先日 山登りしました。
大文字山です
京都といえば 神社仏閣ですが
わたしは 山の方が興味あるんです。
そもそも わたしにとって
一番のパワースポットは 実家なので
もちろん お寺や神社の清らかさは
心を浄化してもらえるようで好きです。
今回 とっても素敵な観音様との出会いもあり
京都の底知れぬ素晴らしさを実感したしっ
でも 今日は 山でのことを綴らせていただきます。
山を登っていて感じたことは
人生の縮図っぽい ってところ。
夏の真っ只中ですから
けっこう ヘビーでした。
でも だからこそ いい
さて。
今日は 登山中に感じた
人生の縮図的感想を書きたいと思うのですが
長くなりそうなので (既に 前置きも長い)
お時間のある方は よろしくお願いします。
まず。
銀閣寺の入口を左横に向かい
すぐ右に曲がると 山のたもとに着きます。
そこからは ひたすら 登るだけ
アスファルトの山道を進むと
いよいよ 登山開始モード。
ここで水分を買っておかないと
大変なことになります。
この時点で 喉が渇いていなくても必須
そして いざ 歩き出すと 最初は わりとなだらか。
やがて 山の中を歩いてる~という気持ちに。
ただ ただ 登ります。
だんだん苦しくなってきて
とてもじゃないけれど 頭を上げて先を見て
歩くなんてことができなくなってきて
自分の足元を見て 一歩一歩
踏み締めて歩く作業に入りました。
(真夏でなけれは もう少しらくなはずですが)
この時に感じたのです。
人生も いつも上を向いて歩いてばかりは
いられないもんだなぁ。と。
でも 自分の足で しっかり進めば
ちゃんと進んでいくから それでいいのだと。
頂点へ向かうって 簡単な訳がない
途中 大の苦手な虫もいる
そう 自然だから 絶対にいるのです。
この世の摂理。
苦手な人や出来事だって
通り過ぎていけるということ。
それには やはり進んでいくことが必要
油断していれば 見逃す 道しるべ。
写真だとわかりにくいですが
とっても 小さいのです。
やはり ちゃんと上を見ていないと
必要な情報に気づけなかったりするかもしれない。
視野を広く持つことも大事なのだと痛感。
この時点で 着用中のTシャツは
洗濯機で脱水が必要なレベルに
この階段
最後のチカラをふりしぼって
登るぞーという気持ちになります。
だって 向こうに光が見える
ヤッター
感無量です。
汗だくの顔が緩み 爽快感でいっぱいに
送り火の灰が 残っていました。
しかし
達成感で 胸を膨らませ
ゴクゴク 水分補給して
再スタート
まだ 道があるのです
そう。
一度 満足したからといって
道は まだまだ続いていたりします。
絶景に感激し 飛んでいったはずの疲れが
再現されるのです。
ここから 新たに気持ちを立て直すのは
けっこう 気合いが必要です。
送り火の場所で おしまいにする方が多いみたいです。
でも せっかくなら やはり てっぺんへ
行きたいと思ってしまう
しかし ここからの道は 更に険しいのです。
だんだん 道なき道に。
しっかりとした木の根を見ると
自分も しっかり立って
今やっていること やっていきたいことを
ちゃんと 根付かせようという気持ちになってきます。
道のど真ん中に木が立っていると
間違えたかな?と不安になります。
実は 大文字山は 2回目なのですが
全然覚えていなくて
しかし 自分を信じて進む
写真だと わかりにくいのですが
下り坂が 現れます。
頂上へ向かうには
何度も 登って 下って また登る。
せっかく 登ったのに
下らなくてはいけないって
けっこう せつないもの。
やるせない気分全開です
それでも 耐える。進む。登る。
人生も きっと つまづいたり
スムーズにいかないことって山ほどある。
だから いい
そう だから いい
二度言いたかった。
頂上の近くになると
歩くのではなく
ロッククライミング
手を使わないと登れません
これ以上は 写真撮影不可能
そして 到着
1時間10分から30分見ておけばいいかな。
たぶん 見晴しは 送り火のあたりの方が
良い感じだと思います。
それでも 頂上まで 行く
気分の問題です。
まだ上があるのなら 頑張ってみたいから。