【信長ガイドブックを攻略せよ!】 (うつけものコース)
大須商店街の中にある万松寺。
信長の父・織田信秀の菩提寺です。
信秀は天文二十年(1551)、はやり病でなくなってしまいます。
信秀は生前に万松寺を建てており、亡くなった時、この寺の前住職として法名を桃巌(とうがん)と名付けられました。
信秀の葬儀はかなり盛大に行なわれた様で、尾張国中、旅の僧侶などもスカウトされ、その数は300人にも及んだとか。
その盛大な葬儀の席で、信長が抹香をつかんで仏前に投げつけたエピソードはあまりにも有名ですよね。
もともとは中区錦2丁目の桜天神社にあった万松寺ですが、慶長十五年(1610)の清洲越しの際に大須に移されました。
境内の地下を潜る形で、信秀のお墓にも参拝できます。
ところで信秀の葬儀でハデなオチャメを働いた信長を見て、葬儀に参列していた尾張の諸豪族達は、信長を見限りはじめたとか。
代表的なのが林道勝や柴田勝家、あと鳴海城の山口さん達ですね。
この時の信長を表してか、現在の万松寺に隣接するビルには、信長のカラクリ時計があります。
定時刻になると、舞いを披露するカラクリ信長。 (現在休止中)
オヤジの菩提寺の頭上にも関らず、『人間50年~♪』の軽やかな舞です。
ちなみに葬儀のオチャメを見ていた諸豪族達は、『あの大馬鹿者めが!』と口々に取り沙汰しましたが、その中で、九州から来ていた旅僧の一人だけが、
『あの方こそ国持ち大名になるお人だ』
と、言ったとか。
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