あの戦国の現場へ行こう!-丹羽長秀邸址


【信長ガイドブックを歩く】(うつけものコース)



織田家の重臣だった丹羽長秀の屋敷址です。



長秀はあまり目立たない様にも思えますが、織田家には無くてはならないということで、



【米五朗左】 (長秀は通称を五郎左衛門といった)ともいわれていました。



安土城築城奉行、本能寺の変直前は信孝の四国遠征を補佐するなど、結構重要な働きをしていたのですね。



ちなみに柴田勝家と織田家の重臣として名を馳せていた頃、有名な逸話があります。



木下秀吉が柴田勝家の【柴】と丹羽長秀の【羽】の一字をもらい、【羽柴秀吉】と名乗る事になりました。



この事で長秀は秀吉に好感を持ったとか。



そしてこれは以前の大河ドラマの話ですが、秀吉に【小一郎】という弟がいました。



長秀が自分の名前を【小一郎】にそのままやるからと言ったのですが、それではあまりにも恐れ多いということで、



【長秀】をひっくり返し、【秀長】を名乗ります。



羽柴秀長、後の豊臣秀長ですね。



まあこの辺はドラマ独自のものかもしれませんが、温厚なイメ-ジが残る丹羽長秀。



彼の屋敷址は今でも石碑が建っており、ひっそりと残っています。



名古屋城の近くなので、セットで訪れるのも可!



【丹羽長秀邸址】の地図



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