「足るは第一の富」

仏陀が残した言葉の中に、こういうものがあります。

京都の龍安寺にある「吾唯知足」と刻まれた知足の蹲踞(つくばい)は有名ですが、これは何も物欲に関するものだけのことではありません。



精神的なものに対しても同じなんですね。

名言を集めているような方々も大勢いらっしゃいますが、いくら良い言葉を集めても実践していなければ何の意味もありません。

良いことを聞いたような気がするという自己満足で終わるだけです。



良い言葉だけを集めて出版したり講演したりしている方もおりますが、じゃあ、その本人が実践しているかというと別問題なんですね。

そのことを見極められないのも、自らが足るを知らずに外に目が向いているから、自らの内面というものが見えない状態になっているんです。

自分の内面のレンズが曇っているということは、いくら綺麗に外を見ようとしても、ありのままが見えることはありません。



例えば心理療法には様々な種類があります。

精神分析療法、ゲシュタルト療法、論理療法、森田療法、箱庭療法、自律訓練法…。



占いにも様々あります。

四柱推命、風水、姓名判断、手相、人相、九星気学、六星占術、タロット、霊感…。



また、体を癒すものにも数々あります。

整体、鍼灸、カイロプラクティック、接骨、足つぼ、リフレクソロジー、アロマ…。



数え上げたらキリがありませんが、次々と知識や技術の習得ばかりに目がいき、何かを追い求めることに執着してしまっている人は多いのではないでしょうか。

心理的な面も、身体的な面も、その根本がどこにあるかというのを知れば、あれこれ追い求める必要はまったくないわけです。

学びを深めるのは結構なことですが、それを活かせないのであれば、永遠に追い求めていくことになります。



「足るを知らない者は自ら牢獄に入る。」



足るを知った時に牢獄から出て自由になれるのですが、その牢獄の鍵こそが仏教の中に隠されているわけです。

私は仏教徒でも、何か特定の宗派に属しているわけでもありませんが、仏教の真理というものは本当に素晴らしいものだと実感しています。

そして、仏教と言うのは実践してこそ身に付くものなんですね。



仏教は実践の学問であり、知識よりも実践を重視しています。

一度聞いただけでわかるようなものではありませんが、誰でも真剣に追い求めれば到達出来るものなんです。

牢獄から解放された時の自由な感じを、多くの方に味わって頂きたいものです。



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