安らかな死を迎える看取りとは?(1) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

「限りある寿命」「人は必ず死ぬ」、このことは厳然とした事実です。古今東西、誰一人として

この事実から逃れられた者はいません。ならば、どのような死を迎えるのか、迎えたいのか、誰

でも考え、思い願うことです。

 1998年1月、WHO執行理事会は、「健康の定義」に新たに「霊性の健康」を追加する議案を採

択しました。しかし、議案の総会上程(99年5月)に当たって「Spirituality=霊性」の定義

をめぐって、欧米先進国(ユダヤ・キリスト教圏)と発展途上国(イスラム圏)との意見が対立

して、結局、この定義は事務局において再検討するという玉虫色の合意で決着。99年5月の総

会では採決は見送られ、今日に至っています。

現代医学の発祥の地である欧米諸国では、キリスト教社会では、人の生き死はいまも神の領域で

す。また、霊魂についても否定はしていません。霊魂については「扱わない」「触れない」とし

ているだけです。

しかるに、我国においては余りに医療が死の領域に深く入り込んでいます。しかも、霊魂は正面

から否定されています。その結果、我が国では、終末医療の現場においてどれほど多くの人たち

が悲惨な最後を迎えていることか・・・・。

もし近い将来、WHO「霊性の健康」採択したら、終末医療に携わる日本の医師たちはどのよう

な弁明をするのであろうか?

 

 【曽野綾子さんのケースから終末医療を考える】

 

 週刊現代に、「家族を見送るということ」というタイトルで作家・曽野綾子さんが連載している記事があります。その文中から、気になるところを抜粋してみます。

 

「ほとんど固形物を口にしなくなってから約一か月後、朱門(曽野さんのご主人)は血中酸素量が極端

に下がったというので救急車で病院に搬送され、そこで約九日間、末期医療の看護を受けた。決して放

置されたのでもなく、投げやりな死を迎えたわけでもなかった。朱門は現代の日本国民として十分な医

療の恩恵を受け、意識のあるうちに息子夫婦にも、イギリスに留学中の孫夫婦にも会い、最後の夜は私

が病室のソファで過ごし、華麗な朝陽の昇るのに合わせて旅立って行った」

 

「私たち一家は、老年には、できたら病気と付き合わないことにしていた。できるだけ軽く死を受けと

め、「死ぬ日までは死んでいないのだから健康人なのだ」という姿勢を取り続けることにしており、担

当医も、私たち一家のその好みをよく理解してくださっていたと思う」

 

曽野さん夫婦は、無理な延命治療を望んではいなかった。しかし実際は、「血中酸素の量が極端に減少し

ていて、このまま放置していると危ない」と、朱門さんが入所していた老人ホームの担当医の判断で、

そのまま救急車で病院へと搬送された。その入院先の病室にて、「朱門は水を飲みたいと言い、私は水の

ボトルを持ち歩いていて、その小さな蓋で器用に水を飲ますこともできたのに、水は検査の後で、と止

められてしまった」

 

私たちの気持ちは分かっているはずなのに

なぜ、静かに死を看取ってはくれなかったのか

末期の水までも拒否する必要があったのか・・・

 

曽野さんの担当医や現代医療の終末医療に対する恨み節が聞こえてきます。週刊誌には、担当医が実名

で記されていたのはそのためであろうか。

 

しかしその一方、曽野さんにも大きな矛盾があります。

 

「決して放置されたのでもなく、投げやりな死を迎えたわけでもなかった。朱門は現代の日本国民とし

て十分な医療の恩恵を受け、意識のあるうちに息子夫婦にも、イギリスに留学中の孫夫婦にも会い、最

後の夜は私が病室のソファで過ごし、華麗な朝陽の昇るのに合わせて旅立って行った」

 

この文章の中に、曽野さんだけではなく多くの人たちの親族を看取る共通の心情があります。それは、

次のようなものです。

 

過剰な延命治療は要らない。安らかな死を迎えさせてやりたい。

でも・・・・

亡くなってから最先端の医療を受けさせてやるべきだったのではないかと、後で後悔だけはしたくない。

このような心情がある限り、現代の医療体制下では安らかな死を迎えることはたいへん難しい。このこ

とを、真に理解している人は余りに少ない。多くの人は、そこに大きな問題点が潜んでいるということ

すら知らない。

 

もう一つ、曽野さんの文章の中で気になることあります。それは次のような言葉です。

 

「私たちの気持ちは分かっているはずなのに・・・」

 

医者の立場からすると、これは患者サイドの単なる思い込みに過ぎない。口頭で話すだけでは意味をな

さない。どのような看取りを希望するかを詳細に書いた書類を提出する必要があります。しかも、患者

本人の直筆のサイン付きでなければなりません。それ程に、現代医療の終末医療、看取りの現場は多く

の混乱や矛盾、問題を抱えているのです。希望通りの死はそう簡単には望めないのです。