【信長ガイドブックを攻略せよ!】(うつけものコース)



第一回目は信長誕生説がある那古野城址。



織田信長が誕生したのは、この【那古野場】と【勝幡城】の2説があります。



もともとは、駿河の今川氏が尾張守護を兼ねていた時、一族の【那古野氏】(那古野さん)が領有していました。





 あの戦国の現場へ行こう!-今川軍

その後、尾張は斯波氏が守護になるワケですが、那古野氏はこの地に居座り続けます。



そして大永年間(1521~28)に、今川氏が尾張進出の拠点として、一族の今川氏豊を城主として築城。



しかし信長の父・織田信秀に奪われ、織田氏のものに!



そして信長はこの那古野城で生まれたという説があります。




ただ、那古野城を奪った時期がハッキリせず、信長の誕生前の1532年説。



そして信長誕生後の1538年説があり、未だ議論されております。



しかし幼少期の信長が城主になった事は間違いないようで、清洲に移るまでこの那古野城主でした。



で、この那古野城はその後拡張工事され、【名古屋城】になります。






 あの戦国の現場へ行こう!-名古屋城

↑なので名古屋城は、もともと何にもない所に立てられたのではなく、那古野城址に築城されたものだったんですね。



で、肝心の那古野城ですが、現在では跡形もなくなってしまい、名古屋城の二の丸に石碑が建つのみ。







 あの戦国の現場へ行こう!-那古野城01

しかしこの石碑、よく見てみると、【那古】としか刻まれていません。



これはなぜかというと、第二次世界大戦時、名古屋城は空襲に遭いました。



その時、天守も燃えてしまうワケですが、この二ノ丸も火の海となります。



そしてこの石碑も空襲に遭い、そのときの衝撃で、文字が刻まれた部分も削り取られてしまいました。






 あの戦国の現場へ行こう!-那古野城02


現在はこの通り ↑



もともとは【那古野城址】とでも刻まれていたのでしょう。



名古屋城に行った際は是非チェックしたい史跡のひとつです。



・【那古野城址】の地図はコチラ



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