第26回大正村ちょっとおんさい祭り2013に参加してきました!
世間は平成25年のゴールデンウィーク!
この祭りは、戦国武将・明智光秀の生誕地説がある岐阜県恵那郡明智町で行われる祭り。
今回は光秀鉄砲隊として火縄銃演武が御役目です。
↑大正村というのは、作られたテーマパークというところではなく、主に大正時代の町並みを保存して観光地化した地区。
無理に作ってなく、自然な街並みがレトロさを感じますね。
今回はそんな大正時代にタイムスリップした様な感じがする中での火縄銃演武。
少し不思議なキモチの出陣となりました。
↑ まずは演舞会場までの行列です。
参加団体皆、歩きました。
いろんな人達がいて、行列も華やかですよね。
ちなみにこの日の行列は150名~だったとか。
↑ 日本大正村村長の司葉子様。
有名な女優ですね。
世代的にピン!とこない人のために。
司葉子様の息子さんの奥さんが、あの相田翔子さん。
つまり相田翔子さんから見ると、義理の母でもあります。(わかるかな?)
今では日本大正村の村長でもあります。
この日も山車に乗り行列に参加。大人気でした。
↑我々も演舞会場までの武者行列です。
大正時代の街並みを武者行列で進む…
これも貴重な体験ですね。
今回もほら貝、ドラ、太鼓で行列を盛り上げます。
↑ 行列時にはすでに緊張が走っています。
というのも、甲冑着て控え室から一歩出れば、すでに演武ということなんですね。
火縄銃を撃つことだけではなく、立屋から出て、立屋に戻るまでが全て演舞。
これは先輩の教えでもありますし、私も大事に思っていることのひとつでもあります。
休憩中はともかく、これも魅せる場ですね。
↑ 会場に着くといろんな催しが行われていました。
着陣を祝う陣太鼓や着陣セレモニー。
今回も出陣側ですので、ゆっくり見られないのが残念ですが、天気も良くお客様も多かったです。
↑ 特にゆっくり見てみたかった居合道。
私は居合には詳しくありませんが、いろんな形があるんですね。
しかも青竹をバサっと斬る【斬り演武】は凄かったです。
これは少しだけ見る事が出来ましたが、硬い青竹がスパッと!
ゾッともしますが、見事なワザです。
↑ さて、休憩中に記念写真。
左から今回の主役である明智光秀殿、斎藤利光殿、明智光春殿(だったよね?)。
行列お疲れ様でした。
そのまま遊びたかったくらいです…
↑ そして南光坊天海和尚と!
かなり若い大僧正です。
じつはこの方、この日のために頭を丸めたとか(ホント)。
役柄に望む真剣さが素晴らしいですね。
知っている人は知ってますが、実は私も以前、修行僧の役をとある歴史まつりでやったことがありますが、その時は東急ハンズのカツラでした…
う~ん…この姿勢は今後の学びといたしましょう。
↑ さて仕事します。
毎回同じ様な事を書いていますが、火縄銃は本物の銃と本物の火薬を使用します。
なので緊張感がハンパないです。
でもこの緊張感がまた心地良かったりしますね。
日常生活には無い緊張感です。
↑ 大河ドラマ・八重の桜では、ミニエー銃がああだとか、スペンサー銃がどうのといわれていますが…
私の銃は旧式中です(←涙)
しかしそれがいいんです。
江戸時代~幕末まで銃は進化する必要がありませんでした。
なぜなら戦らしい戦が無かったからですね。
しかし幕末以降、現在に至るまで、どんどん銃は進化を続けています。
そんな中、かつての火縄銃がどんな構造で、どうすれば撃てるのか?という事が歴史から消えていく可能性もあります。
そういった古式火縄銃の撃ち方や整備の仕方、また構造や特徴を実際に撃ってみて後世に残すことを目的としたのが火縄銃演武なんです。
でも私の銃でさえ、100年~の銃ですから、整備や取り扱いは簡単ではありません。
これも学問として挑んでいます。
↑ この日は合計4発の演武でしたが、不発なく、事故なく、ケガなく無事に演武を終える事ができました。
火縄銃は今年で4年目ですが、慣れてきた頃が一番危ないといわれます。
現に事故が起こるケースを見てみると、何十年というベテランの方も絶対に事故は起きないというワケではないので、これからも気を引き締めて挑みたいですね。
ということで、今回もお世話になりました会長を始め光秀鉄砲隊隊長様。
公安委員会様や主催者様。
また駆けつけて頂いたアメブロガーの方やエミリー様、主馬様&侍大将様。
そしてともに出陣した皆様。
誠に有難うございました!
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