六マリアの悲劇 150

六人の人妻を奪い取る 150

 私、朴正華は、一九五三年五月十五日、慶州での生活を終えて釜山水晶洞にできた教会で、文鮮明から直接、原理講義を聞いた。その内容は、興南収容所で、文鮮明が私に「円和園理想」について話した内容を、もっと具体的に説明したものだった。とくに注意しなければいけないのは、「六マリア」の部分だった。

 平壌の頃は別として、食口のなかで六マリアとして復帰を受けた人たちは、一番最初が辛貞順、それから呉明春、李順哲、金安実、姜玉実*、鄭先玉の順だと、文鮮明は話した。

 その後しばらくしてから、この六マリアの顔ぶれが変わった。その理由は、姜玉実と鄭先玉には夫がいなかったからで、夫がいる人妻でなければ六マリアになれないということだ。文鮮明はこの二人の代わりに、劉信姫、林英信*を六マリアに選択した。六マリアになる資格があるのは人妻だけ、ということだった。

「形のない神様は、エバがエデンの園で成熟したら、形ある人間のアダムに臨在し、アダムとエバが結婚して、汚れていない子どもがこの世の中に生まれ、その子孫がこの世の中に繁殖することによって、この世の中を平和で罪のない社会にすることを目的としていた。ところが、天使長ルーシェルが神の目的を知って、エバを誘惑して奪い取ったため、この世の中はサタンのものになり、罪人ばかりになってしまった。だから、夫のいる人妻を奪い取ることによっ

て、サタンに汚された血を浄める復帰摂理の儀式が成り立つことになる」

と文鮮明は説明した。

 文鮮明は私に、復帰する方法まで具体的に教えてくれた。その復帰の方法とは、 「今までのサタンの世の中では、セッ*スをするときに、男の人が上になり、女の人が下になっていたが、復帰をするときには、二回まで女の人が上になり、男の人が下になるのだ」

 「そして、蘇生、長成、完成と、三回にわたって復帰しなければならない」

ということだった。

 とくに私は、文鮮明のセッ*スによって復帰させられた女と最初

にセッ*スして、復帰しなければならない、と言われた。そうすることで私が、文鮮明に一番信頼される弟子になる、ということだった。

 当時の六マリアたちがその後、どうなったのかを追ってみよう。

 

辛貞順* 152

 資産家の李淳模の妻だった辛貞順は、私が一九五三年五月十五日に釜山の水晶洞教会に行ったときから、二人の息子を連れて、熱心に教会へ通っていた。同年十二月二十四日、文鮮明が直接、

原理講義をするために釜山影島の集会へ行ったとき、彼は私に、

 「正華、あなたは将来、辛貞順と理想的な相対(夫婦)になり、うちの教会の経済問題を解決しなさい」と話したことがある。

 ところで文鮮明は、この辛貞順の長女で処女の李聖花を、将来はエバになる人だと言って犯したが、金永姫*事件でその嘘がばれてしまった。また次女の聖礼も文鮮明から復帰を受け、子どもま

で産むことになった。

 辛貞順は、六マリアになれたことで、文鮮明のそばで永遠に平和な生活ができると思っていた。

それで、釜山草梁洞にあった家を売り、文鮮明に捧げた。私が釜山で縄の商売を始めたとき、その資金を用意してくれたのも、やはり辛貞順だった。

 しかし、母親と娘二人の母子三人が、文鮮明とセッ*スをしてしまった事実は、辛貞順を苦しめることになった。そして、それが原因でか病気になり、数年後に死んでしまった。

 あの世に行った辛貞順は、今の文鮮明をどう見ているのだろうか。

 

李順哲* 153

 李順哲は、私が慶州の生活を清算して、釜山の水晶洞教会に行った頃、呉明春の伝道で入信することになり、文鮮明の復帰を受けてから、ずっと彼に従っていた。李順哲の夫は当時、管財管庁の役人だった。彼女は夫に内緒でたくさんの財産を文鮮明に献金した。文鮮明がたいへん熱をあげていた頃に、私たち三人で安養、釜山などを回ったことは、すでに述べたとおりである。

 その後の李順哲について語ろう。ある日、盧東輝が私を訪ねてきて、朝一番の礼拝に行こうとさそった。

青坡洞教会へ礼拝に行くと、ちょうど文鮮明が来ていて、説教をしていた。そのとき、文鮮明が突然、

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文鮮明と李順哲*(左)、辛貞順*(右) [1993年11月10日 初版第 2 刷発行]

辛貞順*、姜玉実*、李順哲* (左から) [1993年11月21日 初版第 4 刷発行]

 「今、水沢里に銃砲工場を建築しているが、今晩じゅうに、その銃砲工場を完成させなさい」

と命令したのである。突然だったので、建築職人を集めるのがたいへんだった。幸いにも私は、千戸洞で住宅を建設する仕事をやっていたため、建築職人十八人をトラックに乗せて運び、夜通し作業をして、どうにかその工事を完了させた。

 作業が終わって帰ろうとしたとき、李順哲がいきなり訪ねてきて、自分が住んでいるところに来てくれと言った。彼女についていくと、「統一産業株式会社」の出口からそんなに遠くないところに、部屋を借りて暮らしていた。部屋の中には、使い古した布団とくちゃくちゃになった洋服など、わずかばかりの家財道具が置いてあった。あんなにハデな生活をしていた李順哲が、なぜこのように悲惨な生活をするようになったのだろう。

 私は李順哲に、どうしてこんなところに来て、こんな生活をしているのかと聞いた。すると彼女は、

 「文先生に会いたくて、教会の方へ訪ねていっても、会ってくれないのです。何回行っても会えなくて、仕方なく、統一産業には文先生が一日一回は必ず来るというので、ここに引っ越してきました。毎日、文先生が来る道で待っていて、遠いところから顔だけでもうかがいたいと思うのですが、文先生は車で来るので、私が立っているのを見ると、さっと車を他の方向にまわし、違う道を行ってしまうんです」

と話した。彼女はこの悲しい事情を、誰にも話せなかったのだろう。たまたま私が来ていると聞いて、私を訪ねてきたという。

 三時間も涙を流しながら話した李順哲は、文鮮明に財産も自分の身体もすべて捧げ、夫からも離婚されてしまった。

子どもたちは夫についていき、淋しい生活をしながら、それでも文鮮明に会いたくて、ここで生活しているのだ。それなのに、文鮮明はどうして、こうも冷たく裏切ることができるのだろう。これが再臨メシアを自称する男のできることなのだろうか。私たちは手を取りあって涙を流した。

 この日から一か月後に、呉明春執事から連絡が来た。呉明春がたった一人で見守るなか、李順哲はその恨みの人生を終えて、この世の中から去っていったという。

 かつて文鮮明は夜も昼も、李順哲なしには生きていけないような様子だったのに、今となっては、李順哲が文鮮明に会いたくて、こんな生活まで送りながら文鮮明を待っていたのに、顔を合わせることもなくあの世に行ってしまったなんて……。あの世で李順哲は、文鮮明をどう恨んで見下ろしているだろうか。

 

呉明春* 155

 呉明春は、済州島の避難生活のなかでも、キリスト教関係の団体で礼拝をしていた信仰心のあつい人だった。釜山で文鮮明の原理を聞いて感激し、復帰を受けたあとは、文鮮明に困ったことがあると、この呉明春執事が全部解決してくれた。家を売り払った代金五百万ウォンをそっくり文鮮明に捧げて、夫とは離婚し、子どもたちは夫のところに行ってしまい、一人で文鮮明のために生きてきた。この呉明春執事の話は前に詳しく書いたので、ここではこのくらいにしておく。

 そのあと呉明春執事は、教会にいられなくなり、仕方なくアメリカにいる息子の所へ行って、しばらく暮らしていた。ところが、そちらにもいられなくなり、今はフィリピンにいる子どもを頼って行ったらしい。ソウルに住む娘にしても、文鮮明から祝福の結婚をしたが破れて離婚してしまった。今さら自分の家に来るのをそう喜ぶはずがない。

 劉孝敏と私が今年の春、呉明春を訪ねていくと、その娘さんから「出ていってくれ」と言われているということだった。今ごろは異国

で、どんな老後を過ごしているのだろうか?

 劉孝敏と私は、何とかして、この人たちが将来、残りの人生を平安に送れるようにしてあげたかったので、お互いに努力することを約束した。

 

 

 

>夫がいる人妻でなければ六マリアになれないということだ

 

文鮮明は、常にその場その場の講釈で、好き勝手女を入れ替えていたのがワカル。人妻じゃない処女だってわかるのに・・・処女を妊娠させたりした。文鮮明の計画は人妻なら夫がいる=カネがあるって計算だったのだろう。カネのあるご婦人狙いだろうってことは、今となっては、その動機丸解りです。

文鮮明教祖自身は、自分が詐欺師だという認識はあったのではないかと思う・・・。

 

 

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韓国人の国民性