「対テロ戦争」に赴く兵士の過ぎた‘憂鬱‘(「戦場でワルツを」‘08年イスラエル/アニメーション) | 中東倶楽部 映画・番組のブログ

「対テロ戦争」に赴く兵士の過ぎた‘憂鬱‘(「戦場でワルツを」‘08年イスラエル/アニメーション)

「パール・ハーバー」が連呼される音楽が、戦場に向かう主人公を乗せたボートのシーンで使われる。これは、テロとの戦いなのだった。

 ‘82年、レバノンの首都ベイルートにあるパレスチナ難民キャンプで行われた大虐殺に、イスラエル兵として加担した兵士が、今も当時に支配され苦悩する様を、準ドキュメンタリー的手法で描きながらアニメーション化したのが本作品。クオリティの高さ、表現の斬新さから評価も高く、‘09年末に始まったイスラエル軍によるガザ侵攻がなければ、アカデミー・外国語映画賞を受賞していた、という意見も根強い。(同賞の受賞作品は、「おくりびと」)

 技術的には、かなり良い線を行っていると思うが、イスラエル市民の「言い訳」的ということからだろう、アラブ諸国では概ね上映禁止になった。虐殺に加担した軍の責任回避をつらつらと綴っているという見方からいえば、政治的に許容できまい。ディア・ハンターについて、ベトナム人はどう思うのか想像してみて欲しい。

 一方、イスラエルでイスラエル人のためにイスラエル人が作った、と考えれば、一定の意義を見出せるのではないか。しかし、同国での興行成績が振るわなかった。極度に右傾化しているこの国の人々の大半が、自国批判の匂いがする作品を好まなかったということだろう。

 では何処での上映が最適なのか、と考えると、日本が思い浮かぶ。ただ、どちらが加害者かの注釈は付けねばなるまい。

 対アメリカ戦に限った場合、我々が文字通りのテロリストで悪の極みであったとは考えにくい。アジアに対する侵略と、欧米との戦争は、区別しなければならないと思う。反戦には同感だが、第二次世界大戦中に戦ったのは、何も我々だけではない。

 <対テロ戦争>は、第一次世界大戦から始まっていた、と語るイギリス人の著名な左派ジャーナリスト、R・フィスクでさえ、第二次世界大戦はテロとの戦争そのものだ、とする。つまり、日本はテロリストであり、イギリスは正義の見方というわけだ。こうした人々の見解を鵜呑みにすると、進んで侵略に加担する結果になる。

 日本人が「戦場でワルツを」に登場する兵士に共感するようなら、アラブ人からは嘲笑されるだろう。状況を理解した上で、戦争の悲劇を痛感し映像を堪能できるようなら、鑑賞する価値は高い。

 冒頭で触れた「パール・ハーバー」について、是非、映画の中で鑑賞して欲しい。ハワイがどんな場所で何が起こったのかを、調べ直してみるのも良いだろう。



 (匿名ライターG)