【野間大坊レポ 12/12】
野間大坊の南に、安養院というお寺があります。
ココで織田信長の三男・信孝が自刃しました。 (大御堂寺という説もあります)
信孝は本能寺の変後、一時は織田家の後継者として推された人物ですが、羽柴秀吉に岐阜城を追われ、野間にたどり着きました。
そして自刃したんですね。
自刃の際、
『むかしより 主を討つ身(内海)の野間なれば、報いをまてや はしばちくぜん』
という凄まじい辞世の句を残したとされています。
この辞世の句には後世の作という説もありますが、信孝の無念を表した一句ですね。
しかも自刃の時、内臓を取り出し、掛け軸に投げつけたとか ( ̄□ ̄;)
↑その時の掛け軸と、自刃に使ったといわれる脇差が安養院にはあります。
10年ほど前まで一般に公開していたそうですが、傷みが激しく、
また恨みの品々なので、公開するべきではないと、今では非公開になっています。
私も5、6回行ってみましたが、見せてくれません。 (ノ_-。)
野間大坊の南側。
知多新四国八十八ヶ所の53番札所にもなっています。
ココも戦国ゆかりの史跡です。
※ 続きを読む → 野間大坊まとめ
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