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この絵は姉川合戦の一部を描いています。
近江の浅井長政と同盟を結んだ織田信長は着々と勢力を広げていきます。
そして遂には浅井家と非常に仲が良かった越前(現・福井県)の戦国大名・朝倉義景を攻めようと、越前に乗り込みますが…
信長より朝倉との縁を大事にした浅井長政に背後を突かれ、信長は越前より撤退。
これにより信長と長政は敵対関係になってしまうんですね。
そして浅井・朝倉連合軍と織田徳川連合軍が近江の姉川を挟んで戦いました。
これが【姉川の戦い】。
ちなみに【姉川の戦い】という名は後世に徳川家が付けた名前で、織田家、浅井家の記録には【野村合戦】、朝倉家には【三田村合戦】と呼ばれていました。
記録では、浅井・朝倉連合軍の兵力が約1万8千。(1万7千との説もある)
織田・徳川連合軍が約2万8千(2万7千、3万とする説もあり)
この兵の数からすると、織田・徳川連合軍が有利に見えましたが…
合戦が始まると、なぜか浅井・朝倉連合軍が有利に戦いを進めていきました。
これは浅井軍からは磯野員昌が精鋭部隊を率いて猛攻を仕掛けており、
朝倉軍からは『真柄十郎左衛門』という豪傑が、これまた大活躍していたからといいます。
で、この真柄さん。
この時、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠・千代鶴の作による五尺三寸(約175cm)もの太刀を振り回して暴れまくったそうです。
175cmって、私の身長より高い(-。-;)
その写真が最初にあった写真なんですね。
そしてこの【真柄太刀】、なんと熱田神宮の宝物館に展示してあります。
その大きさはというと、
通りすがりの人もほとんど立ち止まって見てしまうほどの大きさ!
これ振り回して戦っていたとは…
ちなみに押しに押された織田軍は、13段の備えのうち、11段まで破られたとか。
信長ヨイショの傾向が強い【信長公記】には、姉川合戦の事がサクっとしか書かれていないので、案外ホントかもしれません。( ̄_ ̄ i)
熱田神宮では【信長塀】のほか、この【真柄太刀】もチェックしてみてはいかがでしょうか?
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