自分で決めて、自分の足で歩く | スピリチュアル心理カウンセラーMIHOKOの「一瞬で過去を変え、幸せになる」オリジナルメソッド

自分で決めて、自分の足で歩く


みなさま、おはようございます
MIHOKOです。

今日から6月ですね。
今朝は母の話をしたいと思います。


私が中学生の頃に、父が家族を山登りに連れて行きました。

それがきっかけで、母は登山に興味を持ち、両親はたびたび山歩きをしていました。

おかげで私も、上高地から長塀山〜蝶ヶ岳ー常念岳という生涯でも忘れることのできない貴重な体験をさせてもらいました。(否応なしに連れていかれた。ともいう)

彼らは国内のさまざまの山登りもしましたが、スイスにもリュックサックを背負って出かけていました。


その後、母が大きなリュックサックを背負い
成田空港へ出かけていくのを見送った回数は数え切れません。


そんな母を見守る家族の対応としては、基本的に父も私も、彼女が行きたいと言う外出に反対することはありませんでした。

だけど、1回だけ
父も私も反対した渡航がありました。


それは
「ヒマラヤトレッキング」です。

「高山病で死ぬかもしれないよ。さすがにヒマラヤはやめて欲しい。」


だけどね、彼女は行きました。
なんと、二回も。。。


まぁ、自分の人生は自分のものですからね(苦笑)

私も父もやっぱり行ったか
そのぐらいの感じではありました。

もちろん出発する頃には、私たちも賛成する状態にはなっていたんですけどね。。。


幸いなことに母は元気に帰ってきました。

でも、同行したメンバーの1人が高山病で亡くなったとのことでした。
現地で荼毘に付し葬儀を行ってきたとのこと。

この話を聞いたときの驚きと恐れ
もう忘れていますが、やっぱり想像した危険がそこにはあったんだと感じたことは覚えています。

共に旅をした、
共に登山をした仲間がいなくなるなんてどんな気持ちだっただろう?

そのことを母があまり話したがらなかったのには、きっと理由があったのでしょう。
私もあまり聴かなかった記憶があります。



旅にトラブルはつきものです。
私は旅行が大好きだから、よく出かけます。
回数が増えれば、トラブルの回数も増えるわけで、そのたひに様々な学びを得ることができます。

まぁ、母の話とは比べようもないし
比べる必要もないんですけどね。

トラブルには程度なんてないので
大きい小さい
ひどい軽い
とか、ないと思います。

娘として、その時無事に帰ってきてくれた母がここにいてくれることは、あたり前なことでは無いのだと思いました。



「海外旅行はね、国内旅行と違って何かが起こったときの対処が難しい。旅先で、何が起こるかわからないの。だからね、どんなに一緒に行きたいなーと思う人がいても、絶対に本人の意思で決めなければ駄目!海外旅行にお誘いすると言うことはね、ものすごく大きな責任が伴うことなの。忘れないでね。」


母は私に
たくさんの宝を残してくれました。
この言葉もそのうちの1つです。

肝に銘じて
人生をエンジョイしたいと思います。


自分の人生は自分のもの。
自分で決めて、
自分の足で歩きたいですね。

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こんな後ろ姿を見せられで育つと、私のような人間が出来上がるかも😆


私は母のように
ヒマラヤ、モンゴル、カムチャッカ、とか
行かないけど

まぁ、人生何が起こるかわかんないから
絶対とは言えないけどね。。。

いや。行かないな
きっと


ではでは