あの戦国の現場へ行こう!-西光寺


【徳川家康ガイドブックを攻略せよ!】 (家康の生誕地・岡崎コース)



徳川氏の菩提寺・大樹寺の南の小山に西光寺(さいこうじ)というお寺があります。



この西光寺は、徳川氏・松平氏と大樹寺を語るのに欠かせないお寺です。







 あの戦国の現場へ行こう!-松平城01


↑ 江戸幕府を開いた徳川氏は、もともと松平氏といいました。



その松平氏は、現在の豊田市にある山間地の小さな豪族でした。



しかし勢力拡大を望み、周辺の同じような小豪族を次々と倒し、平地である現在の安城市に出てきました。



この松平氏の急成長に危機感を持ったのが、岡崎に近い、寺部、伊保、八草、挙母、上野の豪族たち

でした。(現在はすべて豊田市)



同じ戦国でも時代は違いますが、勢力を急拡大させた信長が、浅井、朝倉、三好、本願寺、武田に

包囲された事がありましたよね。



信長包囲網です。



これと同じく、実は松平氏も信長時代と規模は違えど、周辺に包囲されていた時代があったのです。



そして…



松平四代・親忠の時代に、



松平 VS 寺部、伊保、八草、挙母、上野連合軍のトンデモナイいくさが、現在の岡崎市井田町周辺で

行われました。



これが井田野合戦です。



奮戦の末、松平氏の勝利!



これにより、連合軍は次々に松平氏に降伏。



結果、松平氏はさらに勢力を拡大することに成功しましたが…



このいくさにより、両軍でかなりの戦死者が出てしまったのです。 (ノ_-。)



その戦死者を葬ったのが西光寺の【千人塚】です。






 あの戦国の現場へ行こう!-千人塚看板

 あの戦国の現場へ行こう!-千人塚


この千人塚の仮堂として築かれたのが現在の西光寺です。



平地ではなく、この井田野を見渡せる山頂に塚を作ったのも、なにか理由があったのでしょう。



現在では、こんもりした巨大な土盛の上に、たくさんの古いお墓が立てられています。



ところでこの西光寺・千人塚がある小山。



気になる事がひとつあります。






 あの戦国の現場へ行こう!-西光寺からの眺め


↑周囲をダントツで見渡せるこの立地。



ひょっとして、井田野合戦時の陣跡ではないでしょうか?



ここから井田野(現在の岡崎市井田町)が一望できるんです。



これは私の推測ですが、圧倒的連合軍と戦うワケですから、地の利も無視できません。



私が松平氏なら、



『陣を築くとしたらココしかない!』



なんて思いながら、千人塚を参拝しました。



あと、この西光寺は、もうふたつエピソードがあります。



そのオハナシはまた明日の記事で!



【西光寺】の地図



※続きを読む⇒ 大樹寺が創建された理由が西光寺に行って分かった!




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