いつの間にか大晦日になってしまいました
お陰様で今年最後の仕事も、今日無事に終える事ができました。
可愛い生徒たちに囲まれて、今年も大変幸せな一年でした。
一つだけ、とても悲しいことがございました。
ここからは大変長文になりますが、記録として残しておきたいので、よろしければお付き合いください。
今年はほとんど更新しなかったブログですが、もし読んで下さった方があれば、ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
******************************************
5月3日、人生の約1/3を一緒に過ごしたヴィヴィアンが、虹の橋を渡ってしまいました
14歳と10ヶ月の生涯でした。
私がご飯を食べる時、必ず私のイスにジャンプして、私の後ろに座っていたヴィヴィアン。
昨年からは、ジャンプしても踏み外すようになり、歳取ったな~と思っておりました。
4月半ば、後ろ足が踏ん張れず、倒れる事がありました。
突然でした。
様子がおかしいので、一日観察していると、ご飯を全く食べていないことに気が付きました。
次の日、病院へ行きました。4/18です。
血液検査の結果、
①死ぬまで、病院で24時間点滴を受け続ける
②外科手術
どちらかで何とか延命できると説明を受けました。
家で看取りたかったので、①は眼中になし。もちろん金銭的に無理だというのもあります。
②も年齢的にリスクが高いのと、絶対ではないと説明を受けましたので、
家で流動食を食べさせる選択にしました。
病院で指定されたものは、ロイヤルカナンのリキッド食で、
シリンジ(注射器)に入れて飲ませるという方法です。
早速家へ帰ってきてから飲ませたら、喉が渇いていたのか、お腹が空いていたのか、
スムーズに飲んでくれました。
指定の量よりは少なかったですが、少し安心しました。
若い頃のヴィヴィアン。
それからも、ご飯やお水の前へ行って、ニオイは嗅ぐのですが、受け付けず、
リキッド食を半ば強引に与えておりました。
無理な延命治療はせず、緩和治療でいく方針だったのに、これさえも相手が嫌がる延命治療に思えて、ほんとどうしていいか悩みました。
ネットで夜な夜な検索しました。
リキッドも飽きる子が多いみたいなので、同じ種類のパウチタイプも病院へ買いに行きました。
4月25日です。
半分しか食べてくれなかったけど、自分から口に入れてご飯を食べてくれたことが、
すごく嬉しかったです。
その後も、温めたり、潰したりと工夫しましたが、食べてくれたのはこの時だけでした。
ご飯の取り合い。
4月27日、カリカリをピュリナワンの腎臓サポート(11歳以上)に替えました。
実はずっと、ピュリナワンの腎臓サポート(11歳以上)を与えていたのですが、
たまたまピュリナワンの室内飼い猫用(11歳以上)がほんの少しだけ安かったので、
今年に入ってからケチって、そちらを与えていたのです。
病院から与えられたロイヤルカナンの流動食も、腎臓サポート食だったので、もしやと思い、
元に戻したら、なんと!食べてくれたのです!
あ~これが良かったのね~。ごめんね。途中で替えちゃって。。。
これで大丈夫だね。思う存分食べてね。
そう喜んだのも、また、ほんのひと時でした。
この1回で、カリカリも食べなくなりました。
たまにお外を散歩もしました。
ヴィヴィアンは、私が結婚する前から飼っていて、飼った時から、ずっと私と一緒に寝ていました。
先代のリーちゃんは、勝手に布団に入ってくるのですが、ヴィヴィアンは私の鼻をツンツンと叩くのが、
布団を開けての合図。
トイレの時などは勝手に出ていき、また布団に入ろうとすると、私の鼻をツンツンするのです。
私が眠くて無視しても、布団を開けるまで、私の鼻を叩き続けます。
その後私は結婚、妹のピュア(異母姉妹)と、ビーグルのいびきを迎え、垂れ耳三姉妹になりました。
そして娘が生まれ、数か月後、娘が動物アレルギーであると判明します。
小児科の先生には、誰かに預けるか、今すぐ捨ててこい!と、ほんと散々なことを言われ続けました。
老猫をもらってくれる人なんておらず、もっとも預ける気なんて更々ありませんでしたが、
掃除の徹底と、人間と猫の寝室を別々にすることで、一緒の生活を続けました。
アレルギーと分かる前の娘とヴィヴィアン。
6年くらい寝室を別々にしておりましたが、4/18に病院へ行った時点で、
もう一緒にいられる期間は短いと感じ、私はヴィヴィアンとまた一緒に寝る事にしました。
私の隣に息子、その隣に娘という順番で、娘はヴィヴィアンから遠ざけて。
ヴィヴィアンもとても嬉しそうで、また鼻ツンツンが始まりました。
今までと違ったのは、夜中、トイレのある1階へ降りる時は、必ず付き添いました。
いつ倒れるか分からないので。。。
倒れた時は、一人で起き上がれないので、私が抱きかかえて、
「ヴィヴィアン!ヴィヴィアン!」と大声で叫ばないと、“生き”が戻らないんです。
人間の介護をしてらっしゃる方は、もっと大変なのだと思いますが、私は1週間もすると、
正直もうヘトヘトでした。
便もリキッド食しか食べていないので、下痢状態で、いつも体に付着し、すぐに気付いてあげないと、
家中うんこまみれでした。
何も食べていないので、ツバしか出ないのですが、「ゲホッゲホッ」と苦しそうに吐く状態というのは、
一日に何回もあり、その時は体を支えて上げないと、そのまま倒れてしまいます。
こんなに苦しそうな状態が続くのを見ているのは、とても辛かったですが、
夜になって、家族全員で一緒に寝るという時は、ほんと嬉しそうでした。
垂れ耳三姉妹。
GWに入り、ヴィヴィアンも1階で過ごすより、2階で過ごすことが多くなってきました。
とりあえず倒れた時は、バタッと音がするので、好きなようにさせていました。
今まで少しは飲んでいてくれていたリキッド食も、5月2日は、とても嫌がり吐くようになりました。
プロのカメラマンさんに撮っていただきました。(撮影 関谷亮子)
死の当日。
5月3日は三重県のナガシマスパーランドへ行く予定でした。
子供たちも楽しみにしていましたが、ここへ行くと帰りが9時過ぎになるので、子供たちを言い聞かせ、
県内のとだがわこどもランドに変更しました。
ヴィヴィアンがぐっすり寝たのを見計らって、朝一で出発。
夕方に帰宅するつもりが、子供たちが水遊び場で服をびしょびしょに濡らしてしまったので、
昼過ぎには帰宅。
その後私はヴィヴィアンのお世話の疲れもあって、1時間ほど寝室で、ヴィヴィアンとお昼寝。
その後1階へ降り、息子は主人と虫取りへ。
娘は勉強。私は次の日フリマへ出店予定だったので、その準備。
夕方、2階の寝室のベッドの上で、ヴィヴィアンが大きな目を開けて私を見る。生きているのを確認。
その後夕飯。
途中、洗濯物が終わり、主人が干しに行く。
階段を上ったところで、水滴を発見し、寝室へ行くと、ヴィヴィアンはベッドでなく、床で倒れていました。
主人の叫び声で急いで2階へ行き、ヴィヴィアンを抱きかかえるも、もうダメだと直感しました。
まだ温かかったですが、少し硬直も始まっていて、「ヴィヴィアン!ヴィヴィアン!」と叫びましたが、
帰ってきませんでした。
夕方の6時ごろでした。
撮影 関谷亮子
最期は私の腕の中で。。。と思っていたのに、一人で死んでしまいました。
口の周りには、ツバというか泡が付着していて、最後苦しかったのかな~。
どうして気付いてあげられなかったんだろう。
いつもみたいに倒れた時点で抱きかかえて、「ヴィヴィアン!ヴィヴィアン!」って叫べば、
助かったんじゃないか。
・
・
・
いろいろ、いろいろ考えたけど、、、ただただ悲しくて、家族全員で泣きました。
覚悟はしていたけれど、まだ大丈夫というのがどこかにあって、あまりに突然すぎて、
もっともっと一緒に寝たかったのに。
ヴィヴィアンと最後のお別れをするピュア。私がその日着ていた服を掛けてあげました。
お葬式は主人が6日から仕事だったので、GW休み最後の5月5日に行いました。
先代猫のリーちゃんと同じ、長楽寺で個別葬を行い、家族みんなで天国へ見送りました。
お花で綺麗に飾り付けしてあげました。
ヴィヴィアンがいつも眺めていた、お庭のモッコウバラやパンジーも入れました。
リキッド食と、あと先代リーちゃんが大好きだったちくわも持たせました。
虹の橋で、ちくわを持っていれば、必ずリーが迎えに来てくれるはずです。
私もまた必ず会いに行くから。その時まで、絶対に絶対に忘れないでね。
ほんとに可愛かったよ、ヴィヴィアン。
たのしい14年間をありがとう。
いびきは最後の最後まで、ヴィヴィアンを見る事はありませんでした。
死を受け入れられないようでした。