【春日山城レポ 17/21】
春日山城をどんどん降りるカタチで進みます。
すると二ノ丸を過ぎたあたりに米蔵跡があります。
↑ ここですね。
ハラが減っては戦はできぬといわんばかりに、城内でも大事な米蔵。
かつて武田軍に包囲された長篠城も兵糧庫があった瓢曲輪(ふくべくるわ)が落とされたのをキッカケに、家康のもとへ救援の使者を送っています。
水の手の次に重要なところですね。
現在は建物もたっておらず削平地の中に石碑がポツンとありますが、よく見てみるとこの米蔵の周囲には土塁が残っています。
基本、曲輪の外側は土塁を築いくものですが、春日山城ではこの米蔵の土塁くらいしか残っていません。
なぜココだけ土塁の残り具合がこんなによいのか?
これも春日山城のナゾですね。
↑ これは米蔵を土塁の上から見た写真。
土塁に囲まれ守られたカタチがよくわかります。
ちなみに当時の武士は戦時には米5合を食べたとか。
重い甲冑を着て敵を倒すワケですから、かなりのエネルギ-を必要としたのですね。
ココに兵糧が蓄えてあり、二ノ丸の台所で炊き出しをしていたのかも。
想像が膨らみます!
※ 続きを読む → 春日山城の三の丸は上杉景虎の屋敷跡だった!
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