中山砦ファイナルウォーク、行って参りました!
これは第二東名高速道路建設工事に伴い、長篠・設楽原合戦時に長篠城を包囲していた砦のひとつ、中山砦が消滅するので最後に散策しようというイベントです。
実は今回の散策会、今まで世に知られていなかったマイナーな史跡の散策会なので、実行委員会側は20名も集まれば良いかな~と考えていました。
そこで私もこのブログで呼びかけ、さらに歌舞姫様はじめ十数名の方に告知のご協力を頂き、できるだけ多くの方に参加して頂こうと思いました。
そして…
集まった人数はなんと…
90名! ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ ← ホント
これには実行委員会側も驚き、資料も途中で無くなりました。
アメブロガーの方も予想以上に参加して頂き、県外の方もチラホラ。
中には千葉県から駆けつけてくれた方もおり、かなり嬉しかったです!
さらにこの大軍が来るという事で、NEXCO中日本も説明要員を増加。
トンデモナイ開始となりました。
↑ 歴史ヶ丘のメンバーで中山砦の最後の散策会を盛り上げます。
今回参加した武者は、伯耆守安綱殿、鵜殿能登守殿、そして私。
この辺は、戦国ブームで甲冑着始めたのではなく、もともと郷土史家の方々。
なのでそれぞれの地元の歴史にかなり詳しい面々なんですね。
上の写真は出発前の説明会の様子。
この日は私は兜を被らず、関ヶ原410年祭の時と同じように、はちがねスタイル。
しかし、このはちがねスタイルが、後に
悲劇を起こしてしまいます (T▽T;)
↑ 粛々と開会式は進み、出発の時の声。
ここから民族大移動です。
↑ ところで今回の中山砦ファイナルウォ-クは、散策するだけではなく、史跡到着証拠として
記念スタンプラリーになっていました。
・新昌寺 (鳥居強右衛門墓地)
・幕の森 (酒井忠次陣所)
・中山砦
この地で限定記念スタンプを押します。
なのでこのスタンプを持っている方は、ちゃんと踏破したという証拠ですね。
普段は静かな長篠・乗本地区ですが、この日は少し賑やか。
ではどういう史跡を周ったのか?
順番に見ていきましょう!
↑ 馬場美濃守の墓。
敗走する武田軍の殿(しんがり)を務めた武将で、信長公記にその時の様子が描かれています。
この時の活躍は敵方だった織田軍の太田牛一にも絶賛されるほどでした。
その馬場さんのお墓です。
↑ 鳥居強右衛門の墓。
なんと高速道路が通るという事で、移転、縮小、新築というリニューアル!
しかも以前あった墓とぜんぜん違うデザイン。
これは…
移転というのか?
しかも中身は?
↑ 鳥居強右衛門磔地。
現在、看板と石碑がありますが、昭和30年代頃までは、現在の崖上ではなく、もっと奥にあった
そうです。
なので現在石碑がある場所で鳥居強右衛門が磔にされたワケではないんですね。
↑ そして牛渕橋。
長篠城の写真がキレイに取れる橋です。
そしてじつはこの牛渕橋、最近あることが取り沙汰されています。
一説によると、長野県のハイパーパワースポット・分杭峠零磁場と同じ中央構造線がこの橋の下を
通っているという事です。
つまり橋事態がパワースポット。
別の意見もありますが、気になりますね。
長篠城の写真撮っていながら、パワーをあびているのでしょうか。
↑ そして辿り着いた中山砦の麓。
ココからはNEXCO西日本の管轄なので、参加者はヘルメット着用です。
そしてここでNEXCO西日本の方から説明がありました。
なぜ中山砦の潰し高速道路を通すのか。
そして質疑応答。
予想を超える参加者にNEXCO西日本側も増員で対応です。
しかし、ココである悲劇が !
※ 続きを読む → 中山砦の悲劇!