タイタニック号沈没事故とタイタン遭難事故考察② | michelleのブログ

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前記事の続きをお許しください。こちら九州は終戦間近では長崎の原爆、特攻基地、沖縄本島上陸では多大な犠牲を出した地域もあり、とくに特攻では経験未熟な17〜32歳平均年齢21歳の若者が大勢亡くなっています。

こうした経緯から防衛大学に進む人は九州出身の方が多いと関係者に友人がおりますので、そのように教えて下さいました。

前回の記事でイメージしやすいようにお話しすると前置きの長い出だしではありますが、

九州といえば、長崎原爆、戦艦大和、沖縄本島決戦、知覧特攻など、やはり夏の宿題帳で『夏の友』(懐かしい)では戦争を考えるページが数ページあったほどです、今は1ページの半分程度ではないかと思います。

それくらい切り離す事ができない地域でしたし、特攻の浜園さん、地元津久見の中津留さんをほぼ終戦後に宇垣纒中将が当時大分市民公園付近の空港から特攻(失礼な言い方になりますが取材から無意味な特攻)亡くなった話もあり、

予科練の川野喜一さんともお話ししております。


2016年頃川野さん90歳


タイタニック号沈没船ツアー潜水艇遭難事故とはかけ離れた話かもしれません。

最終的に例を取り上げる点について、前置きが長いお話しですが、このような地域です、

当たり前に、ひめゆり学徒隊や戦艦大和の話も遺族の方、大和沈没の生存者さんのお話しも熟知しております。今回のタイタン遭難事故とタイタニック号沈没と戦艦大和沈没について、自分なりの勉強してきた事ですが、先に結論すると


多大な犠牲者を出した海の聖地、そっとしておいたらどうかと思う。



戦艦大和を引き上げることについて、反対されている方もいらっしゃいます。

これはニュースでもみてきた事ですので、やはり似通った意見のサイトもあり、少し引用しますと、沈んだ戦艦については、「墓標」のような位置づけにあるとされ、関係者や遺族の中には大和自体がお墓と考えている方もいらっしゃいます。

大和の生存者からも引き上げについては、「そっとしておいて」という声があったとニュースでも取り上げられています。

この件について、大和沈没とタイタニック号沈没とは意味合いが違うと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、遺族やこの事故でバッシングを受けた人もおります。

知ってる方はいらっしゃると思いますが、日本人でタイタニック号沈没の際助かったミュージシャンの祖父がおります。

余談になりますが当時一世を風靡したテクノロジーサウンドの前進ともいえ、小室哲哉さんや多数のミュージシャンに影響を与えたYMOの細野晴臣氏の祖父細野正文氏が搭乗して、最初は生存者という事で歓迎ムードでしたが、救命ボートにレディファースト、子供という優先な中に細野正文氏が乗ったという事で、非難を浴びたという事も知っています。

人によっては生存しただけでもバッシングの対象になるのが現状です。日航機ジャンボ機墜落事故でも生存者の方はそうした事もあったと聞いております。

歴史的惨事にはつきもののようです。

私は著名な方、遺族の方、予科練の川野さんの生き残った者の辛さを聞き取っているので、海に纏わる出来事と戦艦大和沈没、佐世保湾零戦引き上げた際も結局、海に戻したと聞いた記憶があります、

合わせて結果

何がいいたいの?

という事で、

そっとしたらいいのに。

と、私は思う。もちろん今回のタイタン遭難事故犠牲者の5人の方には心よりご冥福を祈っております。当たり前です、消息不明と聞いて、なんとか助かってほしい気持ちで一杯でした。

でも、戦地や歴史ある事故現場は何もタイタニック号沈没事故現場だけに限られてません。尼崎列車事故や日航機ジャンボ機墜落事故も含めて、その地は墓碑でもあるわけです。

やはりもたげてしまいましたし、その墓碑を見ることに、何の意味があるのかと、時折私は虚しくなる時があるのです。