社内でFC店舗の立ち上げをしているチームから
こんな報告を聞く。


研修に来ていた店長が飛んだ(辞めた。若しくは逃げた)と。

覚悟が出来てなかった。とか

まぁそこまではよくある話。

だけどここからがキレそうな話。

そんな覚悟の無い奴に限って、研修期間の労働分の賃金をくれとか言ってくる。

雇用主より交通費を出して貰い。
研修費用までかけて先行投資をしたのに
結果途中で逃げ出され回収どころか赤字で終わった状況。

そんな一円にもならない奴が更にギャラをくれと要求してくるのだ。

勿論労働基準法の概念ではこれは事業者側からみたら当然支払わなくてはならない。

でもさ

考えて欲しい。

研修期間で会社側は使えない人間を教育している期間。

つまり売上をうむことなく費用だけかかっている状態なのだ。

生産性の無い状態。

そんなものは労働では無いのだ。

報酬とは労働の対価にあたるものである。

であれば対価を支払わなくてはならないと言うのは倫理的におかしい話である。

倫理的におかしい話は法律では保護されていると言うこれ又おかしい話。

労働基準法の話に触れてみる。


労働基準法は戦後に制定された。
戦後は労働者が非常に弱い立場にあった。
労働者保護の基本概念が労働基準法の根底にあり作られたものである。
それが現代社会で何の性質も変えず生き残っているのがおかしいのだ。

現代社会は戦後と違い全てにおいて環境が違う。
特に情報が誰でも簡単に入手出来る時代。

戦後の間もない頃の様に雇用主が一方的に強くなっている環境では無いのだ。

職業選択の自由が限り無くある環境の中で、手厚い労働者保護は、法律は全てに平等である事の概念から逸脱している。

結果的には真面目に働く人間が損をする構造なのだ。

企業が簡単に正社員を採用出来ないのは、上記にあった一部のならずもの存在のお陰で。そのならずものを保護する労働基準法のせいで採用出来ないのだ。

この事が不平等なのである。


しかし嘆いていても仕方がない。
甘えとけばいい。

甘えられるうちは。


労働力が減る一方で高齢者の社会保障は増える一方の日本


今の老人は自分が生きてる間が安泰ならそれでいいだろうぐらいしか思って無いだろうし
思考停止した現役世代は何も思わないで今の環境を傍観しているし。

賢い人は
とっくに日本に見切りをつけているだろうし。


珍しく悲観論を唱えてみました。

意味無いのにね。