もそんなにキツくないからです。
実は稲荷神社の反対側から山を下りる過程で、もっと遺構があるのですが、城郭研究に詳しく無い人が見てもワケが分からないので、あまり深入りはしない方が良いですね。
ということでこの信長本陣もチェックしてみてください。
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