昔から日本に伝わる話の中に「猿の肝」というものがあります。
その物語は次のようなものです。
海原にウミガメの夫婦が住んでいました。
ある日、ウミガメの妻が妊娠して、夫にこんなことを言います。
「栄養を付けるために猿の肝を食べたいわ。」
「わかった。じゃあ、取ってくるよ。」
と、夫のウミガメは猿の肝を探しに行きます。
ウミガメが陸地沿いに泳いでいると、一匹の猿が木の上で果物を食べているのを見つけました。
そこでウミガメは猿に声をかけます。
「お~い、猿さん。」
「なんだい?」
「そんなものより美味しい実が生る木があるのを知っているかい?」
「え!それはどこにあるんだい?」
「海の向こうにある離れ小島にあるんだけれど、良かったら背中に乗せて行ってあげようか?」
「ぜひお願いするよ!」
と、ウミガメの背中に飛び乗った猿。
しばらく泳いでいった時、猿はウミガメに尋ねます。
「その小島はどこにあるんだい?」
「いや、実はね…。そんな小島は無いんだよ。」
「なんだって!?」
「私の妻が妊娠してね。猿の肝を食べたいというので君を連れて来たんだ。」
それを聞いた猿は、こう答えます。
「なんだ、そんなことか。それなら早く言えば良かったのに。今日は天気が良かったから、さっきの木に僕の肝を干してきてしまったよ。」
「え!そうだったのか!それならすぐに取りに戻ろう。」
と、ウミガメは猿を陸地に連れて戻ってきました。
陸地に着いてヒョイと背中から降りた猿は、こう言いました。
「黙されて着いていった僕もバカだったけれど、カメさんも同じだね。」
相手に騙されてしまった…というような話しを聞くこともありますが、どうして騙されてしまうかというと、自分の中にエゴがあったからなんですね。
「儲かるかもしれない…。」と美味しい話に食いついてしまうわけです。
何も金銭や物に関してだけのことではありません。
「あの人のために何かをしてあげよう…。」
「地球環境のために良いことをしよう…。」
そう建前では言うものの、奥底に隠れている本音が違うこともあります。
「こんな有名な人と知り合いなのがステータスだ。」
「自分は良いことをしていると世間にアピールしよう。」
などというエゴが隠れているばかりに、相手を見極められないんですね。
自分の欲求が先に来てしまい目が曇っていると、相手の本質、物事の本質というものが見えなくなってしまいます。
また、猿の肝の話は別の側面も表します。
「妻のために…。」と思っている夫のウミガメの行動は、誰かの犠牲になっているのですが、それに気付いていないわけです。
「平和のために…。」と活動している平和運動家が、結果的に誰かと争って、その裏にある犠牲に気付かないのであれば…。
このウミガメと同じことをしていることになるのです。
上記のケースは全て、自分の外に気を向けてしまった結果です。
自らの内なるものに目を向けていないわけです。
こんなウミガメや猿にならぬように…。
しっかりと目を見開いて生きていきたいものですね(^_-)-☆
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