梅原猛さんの本「神と怨霊」から | ちわ☆わんつーmemory 

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日々の忘れたくないこと

「神と怨霊」 タイトルからして読書意欲を燃やしそうな本
新聞で見つけて図書館で借りたんですよ。梅原さんの「隠された十字架」と「水底の歌」に衝撃を受け、古代史=隠された歴史の裏側なんて方向が好きになったのですから。

神と怨霊―思うままに/梅原 猛
 ¥1,850 Amazon.co.jp

目次見てびっくり!がっかり点 新聞に周一回で連載された「思うままに」というエッセーをまとめた本だったのです。


あとがきに何故「神と怨霊」とつけたかは = このエッセーで書いているテーマの中で見つけた研究成果を著書としてまとめたりしている実績があり、新規に見つけたのが


『古今和歌集』が菅原道真の怨霊鎮魂のためにつくられたもの 

ということだったからだそうです。




目次から読みたい項目だけピックアップしてみました。


『万葉集』と『古今集』

神々の死

怨霊になった日本人


3項目だけですが、何週にもわたって掲載されていたので、内容は濃いです。



「怨霊になった日本人」で日本の神について、梅原さんは


神とは善でも悪でもなく、人間を超えた強い力をもつものであり、放っておけば人間に害を与えるものである。

そして神を祀ることで、その神のマイナスの力をプラスに転化させようとするのが神道である。と定義しています。

神に奉納される御幣の数が神の人気を示すバロメーターであり、多ければ神は喜ぶ……



そして

「神々の死」で織田信長は神を越えて超人になろうとした者で、後に続いたのが豊臣秀吉の「豊国神社」徳川家康の「東照宮」だとなっています。


それまでは、神となる人は「偉大な能力を持つが、その人間が流罪、または死罪になって怨念を残して死ぬ」という条件が必要だったが、織田信長がその概念を変えたのではないか。とまとめています。

興味深いですね。


また

「怨霊になった日本人」のなかで

『万葉集』は柿本人麿・大伴家持・早良親王を鎮魂する為に編纂されたものであり、『古今和歌集』は真名序をわざわざ、『万葉集』が勅撰化された年の100年後にしてあるところから、菅原道真およびその背後にいた人物の鎮魂を目的としているのではないかと書かれています。



源氏物語も鎮魂の書 これは井沢元彦さんの著書にもありましたが、折口信夫によって指摘され、怨霊として神に祀られる条件も柳田国男が述べている。



話は世阿弥にも及び、能や仏像、美術にまで。


また、今まで興味もなかったことばですが、「神仏習合」「廃仏毀釈」これって重要だったのですね。



梅原さんの文章は読みやすいので、内容は難しいのに、それを分かりやすく表現してあってとても助かります。

久しぶりに新聞で書籍広告を見たので、読んでみましたが、いい本でした。 ただし、読んだ箇所だけねテレ


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