恩着せ妄想もたいがいにしなさいってこった。
まあ、祝福2世は生まれつきの環境があるだろうから、ここでは除いていいけどさ。
人らしい感情を捨て信仰という妄想にはまった輩は逝っちゃってください。
>>363
言いたい事は、その程度か?
あなたの主な任務はあなたの本分を尽くすことです。これは世俗的な生活、あるいは家族への義務を放棄するという意味ではありません。(Sanathana Sarathi, February 1992, p. 37)
家長としてのあなたに持ち上がった問題を、無執着と自己犠牲を養うための機会として扱いなさい。(SSS IV 33, 191)
瞑想を通じて自己の魂を救うのだと言って、皆から離れていてはいけません。あなたの姉妹の中にいて、助けることのできる機会を探し求めなさい…(SSS VII, 39, 194)
◆なぜ書かずにはいられないのか
統一教会には巨額の負債があるらしいということはマスコミの報道などからご存知の方も多いと思います。
正確に表現しますと"教会信者"に多額の負債あるのです。
ぼくは法的には数十億の負債を抱えています。あえて"法的に"と表現した理由は自分の意思で借金をしたのではないからです。
これからその辺の複雑な事情を説明してみたいと思います。
ぼくの債権者は統一教会の信者さんです。もちろん複数人です。
で、その信者さんはご自分のお金を直接貸している人もいれば、ノンバンクや
サラ金から借りた金を貸している人もいます。
では、なぜ自分の意思でもない数十億もの金を借りなければならなかったのか?といういう背景をお話します。
もちろんぼくが必要としていたわけではなく、統一教会の組織において緊急かつ巨額なカネが必要ということで、教会側が信者さんに対しアナウンスをしたり責任者が個別に面談したりしてカネ集めをしたのです。
実際、何に使ったのかはぼくには知る由もありませんが、説明によりますと、
文鮮明教祖が必要としているということは間違いない事実だと思います。
信者には「摂理」という言葉を使っていました。
単純にいえば
「巨額なカネが緊急に必要だから、おらほ(統一教会)にカネ貸してくれ」
ということなのです。
もちろん、信者さんの中には貸すということはあげると同じ事だと納得の上、献金として上納した人もいます。
しかしながら、繰り返しますが統一教会が必要とするカネというのは緊急かつ巨額だったのです。
そのような背景があったからこそ、献金ではなくすぐに大きなカネが集まる借金を信者さんにお願いしたのです。
貸借関係としては
債務者 債権者
(宗)統一教会 ←―→ 信 徒
以上ようになるのが普通です。
ですが、統一教会は一切債務者としての名を連ねてはいません。
借用書は教会の名義ではなく、代わりに一信徒の名前で借用書を書くのです。
統一教会の名前は一切でてきません。
信者さんとの間に交わした借用書の債務者は教会職員(教会長や会計、総務など)の名前はあがってきません。すべて教会信徒会に属する(便宜上、対外的な組織)の信者がなるのです。
ぼくの場合、当時の責任者から名義人になってくれといわれ、組織に属している者として断る理由はありませんでしたから承諾しました。
教会が責任持って返済するからというのですから、何も疑うことなく完璧に信用していたからこそ、承諾したのです。
その時、印鑑を貸しておいてくれとも言われたのですが、やはり何も疑うことな
く印鑑を教会に預けることにしました。
ところがその後、ぼくが貸借契約の場に立ち会うことは一切なく、責任者が勝手にぼくの印鑑を使用し、勝手にぼくの住所名前を署名していたのを知りました。
それは、Yさんというビデオセンターで学んでいる段階の統一教会員の自覚のない年配の方から、ぼくの自宅に夜中電話があったことが切っ掛けで発覚しました。
Yさんとはお互い顔と名前を知っている程度の面識はありました。
大分酔っ払っている様子で
「この野郎!!おまえは朝鮮の宗教やってる野郎だったのか!!!」
「よくも騙しやがって!明日そっち行くから覚悟してろこのやろ!」
てな状況で、こちらが口を挟む余地は全くないくらい興奮していました。
次の日、ぼくの所属している教会は大騒になったことは言うまでもありません。
このように、教会員の自覚のない人からも無心していたこと、人の印鑑を勝手に使い署名までしていたことがわかりました。
献金した人や自分のお金を教会に貸した人は別として、ノンバンクやサラ金から借りたお金を教会に貸した人、つまり又貸しした人、この人達が今悲惨な状況におかれているのです。
教会側はお金を貸してくれ、と言ったのですから、いずれは返すのがスジです。
これこそ「蕩減原則」です。
※蕩減(とうげん)は日本語にない言葉です。韓国語の意味は負債の清算という意味ですが、原理用語としての"蕩減"は罪滅ぼしという概念に近い。
債務者の名は一信徒であっても、信者さんは統一教会に貸しているのだと納得しています。
ところが!真っ先に原理を実践すべき親方が、借用書に謳ってある期日まで返済しないのです。
コルァ!カネ返せ! VS ま、待ってください!
教会内部の修羅場は
TVで流された全壮協のビデオ等で知ることができます。
・全壮協緊急集会(94-10-29)より
【信者】
「必ず返すというから貸したんだ、なんでわれわれ仲間が裏切られなきゃならないんですか?仲間でしょうが!ふざけるんじゃない!どういうことですか?」 「そうだ、そうだ」
「ちゃんと答えろ」
「言ってることとやってることが違うじゃないか!」
【女性幹部】
「とにかく、私ができるかぎり死力を尽くすつもりです。お父様もなんとおっしゃっているか、借りたものは返すんだというお考えであられます」
「ふがいない無責任な教会の立場だということをおわびいたします。私が代表しておわびいたします」
信者たちの怒りはおさまらず次々と罵声が浴びせかけられる
逆ギレした女性幹部が机を拳でバンと叩く
「黙って話しを聞いてください!」(一喝するがかえって逆効果)
【信者】
「威張って言うな!」
「なんだ、その態度は!」(再び会場は騒然となる)
人の良いその債権者である統一教会の信者のなかには、泣く泣く債権を放棄する人達が多いのも事実だ。その信者達の場合は、土地建物を担保に銀行から借金をしているケースが多いだろう。私の知人で、5~6千万円の借金をして教会側から踏み倒され、担保物権である何代も続く家、建物を競売にかけられ、それを失った人がいる。
「借金してでも金を神にささげろ」
というのはメシヤ(文鮮明)の御言葉ではなかったか?
「全てを捧げて、テント(家)から子女を学校にかよわしなさい」
という御言葉もあったのでは?
金は自分が使っておいて、法律的に負債者として「統一教会または文鮮明」という名前は、どこにもでてこない仕組みになっている。これこそ、堕落性の極ともいえる、「責任転嫁」そのものである。その金はどこに使われたのだ?
「神の摂理のため」の一言でかたづけられてしまう。
人類のメシヤは、そのような弱い立場の借金に苦しむ信者を思いやる気持ちは本当にあるのか?
様々な最近のメシヤの自己賛美の大勝利宣言だが、かたや、借金地獄に苦しむ人達がいて、勝利宣言をするのだったら、その人達に借金をかえしてからにして欲しい。
全壮協NETWORK2(1995年)に代々農業を営んできた家系で1988年に祝福を受け、世田谷教会に切望されて土地を担保に4億円の借り入れに協力し、裏切られた方の証しがのっていました。
内容は
1 摂理に応えて高額借り入れ
2 「必ず返す」が「返せない」と一転
3 返済延長は献金のムダ使い
4 思い悩む夜毎の家族会議
5 両親、信仰で土地を手離す決意
6 無計画な教会に振り回される
7 全壮協を信頼して全面委任
8 見納めの畑で、ただ涙
9 教会から一言の挨拶もない
10 今問われる信徒の人格
信者さんがこんな事を書いていました
「アベルの問題点を感じながら、何が言うと不信仰者、異端、分派のレッテルを貼られるのを恐れて、おとなしく黙ってしまい、それでいて、アベルのいない所では陰口を言うのです。こんな不健康な組織が発展するはずがありません」
「今回の件で、家族全員が御父母様にほんのわずか近づくことができたように思います」
ぼくは、土地をとられてもなおこのように思っておられる方に何もいうことはあ
りません。なぜならこれは信仰上の問題なのですから。
つまり、
380 名前: JUSTICERE 投稿日: 02/09/27 20:36
・世田谷教会の教会長だか経済部長だかに面談され、土地を担保にして融資を受けてもらいたいと話を持ちかけられた。
・当時の摂理はなんだかわからないが、とくかく御父母様が摂理を進めるためにお金を必要としているという理由をつけられた。
・高額な献金は大変でしょうから、名義を貸してくれるだけでいい、その誠意を実績として真の御父母様が認めてくださると言われた。
・名義はあなたでも、月々の返済は教会が責任持って返済をする、という約束をした。
・しかし、急に教会では肩代わりできなくなった。
ただ、この信者さんが以下の内容を知っていたとしたらどう思うのでしょうか?
・事前に信者(壮年、婦人)の不動産登記簿をしらみつぶしに閲覧していた
・はじめから返すつもりはなかった
・最初は借りる方向に持っていき、個別教育をして献金の方向へ転換させるという歴然とした方針があった
・教会が肩代わりするだけの原資も、根拠もなかった
・しかし、腐れ幹部連中は隠し金を持っていた
知ってるかい?