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 戦前の「算術」の教科書を見ていると,今とはずいぶん違うことに驚く。たとえば「名数」「不名数」という言葉が出てくる。
 「名数」という言葉を私が初めて聞いたのは,30年近く前,塾で受験算数を教えていた時だった。一人の生徒が解き方の式を書いたノートを持って質問に来た。答の数値は合っているのだが,途中の式が正しいかどうか確かめるために数に単位を付けてみることにした。
「メイスウにするんですね。お父さんが言ってました。」
単位の名が付いた数のことを名数というのかと初めて知った。その子はD大附属中からD大医学部進学が希望だったので(中学には合格した),父親は多分私よりいくらか上の世代の医者で,「名数」という言葉を知っていたのだろう。
 けれどその後,名数という言葉を目にすることはまずなかった。
今回,明治時代からのかけ算・わり算について調べてみて,昔は名数・不名数の区別にうるさかったことを知った。次の文章を見つけた時は,ああ自分は無意識にこういうことをしたのかとわかった。
「もちろん名数に添えた名前は単位を間違えないために,または演算の際意味のない計算を行わないようにするための注意に外ならない」(木村教雄『小学算術教材ノ基礎的研究』昭和11年(1936),121頁)(原文はカタカナ。以下の引用文も同。)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268105/70
 上の文章は次のように続く。「…注意に外ならないのであって,数としての性質に於いては名数も不名数も異なるところはない。」
 この文章からも推測できるように,時代が下ると,名数・不名数の区別はあまりうるさくなくなり,現在ではほぼ死語扱いになっている。しかし,明治時代は以下のようにうるさかったのだ。
    *
 戦前「算術」は,尋常小学校(義務教育。初めは4年制,途中から6年制)だけでなく高等小学校,中学校でも教えられていた。尋常小と高等小の教科書は明治38年(1905)から国定制になったが,中学校の教科書は検定制のままで,大学の有名な先生が執筆をした。東京帝大の教授も,菊池大麓が,寺尾寿が,藤沢利喜太郎が,そして高木貞治が中学校の教科書を書いた。日本の数学教育の基礎をつくる「坂の上の雲」の時代だった。
(司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公の一人秋山好古(陸軍大将)は,晩年故郷松山で私立中の校長となり郷土教育に身を捧げる。このとき幼馴染の数学教師が老年で退職しようとするのを,「この年で俺がやるのだから頼む」と引き留めた(※1)。この教師が渡部政和で,明治23年文部省が全国の中学校の数学教員40名を集めて,菊池大麓が講義を行った際,その優秀さで「数学五天王」と呼ばれた一人だった。生涯菊池への尊敬の念を失わなかったという。夏目漱石が愛媛県尋常中(後,松山中学校)に英語教師として赴任したときの数学教師で『坊っちゃん』の「山嵐」のモデルとなったことが有名です。写真の風貌を見ると,確かに山嵐である。
渡部政和


(※2) 
(根生誠「幕末期生まれの数学教師について 数学五天王の場合」『数学教育研究史』第6号所収 http://jshsme.edu.mie-u.ac.jp/900gakkaishi/backNo/No06.pdf
(※1)『政和先生追想録』1935年,467頁 (※2)同前 写真頁)

さて,高木貞治は『新式算術教科書』(明治44年)で「名数,不名数」について次のように書いている。(他の人の教科書も大同小異なので,今も権威がある高木先生の本を引用した。)
「数と単位とにて,物の多き少きを表せるを名数といい,これに対して,ただの数を不名数ともいう。五冊,四十人,三尺,八升などは名数にて,五,四十,三,八などは不名数なり。」(2頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/7
 「名数,不名数」の区別は,かけ算・わり算で生きてくる。
高木は言う,「乗数は必ず不名数なり。積は被乗数が名数なるときは,また必ず同種の名数なり。」(同上,21頁)「一時間に十二里ずつ行く汽車は,四時間に幾里を行くべきか。」という問題では,「十二里(被乗数)に四(乗数)を掛け,積として四十八里を得たるなり(之を十二里に四時間を掛けたりとは言うべからず)。」(同上同頁)。その理由は,「乗数は必ず不名数」だから,「12里×4」とするのは良いが,「12里×4時間」と「名数4時間」を乗数にしてはいけないということだろう。当時の通則では,かけ算の式は「被乗数×乗数」の順序であった。
 わり算については,高木は次のように書いている。
「掛け算にて 6円×4=24円 なることを知れり。これを逆に考えて,
(1)24円の中には6円が幾つ含まるるか。 答 4  (略)
(2)24円を四つに分つときは,幾円ずつとなるか。 答 6円  (略)
(1)にては,実24円を法6円にて割り,商4を得,
(2)にては,実24円を法4にて割り,商6円を得たるなり。
法が不名数なるときは,商は実と同名なる数(または実も商も共に不名数)なり。
実が名数にて,法が是と同名なる数なるときは,商は不名数なり。」(同上31-32頁)
 わり算の意味をこのように2通りに区別することは,高木だけでなく,この時代の通則であり,教育学者・教師の間では,
 (1)名数÷名数=不名数(24円÷6円=4)のタイプは,「包含除」,
 (2)名数÷不名数=名数(24円÷6=4円)のタイプは,「等分除」
と呼ばれるようになり,「包含除,等分除」の用語は,現在の算数教育界にも引き継がれている。しかし,この用語は日本独特らしい。銀林浩さんによれば,「包含除,等分除」に対応する用語は,ドイツ語にはあるが,英語やフランス語にはないらしい。
「 包含除――Enthaltensein
      ――division by inclusion
  等分除――Das direkte Teilen
       ――division into equal parts 」
 ( 銀林浩『ここが問題 いまの算数教育』1992年,国土社,59頁 )
    *
 名数,不名数の区別も,わり算の2つの意味も,日本では明治になってから西洋から学んだものであった。(江戸時代の和算にはなかったと思う。和算では,被除数のことを「実」,除数を「法」と言ったから,content(実),operator(法)という考え方はあったかもしれないが,その「実,法」という言葉も奈良時代に中国から学んだものだった。)
 「名数」の原語は,“concrete number”(具体数),「不名数」(または無名数)の原語は“abstract number”(抽象数)である。というより,山田昌邦纂訳『英和数学辞書』(1878年)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826187/6 も,藤沢利喜太郎『数学に用いる辞の英和対訳字書』(1889年)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826493/4 も原語にそのような訳語をあてているわけである。
 「名数,不名数」という言葉の初出は,塚本明毅『筆算訓蒙』明治2年(1869)らしい。『筆算訓蒙』は,小倉金之助が,「数学教育上の傑作」で,「明治維新を記念すべき名教科書として第一に推薦したい」と絶賛した本。(小倉金之助『数学教育史』1932年,292頁 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1841456/161 )
「その実数(被乗数:引用者註)は必ず名数にして,法数(乗数:同前)は姑(しばら)くこれを不名数と見て可なり。(その理は比例式に於いて詳らかにすべし,)その得数(積:同前)は必ず実数と類を同じくして即ちその同名数なり。」(『筆算訓蒙』巻一,20丁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827631/25 )
「乗数はしばらく不名数と見て,詳細は比例式で述べる」と言っているのは,『筆算訓蒙』巻三の「正比例」で,「米三十五石にして,その価金二百八十両なる時は,米百五十石の価い幾何なるや」という問題を解くときに,(150×280)÷35という式を立てるから,150石という名数に280両という名数を掛ける場合があることを指している。(参照:須田勝彦「明治初期算術教科書の自然数指導:塚本明毅『筆算訓蒙』を中心にして」14頁 http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13603/1/15_p1-19.pdf )
「名数,不名数」という用語の初出だけでなく,「乗数は不名数なり」「被乗数と積は同名数なり」という命題の本邦初出も,この『筆算訓蒙』と言って良いと思う。
では,塚本明毅に始まり,明治から戦前の日本の算術において重要概念であった「名数/不名数」の,その発祥の地・西洋での在り様はどうであったのか。

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