http://ameblo.jp/chanu1/entry-10753257777.html

ちゃぬさんのブログより一部転載。加工あり。飛んでコメント欄も見てくださいね。

文喜進の死因は事故?

青字は個人的感想・疑問に思うつぶやき。ナツミカンが入れました。


文喜進の死因は「事故?」「他殺?」・・・

--------------------------------------

 文喜進(文鮮明教祖 戸籍上の第2子 1955年8月17日生まれ(母・金明煕が日本に密入国して日本で出産※詳細は下記に掲載)
1969年8月1日、中学二年の夏休みに開拓伝道に向かう途中列車にて死亡。
文鮮明教祖は喜進を「第一殉教者の立場」であるとした。


-------------------------

《養育係 李貞玉の証》 

略)
しかし、喜進様は、すでに伝道に出掛けることに決定されていたのです。私が、その時になって、そのようなことを申し上げたので、真のお父様も、お母様も何もおっしゃらず、崔先生(※崔元福)が私に、「そのようなことは、言ってはいけない。」と言われました。
 不思議にも、その土曜日の晩は、一睡もできませんでした。眠気が来ないのです。翌朝、食事をするときに、喜進様が何と言われたかというと、「おばさん。きのうの晩、一睡もできなかったのですか?」と、聞かれるのです。「えっ、何で知っているのですか?」と聞くと、私が寝床で、ごそごそしていたと言われるのです。喜進様も、眠ることができなかったのです。そのような話をして、朝食を取ってから、真のご父母様にごあいさつに伺うと、伝道に出発するということで、お金も下さいました。そのとき、私は、“特別にお供するかたがいるはずだ。”と思っていたのですが、喜進様は、お独りで出発されたのです。

違和感があり過ぎる。他の子供が何の守りも無しに開拓伝道に出たなんて話聞いたことが無い。

喜進様が乗られた汽車は、普通列車でした。駅ごとに止まる列車です。その列車の中は、人でいっぱいで、空席も満足にありませんでした。そのような列車に、修練生全員が乗ったのです。

修錬生が乗っていたという事は、誰でも喜進が文鮮明の子供だと認識していたはずなのに、どうして窓際の風の当たる良い席を与えなかったのだろうか?文教祖は、どこへ行くのも特別、飛行機ならファーストクラス、危険な取っ手につかまり身を乗り出すなんて文鮮明ならやらないだろうし、どうしてそんな危険な様子を観ていながら止める人がいなかったのだろうか?

そこは、見えないところで・・・連れて行かれた可能性は無いのだろうか?

喜進様は、暑いので、汽車の入り口の所にある取っ手を手でつかんで、風に当たっていたのです。風が吹いてきて、どれほど涼しかったことでしょうか。そのようにしていたところ、電信柱にぶつかって、事故が起きたのです。

これも不自然!外に出るような形では取っ手はついていないだろう?第一電車と電柱はある程度間隔があるはずだ。手を滑らせて落ちたというのが自然だけど、捏造で電柱のせいにした方が臨場感が出ると思ったのだろうか?

午後に、その悲報が届きました。私は、少しけがをした程度だと思っていました。昇華されるとは思いもしませんでした。

そのころ、真のお父様は、毎日のように、水澤里の工場に行かれていました。真のお父様に連絡をすると、戻って来られました。真のお父様は、うわべは泰然としていらっしゃり、涙一つ流されませんでした。み旨から見て、“涙を流してはいけない”と考えられるので、ぐっと我慢していらっしゃるのです。

我慢なのでしょうか?もしかして裏から・・・

真のお父様は、み旨であれば、絶対的です。お父様は、恐ろしいものがありません。真のお父様は、そのように大胆で、勇敢なおかた いえ?恐怖の大魔王じゃないでしょうか?だって、逆らうと副島(そえじま)さんのようになっちゃうんですから・・・北朝鮮で有れば公開処刑のようなものかしら?統一教会の場合は・・・恐ろしいわ~~~!ですが、“ひょっとして、み旨に支障があるのではないか、み旨が延長されるのではないか。”ということに対するお父様の恐れは、言葉で言うことができないほどです。ですから、み旨から外れることは、みじんもありません。ですから、子女も天にゆだねられ、何事も天にゆだねられ、“カインを先に伝道してから、アベルを伝道しなさい。”というみ言を、真のお父様ご自身が実践していらっしゃったのです。エッッッ?文教祖は日本で伝道何かしませんでしたよ。日本人で直接伝道された人なんていないでしょう。

真のお父様が、私たちに下さる一つひとつのみ言は、すべてお父様が、あらかじめ実践されたものです。

日本でどんな実践しましたか?献金上げろ!の話しとか伝道しなさいとかはあったでしょうが?信者を集めて説教はしましたよね。祝福もしました・・・。でも一緒に伝道に出たなんて話は聞いたことが無い。日本で具体的実践しましたでしょうか?だれか聞いたことありますか?日本人の直接の霊の子なんていないでしょう。

一族の誰誰が霊の親ですって人いますか?本当に日本を愛していたのでしょうか?アメリカで直接伝道された人いますか?いたら是非話を聞いてみたいです。繋がっているのならね。


祝福ですが、献身者を精神的缶詰状態(結局は肉体的にも缶詰?のような献身、すべて蓄えた現金は献身前に捧げました)にして、異性にも関心を持たせないようにした・・・こうなると、結婚相手を教祖が選ぶというのが自然だったのかもしれません。堕落人間で人間になり切れていないような状態の者達ですから、祝福結婚でイエス様以上の立場に立てた・・・実は奴隷たちを結婚させ生み増やし、奴隷と奴隷を結婚させて貢がせる。完全な韓国の階級制度の応用だったように感じます。

日本人は、韓国人文鮮明の魂胆を知らな過ぎました・・・。

両班→皇族になった教祖一族は当然トップで信者を牛耳る。そこには平等などという概念など微塵もないのです。

必ず実践されてから、私たちに語られるのです。へ~~?韓国でどんな実践したのでしょうね?ブロマイド作りとかされましたか?したのは血分けはしたという話は聞きます。説教もしたようですが、・・・。


献金をよくお使いになったことは確かです。ギャンブル大好きでしたからね。

私も現金の心配なく生活してみたいわ~(笑)でも、バカラなんて現金捨てることになるようなことは出来ない!血と汗と涙の献金よ~そんなこと出来るはずないわよね。普通は!でも、それが出来ちゃうのが教祖夫妻なのです。

なんでも霊を引き合いに出して、ギャンブルで苦しんだ霊のトウゲンだって言えば済んじゃうんです。


略)

私が、喜進様のお姿を、すべて完全に紹介できたかどうか分かりませんが、そのように元気で、常に明朗で、美しい容貌を持っておられたのです。そして、幼くても、真のお父様に似て、体格がどれほどりっぱであったか分かりません。その骨格は、本当にお父様に似ていらっしゃいました。それで、小学校でも、ひときわりっぱに見えたのです。そのような喜進様でした。

立派すぎて、こりゃまずいって思ったのかしら?
 きょうは、私が見た喜進様のお姿を、簡単に皆さんに紹介いたしました。ありがとうございました。

感じた事遠慮なく書き込んでみました~!

★李貞玉の証(喜進様を追慕して)より
(李貞玉は1956年に統一教会に入教。1998年6月13日文鮮明教祖からマホメットの妻として霊界祝福されている)

-------------------------

《草創期からの古参教会員の文喜進の死因について言及》
[334]題名:Re: 詳しい方に質問 投稿者:itiro
・・・
戦後まもなく崔先吉という女性と婚姻届を出すこの女に生まれたのが文聖進この方は日本在住という話だが昔お目にかかったことはあるがもの静かな方という印象ただ実の妹と結婚させられた、次に婚姻届を出したのがツルコ(韓鶴子)である他はどのようなことかよく知らないが文鮮明と金明煕との間の子が文喜進この子は14歳で列車から突き落とされて殺された、ツルコとの結婚の時はすでに大勢の女と関係を持っていた、

ご本人曰く16歳の生娘から80歳の老婆までと豪語している、ツルコとの世界路程とやらで海外旅行並びに日本洗脳をおこなった、どういうことかというと西川先生の下独特の雰囲気中性的というか新約的聖家族主義を作り上げていた日本の教会の空気をブンセンメー流な(性)行為中心の気風に作り替えた、そのご一行とは三人でホテルの一室を借りて楽しみにふけりながらの世界路程であった、その三人とはブンセンメー、ツルコ、と崔元福先生であった、崔元福を先生というのはこの世では梨花女子大の教授であったからである、この崔先生はなかなか如才ない方ですっぴんのブスくれた教会の女性ばかりみていた私には全く異質の女性であった、化粧はばっちりしているし高価なイヤリングや首輪をしてきているものも一流品ばかりと見えたまたお話が好きで、三人の性生活まで話してくれた私とするときはもうすでにツルコとは終えて長丁場でいろいろ話しながら楽しみますが、脇ですっかり疲れはててぐっすり寝ているツルコをみながら「私も悪い男だよなあ」などとおしゃるのですよ。などという話を半分わからず聞いていました。・・・
★ブログ「統一教会 最下層信者」の再開を願う掲示板より
http://co.koroweb.com/b/r.cgi?nan=90&log=threadobserver


私が教会にいたころ「喜進様は列車事故で亡くなった」と聞かされていました。私はてっきり話の内容から「電車に轢かれて亡くなった」と思っていましたが、養育係の李貞玉さんの証を読むと、「汽車の入り口の所にある取っ手を手でつかんで風に当たっていたら電信柱にぶつかって死亡した」とあります。状況からいって「無理がある説明」に感じます。私は、古参教会員itiroさんの証言(教会内の噂だったとしても)の「列車から突き落とされて殺された」という内容のほうが説明がしっくりくるように思うのです。養育係の李貞玉さんの証の中に「喜進様は頭脳明晰で性格もよく文鮮明教祖によく似ていながら美男子で、どこに連れて行っても「大人物になる」と言われるくらいすばらしい」と褒め称えています。まあ、このことが崔元福先生や(韓鶴子)真のお母様の危機感を抱かせてことが、文喜進の死亡につながったかは教会側としては真相は闇の中に葬り去るでしょう。

-------------------------
《金明熙さんが文喜進を出産したときの状況》
 金永姫(金明熙)を妊娠させたことに気付いた文鮮明は、自分の立場が危うくなることを怖れ、彼女を同じ大学の学生で食口になった純粋な青年、呉昇澤と一緒に日本へ行かせることにした。外国での生活を保障すると約束して、釜山から漁船で密航させたのである。密航資金は文鮮明が手渡した。日本での二人は言葉も通じず、密航者の身で入院もできないため、ひどい環境の中で出産した。若い呉昇澤は、赤ん坊のヘソの緒を自分の歯で噛み切って、子供を産ませたそうである。
 持ってきたわずかな金を使い果たしてしまい、文鮮明からの生活費もこなかった。待ちくたびれた呉昇澤は、日本へ密航させられるとき、文鮮明が呼ぶまでは韓国に戻らない約束をしてはいたが、文鮮明のところへ戻るために再び密航した。言葉も通じない場所でたいへんな苦労をしていた二人は、まず呉青年が韓国へ帰って直接文鮮明に話し、生活費などをもらうつもりだった。
 呉昇澤は、文鮮明に会って自分たちの窮状を話し、生活費を求めたのだが、文鮮明はこれを一言で断ったのである。こんなひどい話は聞いたことがない。普通の人でも、こういう状況に置かれた人に、こんな仕打ちはしないだろう。まして「再臨メシア」ともあろう人が、自分で責任をとるのが当然であるにもかかわらず、こういう非道な裏切りを平然とされたので、呉昇澤は、怒った。彼はただちに、それまで再臨メシアと信じ仰いできた文鮮明と訣別した。
 実はこのとき、文鮮明は「そんな金はない。自分たちで考えてやれ!」と言ったのである。私は文鮮明の隣にいたのでよく覚えている。文鮮明の言葉に呉昇澤は怒り狂い、「何を言うか。よし覚えていろ!貴様はサタンだ!」と、床を蹴って飛び出していった。
呉青年が怒って飛び出したとき、その場に七、八人いたが、誰も内心ではひどい話だと思いながら、何もしてやれなかった。私は、今でもその事に、良心の呵責を感じる。
 西も東もわからない日本で、金永姫はひたすら、金を持って戻る呉昇澤を待った。待てど暮らせど帰らぬ日々、赤ん坊をかかえた金永姫の苦労は大変なものがあった。
そんな金永姫の母子を、九州の大村収容所で発見した韓国人の黄某が、彼女を韓国に連れて帰った。金もパスポートも持たない金永姫は、大村収容所へ入れられてから、三ヶ月が過ぎていたそうである。
金永姫が子どもを連れて帰ってきたので、
文鮮明は仕方なく子どもだけは自分の籍に入籍した。子どもの名前は文喜進という。(中略)
 それ以外にも「小羊の儀式」を挙げるという口実で、処女の李聖礼(*崔淳花)を復帰し、彼女にも子どもを産ませた。その子も、ある幹部(*朴普煕氏)の息子(*サムエル)として養育されているという話だ。こんなことが許されていいのだろうか。
(「六マリアの悲劇 真のサタンは文選明だ!!」朴正華P.247より)

http://ameblo.jp/chanu1/entry-11620724748.html より一部転載
上記の「処女の李聖礼」とは、金明煕女史と三位基台だった崔淳花のことで、崔淳花女史は同じく不倫の関係で1965年に文教祖の息子を産みましたが、その息子を側近の朴普煕氏(36家庭)の息子として育てさせます。
ちなみに崔淳花女史は文教祖の妻(崔先吉)といとこで、しかもその姉(崔淳実)も、その母(李得三)も文教祖は肉体関係を持っています。文教祖は母娘を姦淫したのです。


文一族相関図・六マリア編<六マリア13人?それ以上か↑6人だけではなかったのです。

    ↑

こちらに解かり易い相関図がありますので、ご参照ください。


http://ameblo.jp/chanu1/entry-11930622973.html

文喜進の死因は事故?(2)

http://ameblo.jp/chanu1/entry-10753257777.html

文喜進の死因は事故?(1)