この世は相対の世界です。

当然のことながら好きなものがあれば嫌いなものもあります。

人間というものは、快楽だけを追い続けて生きていこうとするものですが、好きなものと嫌いなものというのは必ずセットになっているものなんですね。



どんな好きな相手に出逢っても、いつかは必ず別れます。

いくら長生きしようとしても、いつかは必ず死にます。

自分の若さを保とうとしても、いつかは必ず老いていきます。



別の言い方をすれば、人生というものは好きなものから離れて、嫌いなものへ向かっていくということです。

なんて暗い話だ…と思うかもしれませんが、これは事実です。



ですが、人間というものは、その事実に目を向けることがなかなか出来ません。

好きなものが自分から離れていかないように努力を続けます。



好きな相手に嫌われたくないがために、やりたくないことを我慢してやり…。

健康でいたいがために、大好きな食べ物をやめて美味しくない健康食品を食べ…。

若さを保つために、あらゆる健康法を行い身体に異物を入れ…。



それでも、いつかは必ず大好きな人とも別れがきますし、病気にもなれば、老いて死んでいくことになります。

何もその努力が無駄と言っているわけではありません。

生きるということの意味を知って頂きたいだけです。



生きるということは変化するということです。

生命は常に変化しています。

ところが人間は同じ状態を保とうとします。

そこに苦しみというものが起きてくるわけです。



どんなに好きな食べ物でも、食べ続けたら飽きていきます。

どんなに好きな音楽でも、同じ音程を聞き続けると苦痛を感じます。

どんなに寝ているのが好きでも、寝続けると体を壊します。



同じ事を維持し続けるというのは苦しいものなんです。

ずっと息を吸い続けることも、吐き続けることも出来ません。

好悪があれば、苦楽もあり、変化があるから生きていけるんです。



嫌なこと苦しいことは、好きなこと楽しいこととセットなんです。

生きるということは、本来苦しみを伴うものなんです。

その苦しみから逃れようと死を選ぶ人もいます。



ですが、苦しみというのは肉体が感じるわけではありません。

痛みは身体が感じるわけではなく、心が感じているわけです。

その証拠に死んだ肉体は痛みを感じることはありません。

それを知らず、魂になれば永遠に苦しみから逃れられると思ったら大間違いで、苦しみというものが何なのか知らなければ、永遠に苦しむことになります。



どうして、こんな嫌な話しをしなければいけないかというと、そこから逃れて幻想の幸せを追い求めても幸せにはなれないからです。

苦から逃れるためには、苦とは何かということを知らなければいけません。

生きるということは苦なんです。

その苦から逃れるためには、縁起や無常を知らねばなりません。



また、幸せというものを勘違いしているのですね。

好きな人が出来たら幸せ、好きなものを食べたら幸せ…。

多くの人は、何かを得ることが幸せで何かを失うことが不幸せだと思っています。

それこそが幻想であり、自らの心を縛り付けるものなんです。



自らの心に何かを得てくっつけていくことが幸せではないんです。

自らの心から余計なものを捨ててはがしていくことが幸せへの道なんです。



ここで勘違いされやすいのが、自我や欲を捨てることが怖いと思われることです。

自我の全てが悪いわけでもなく、欲が全て悪いわけでもありません。

ただ思い込みという幻想を捨てて下さい…という話しをしています。



今を楽しんで将来を苦しむわけでもなく…。

今を苦しんで将来を楽しむわけでもなく…。



今を楽しく将来をより楽しむ道というものがあるんです。

偽りの自由や幸せではなく、本当の自由や幸せに気付けたらいいですね♪


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