それは親の課題じゃない | ミカリュス ブルガリスの心の薬箱

ミカリュス ブルガリスの心の薬箱

辛い恋とはさようなら。自分らしく幸せに生きる処方箋をフランス・パリから綴っています。

子供の課題なのに、それをやらない子供を見て胸がザワザワとすることがあります。

 
 
 
先日、息子がやっておくべき大切なことをやっていなかったことを知り、なんだかぼわーんと心に霧がかかったような気持ちになってしまいました。
 
 
私から見るとそれはとても大切なことで、それをやらないことによって、後でもっと面倒なことになってしまうであろうと思われることです。
 
 
 
 
 
でもそれって、親の課題じゃないんですよね。
 
息子自身がやらないと決めて、その結果も受け止めると決めてるんですから。
 
 
やらないと決めたというより、忘れてたんじゃない?と思わないこともないですが、忘れるということも、本人の意志で忘れてるんです。
 
 
本当に自分に大事なことは、絶対に忘れませんから。
 
 
親から見て、それは絶対に大事なことで、忘れるとかやらないとかあり得ないのですが、本人が忘れてたり、知らなかったり、知っていても面倒だからやらないことって、その人の人生にとって、優先順位が低いことなんですよね。
 
 
 
 
年齢だの経験値などのファクターを考慮に入れて見てみると、知らなかったり面倒くさいと思ってやらなくて、後で墓穴を掘ることになる未熟さが不憫で、アホか、誰が育てたんじゃ、えっ、私???ってことになるんですが。ウサギ汗
 
 
 
 
 
本人がいいと言ってるので、もうそれ以上言うことはないのですが、それでも、どうしてもボワーンとしたモヤモヤが消えないので、息子のためではなく、私のために言っときました。
 
 
 
 
ママは、ルカが、今回のことで、後で後悔したり、悩んだりするかもしれないと思って、心がボワーンとなって落ち込んでる。
 
 
でもルカが落ち込んで鬱とかになってしまったらもっと辛いけど、平気そうで良かった。
 
 
根が真面目な子は、しまった、これで人生終わったと真剣に悩んで、辛そうに生きる子もいると思う。
 
 
そんな辛そうな子供を見るのは、親にとってすごく辛いことだと思う。
 
 
ママとルカの場合は、ママがどよーんと落ち込んでるけど、ルカが気楽に構えて、なんとかなるだろうと思っているから、けっこういいコンビかもしれないね。
 
 
 
 
 
 
とこんな感じで自分の気持ちを伝えておきました。
 
 
 
 
 
なぜなら、この問題は親の課題じゃないから。
 
 
でも、なんか言いたい。
 
言わないとずーっとモヤモヤしちゃいそう。
 
 
だから、とりあえず、主語が私(I)のアイメッセージで自分の気持ちを伝えました。
 
 
このアイメッセージで伝えたいことを伝えると、主語があなた(you)のユーメッセージで伝えるより、相手は批判されたという気持ちを感じることなく、比較的素直にメッセージを受け取ることができるそうです。
 
 
 
お気楽な息子のことですから、
 
 
「ふーん。それだけ? じゃあな。」
 
 
みたいな反応しか返ってきませんが、自分の気持ちを伝えられただけ、私のモヤモヤが減りました。
 
 
 
 
 
 
生きていると
 
 
なんであんな風にしちゃうんだろう。
信じられな~い。
あり得な~い。
 
 
みたいな人に出会うこともありますが、まさか手塩にかけた我が子が、その信じられない、あり得ない系だったりするんですよね。
 
 
当然のことなのですが、親子でも兄弟、姉妹でも、性格はそれぞれ違うし、考え方、生き方も違います。
 
 
たまに真面目系のしっかり者のご両親の元に、同じような真面目系のしっかりさんが生まれていらっしゃるご家庭があって、そういうご家庭の方から見ると、あらら、可哀想、御愁傷様っていう風に思われるかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
将来のことを考えて、念のために今興味のないこともやっておいたほうがいいと思う人もいれば、今、この瞬間にワクワクすることをして、その延長にワクワクした未来があると考える人もいます。
 
 
私は、つい最近まで、幸せを先延ばしにするタイプで、将来のために余念なく準備して満足感を得ていました。
 
 
それが、あるときから、幸せの先延ばしはもうやめて、今、楽しもう、今、やりたいことをやろうとするようになってからは、なぜか、反対に将来の不安はなくなったのです。
 
 
 
 
だったら、今を楽しく生きてる息子で、そのままでいいのではないかと思わないでもないのですが、まだ発展途上の年齢ということもあり、転んで大怪我しないかと、やっぱり気になってしまいます。
 
 
 
転んでも、ひとりで立ち上がって、それなりにやっていくんでしょうけど。
 
 
 
 
 
 
いつかそんな日が来ても
 
 
「ほれみたことか」
 
 
とか言わないようにしようと思う。
 
 
 
 
だって、みんなそうやって大人になってきたんですから。