【織田信長ガイドブックを攻略せよ!】 (桶狭間の戦いコース)
名古屋市熱田区の戦国といえば、信長が立ち寄った熱田神宮が有名ですが、ほかにもあるんですよね。
天正十八年(1590)、堀尾吉晴の親族・堀尾金助は小田原北条氏攻めに参加する事になりました。
この時18歳。
わが子を見送る母の想いをよそに、金助は戦で亡くなってしまいます。
金助の討死後、母はその菩提を弔う為に、私財を投じてこの地にあった橋を架け替えます。
それから33年後…
金助の33回忌となり、再び橋を架け替えようとした母は、それを果たせず亡くなってしまいます。
しかし、養子の手によって見事橋は架け替えられました。
それが現在の裁断橋跡。
いまでは見事に【跡】(あと)ですが、戦国の子を想う母のエピソードが、色濃く熱田に残っています。
華々しいだけが戦国ではなく、戦で亡くなった方の悲しみもある。(ノ_・。)
忘れたくない現実ですね。
ちなみにこの裁断橋のエピソードは、江南市にある堀尾吉晴の屋敷跡近くにも再現してあります。
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