信長公記をはじめ、様々な歴史書に出てくる清洲城。
さすがにココは有名ですよね(=⌒▽⌒=)
しかし!知られざる悲話(?)もあるのです。
↑まず、昭和の高度成長期の時、新幹線を作る話が持ち上がりました。
その新幹線が城址を分断!
そして当時の国鉄(今のJR)の線路も並ぶように城址を分断!
これにより、かつての本丸部分がかなり狭くなってしまったんですね。
さらに天守を作る時、実際とは違う場所に復興してしまいました。
これによりお城は三分割! (上の写真参照)
ある意味悲劇ですね ( ̄_ ̄ i)
なので今の天守がある場所は、戦国時代には本丸ではなかったのです。
では、実際の本丸の場所はというと、
↑こんなカンジで少し高台として残っています。
位置的には現在の駐車場の上の高まりが本丸の天守址です。
↑かつての本丸跡は公園として整備され、週末になると周辺の方々のお決まりの散歩コースになったりするんですね。
ここで桶狭間の報告や清洲会議が行われていたのでしょうね。
そして公園内には無料の休憩所があります。
中にはお茶(無料)や、お土産、ちょっとしたグッズもあり、チェックしておきたい場所のひとつです。
ここから現在の清洲城の天守も見えます。
※ 続きを読む → 清洲城の中身は?
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