こんにちは、志緒村亜希子です。


先月、12月の戌の日

水天宮に安産祈願へ行きました。
(本殿立て替えのため、一時的に移転しています)


母と二人で。

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二人で出かけるのは何年振りだろう?


嬉しいような恥ずかしいような気持ちで
参拝後、人形町をウロウロ散歩。



どうしても食べたかった鰻をいただき、IMG_20141218_172319.jpg

うな富さん、とーーーーっても美味しかった!
(とろろと、卯巻きがついてるところがまたGood)



お目当てのマタニティショップ
マタニティタイツをたくさん買い、


重盛の人形焼を買って
甘味処へ移動してあんみつ食べて


あんこを口に入れながら、
私はこれまで子供を持つことを
ずっと避けてきた、と打ち明けた。


そんなこと、母は
想像していなかったようで
驚いてた。


子供の頃、非常に扱いづらい私のせいで
母の子育てが辛かったんだと子供心に
勝手に思い込んでたことも伝えた。

お母さんがいつも幸せそうではなかったこと、
子育ては幸せを奪うものという恐怖を
持っていたこと。


それを聞いた母、

「それ(辛いこと)だけじゃなかったわよ」。



短いこの一言からでも
母は私たち姉妹の子育てから
幸せみたいなものを受け取っていたことが
伝わってきた。


昔みたいに責める会話じゃなかったからこそ
すっと入ってきた。


基本、表現が下手くそな母。
言葉は少ない。


去年、妊娠を伝えた日も、
びっくりしつつ、静かに座ってた。
決して騒いだり感情的にならない。


こういう所、昔は「冷たい」と思ってきたけれど
母なりに何かを感じてる。

そこを見ようとしてこなかっただけ。


「この人は欲しいものを与えてくれない」
そこに執着して、他を見ようとしてこなかっただけ。



確かに母は遠い北海道から離れて
孤独の中で子育てを
経験してきたと言う。



ただ、いま娘の妊娠を喜んでくれている
ということは
やはり私たちが生まれてきて
よかったと思っているということ。


母はちゃんと、自分の子育てを肯定してるってこと。

子供の存在は大きかったってこと。


それを、ずっと私は勘違いしてきたんだ。





戌の日のお参りを、前々から「いつ行く?」と、
一緒に行くのを当たり前のように
計画してくれていて
私はそこに乗っかるだけでした。


成人の日を迎えた時、本人は嫌がる横で
サクサクと着物や美容院の手配をしてくれたことを
思い出しました。


短大でカナダへの短期留学プログラムに
参加したいと言うと
やはり当たり前のように入学式後の
説明会に残って参加してくれてた。


私に関わる行事があると
当たり前のように動いてくれてた。

それがなぜなのか、若い頃は
考えもしなかったけれど

母の一挙手一投足が愛情に見えるように
なっているから不思議。


心の終戦を迎えてからも、
どんどん気づきは生まれます。



無表情で
寂しがりで
ヒステリーで
不器用で
ネガティブな母だったけど

私が求めていた無条件の愛はあったんだ。

最初から。

惜しみなく注いでくれてたんだ。


10月に引っ越した時も、

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朝早く起きてお弁当を作ってくれたり



私が実家に置いてきた生地で
エプロンも作ってくれた。1412078070975.jpg
(左)カピバラさんの誕生日にパジャマを作った残りの生地。

(右)中3の家庭科実習でパジャマを作った残りの生地。

 

 

この人のどこに愛がないと思ってきたんだろう。


でも、時間が経って分かることがある。

たくさんある。





今日は母の誕生日。



これまで大きな病気ひとつせず
健康でいてくれたことに、感謝。


母の料理は世界で一番おいしい。



北海道のおじいちゃん、おばあちゃん
私を桂子さんに繋げてくれてありがとう。

 

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