循環論法とユークリッド,そしてルイス・キャロルなど | メタメタの日

 点Aを頂点とする二等辺三角形ABCの底角∠B=∠Cを証明するために,Aから底辺BCに線分AEを引いて⊿ABE≡⊿ACEを利用するときに,AEの引き方によっては,循環論法に陥るという議論があることを初めて知った。
 http://blogs.yahoo.co.jp/oka_yadokary/9809665.html

 言われてみれば確かにそういう問題があるが,塾で小中学生に10数年間算数数学を教え,その後数年間高校入試の数学の模擬試験を作っていながら,この問題に気が付かなかったし,それで支障が生じたこともなかった。己が不明を恥じながら,なぜ中学数学で問題にならなかったのかを調べて,考えた。
 Googleで「循環論法 ユークリッド」で検索して引っ掛かったものでは,上記サイトとともに上位3位に入る次の2つが参考になった。(3つ目を追補 2015.8.30)
 http://tenagusami-memo.blogspot.jp/2010/10/blog-post_9686.html
 http://mathpath.jugem.jp/?eid=24 
 http://m-ac.jp/me/subjects/geometry/theory/euclid/2d/characteristic/measure/index_j.phtml
 
 問題の要点は,三角形の3つの合同条件(合同定理),①二辺夾角相等,②二角夾辺相等,③三辺相等と,④二等辺三角形の底角相等という,4つの定理の関係ということになるのだが,(1)小・中学校での扱い,(2)ユークリッド『原論』での扱い,(3)ヒルベルト『幾何学基礎論』での扱いは,次のように異なる。

(1) 小・中学校
 小5で,三角形の合同については,上記の,①2辺の長さとその間の角の大きさ,②1辺の長さとその両端の角の大きさ,③3辺の長さ,のどれかが分かれば,三角形が1通りに作図できるということを教わる。中2では,「三角形の合同条件」として①②③を教わり(昔風の漢字熟語ではないが),その後で,④二等辺三角形の底角相等定理を,頂角の二等分線を引いて①二辺夾角相等を使って証明する。
 つまり,④の証明に入る前に①②③が既知のものとされている。(しかし,①②③については「証明」がなく,①②③で「作図」ができることが証明の代りになっている。このように,証明がないから,「合同定理」と言わないで「合同条件」と言うことにしているのだろう。)だから,④の証明には,①だけではなく②③を使っても構わないことになり,頂角の二等分線ではなく,底辺への垂線でも中線でも良いはずなのに,教科書等では,二等分線以外は見たことがない。それがずっと不思議であった。

(2) ユークリッド『原論』
 定義,公理から始まり,命題が次々に証明されていくユークリッドの体系では,上記4つの定理とその証明は,次の順に出て来る。
 命題4.①二辺夾角相等
 命題5.④二等辺三角形の底角相等(「ロバの橋」と呼ばれる難解な証明で有名)
 命題8.③三辺相等
 命題26.②二角夾辺相等

 つまり,ユークリッドは,「命題5.④二等辺三角形の底角相等」の証明の直前に,「命題4.①二辺夾角相等の合同定理」を証明しているのだが,だからといって現在の教科書のように,頂角の2等分線を引いて2つの三角形をつくり,「①二辺夾角相等」を利用して三角形の合同を証明するのではなく,昔から「ロバの橋」と呼ばれる難解な証明になっている。その理由は,「角を2等分できること」が「命題9.」にあって,命題5.のときにはまだ証明されていないから,ということが,上記 http://mathpath.jugem.jp/?eid=24 で詳しく解説されている。
 なお,「ロバの橋」にもよらず,頂角の二等分線にもよらず,二等辺三角形を引っくり返して,元の二等辺三角形と二辺夾角相等で合同を証明する方法があり,上記3サイトのどれもが触れている。その証明法はパッポス(ユークリッドの500年後,紀元3世紀の人)に因ると,遠山啓『数学入門・上』120頁にある。私は自分でこれを思いついたように思って昔からお気に入りだったが,問題集などで採用されていないのが不思議で,この証明には何か欠陥があるのかと思っていたが,今回,パッポス,遠山啓のお墨付きを確認して意を強くした。

 ともあれ,ユークリッドに拠れば,頂角の二等分線を引くという教科書の証明も循環論法の過ちを犯していることになる。「教科書は循環論法だ」という議論は,ユークリッドを典拠として発生したのだろう。しかし,ユークリッドってそんなに偉いんか,と思う。(実は私はずっとユークリッドにコンプレックスを抱いていたのだが。)
 ヨーロッパでは,『原論』の演繹体系は,ニュートンもスピノザも自分の主著の範と仰いだように権威があったが,『原論』の論理体系に不備がなかったわけではなかった。19世紀ヨーロッパでは,ユークリッドの再検討はいくつかの方面からなされた。1つは,非ユークリッド幾何学に至るもの,1つは20世紀初めのペリーに始まる数学教育改革運動に至るもの,もう1つはヒルベルトの公理主義に至るもの。ユークリッド見直しの動きに対しては,当然,反動が生じた。
 オックスフォードの1つのカレッジで数学を教えていたルイス・キャロルは,1879年に『ユークリッドと現代のライバル達』という一書を著し,ユークリッド教条主義の名乗りを上げた。ユークリッドの亡霊が数学教師の研究室に現れて議論するという劇仕立ては,『ファウスト』冒頭のメフィスフェレス登場を連想させ,さすが『不思議の国のアリス』(1865年)の作者と感心する。学生の論文を採点しながら数学教師がこうぼやく,「命題19を証明するのに命題20を前提にしているのか…,待てよ,こいつは前の論文では,命題19を使って命題20を証明していたではないか!」
 ルイス・キャロルは『原論』第1巻の定理のつながりを鎖の図に示し,ユークリッド以来2千年余の連鎖を守って循環論法にならないようにしろと言う。
https://archive.org/details/euclidhismodernr00carr
 しかし,定理のこのような連鎖に留意しなくてはならないとすると,数学とは何と不自由なものであり,数奇者のゲームか人を差別選別する知能検査以上には思えなくなるだろう。
 1901年イギリスのペリーの講演で烽火を上げ,アメリカ,ドイツ,フランス,そしてかなり遅れて日本にも広がった数学教育改革運動は,数学を実用的なものとすることを目指した。スローガンの1つに「ユークリッドを海の底に沈めろ」があった。
 
(3) ヒルベルト『幾何学基礎論』
 他方,ヒルベルトは,ユークリッド『原論』の公理の不備を補完し,公理主義を徹底化しようとした。『幾何学基礎論』(初版1899年,第7版1930年)では,①②③④は,次のような順番になる。(第7版の中村幸四郎訳ちくま学芸文庫を参照した。「近代デジタルライブラリー」にある林鶴一,小野藤太共訳の初版本には少なからざる違いが見える。)
 定理11.④二等辺三角形の底角相等
 定理12.①二辺夾角相等
 定理13.②二角夾辺相等
 定理18.③三辺相等

 定理11.の二等辺三角形の底角相等は,(『幾何学基礎論』が採用した)「合同の公理」により直ちに証明されるとあり,①②③の三角形の合同条件(合同定理)の前に出てくる。
 三角形の合同を使わずに二等辺三角形の底角相等を証明するわけだから,「中学生の常識」からはかなり驚きだが,詳細は書かれていない。
 http://tenagusami-memo.blogspot.jp/2010/10/blog-post_9686.html
にもあるように,パッポスと同じ方針だろう。

(4)循環論法についての議論への感想
 論証幾何は中学2年から教えることになっているが,塾で教えながら,目で見て直感的にわかる図形の証明問題がどれだけ「論証幾何」の名に相応しいものなのかが疑問だったし,「論理学の初歩を幾何の証明問題で教えることは妥当ではない,記号論理を教えるべきだ」という遠山啓の指摘がずっと気に掛かっていた。
 「古代ギリシア以来,数学を語る者は証明を語る」とは,ブルバキの言葉らしいが,その証明が循環論法になっていないかどうかは,どのような公理を採用しているかにもよるだろう。だから,中学教科書の二等辺三角形の底角が等しいことの証明が循環論法かどうかは,中学教科書がどのような公理を採用しているかにもよるが,教科書ではそのへんは曖昧である。三角形の合同条件を公理としているという説もある。(前記のhttp://tenagusami-memo.blogspot.jp/2010/10/blog-post_9686.html )  
 そもそも中学の教科書には,「定義」や「定理」という用語は出て来るが,「公理」という用語は出てこない。中学では,数学とは,定義と公理を適当に選んで定理を作りあげるフィクションの世界という理解でないことは確かだ。しかし,大学で数学を学んだ先生の頭のどこかには,「数学というものは,所詮,現実の具体物とは無関係の「約束事」の体系に過ぎないとする,「(誤解された)ヒルベルト主義」」(佐伯胖「「タイルで考える」ことはどこまで有効か」『時代は動く!どうする算数・数学教育』103頁,1999年)が潜んでいる可能性は強いかもしれない。(私自身にも,1つの考え方として潜んでいる。)
 20世紀初めの世界の数学教育改革運動を数学教育の「近代化」と呼び,1960年代から70年代の世界の数学教育改革を「現代化」と呼ぶことがある。数学教育現代化のキーワードの1つは「集合」だった。20世紀の数学が集合論で基礎づけられていくのに対応して,数学・算数教育でも「集合」の考えを早期に導入しようという動機が各国の数学や数学教育の指導層(の一部)にあったようだ。フランスではブルバキ集団の考えに沿うものだった。ブルバキの考えは,ヒルベルトを介してユークリッドの考えにつながるものだったろう。(幾何ということではなく,公理主義ということで)
 しかし,フランスだけではなく,日本でもアメリカでも,世界的に数学教育の現代化は大失敗する。その原因の根本的な解明は今後の課題だが,現代化を試みた側の言葉ではなく,現代化を批判した側の言葉に,近代化を試みたときの言葉と通じるものを感じる。「あまりにも現実から遊離している」「子供には抽象的過ぎる」「教育的ではない」などなど,…
 数学教育近代化のスローガンの1つに「ユークリッドを海の底に沈めろ」があったが,それは決して「具体的な図形や幾何の問題をやめろ」ではなく,「数学教育に過度の厳密さを要求するな」ということだった。
 循環論法をめぐる議論には,学校数学の証明に過度の厳密さを要求しているように見えるところがある。