「たしざんにも順序がある」!? | メタメタの日

 

「たしざんにも順序がある」という主張が一部にあることは知っていた。その一部に「東ーの報告書」(平成17年度)が入っているので,困ったものだということは,有志の間で共有されていた。
 今回,昨年度から使用されている日本文教出版の小学1年生の教科書に次のような問題(ページ最後の5)が掲載されていることを天むす名古屋さんの書込みで知った。
https://twitter.com/temmusu_n/status/286450729974132736

 天むす名古屋さんの次のまとめにもあるように,たし算の式の順序についてここまでこだわっているのは,日本文教出版の教科書ぐらいで,他5社はここまではこだわっていない。
https://docs.google.com/document/d/1Srl34fXnZEqZHxyQxVi0VGwUMpalZ4Vck-niYbu_SNk/edit?pli=1

 
 フツーの人に以下の議論を理解していただくためには,いま小学1年のたし算では,「あわせていくつ」と「ふえるといくつ」を区別していることを知っておいてもらう必要があります。
   前者を「合併」といい,後者を「増加」と呼んでいるが,文科省の学習指導要領解説は,たし算にこの区別があることを教えろ,などとは言っていない。「児童がどの場合にも同じ加法が適用される場として判断することができるようにすることが大切である。このように,加法の用いられる場合を次第に一般化して,加法の意味を具体的にとらえることができるようにすることを重視する」(67頁)と言っている。「加法の用いられる場合を一般化」できればよいのである。しごくまっとうだと思う。

 ところが,算数教科書会社全6社の小1の教科書を見ると,合併と増加が区別できることを要求するような教え方になっている。
 
 たし算に合併と増加があるなどということは,私は算数教育に関心を持つまで知らなかったが,言われてみると確かにそうだなと感心した。では自分自身はどのように教えられたのかと昭和20年代,30年代の教科書を見てみたら,今の教科書のように,
「あわせていくつ」と「ふえるといくつ」などというタイトルは付けてはいないが,確かに問題の配列が,合併型と増加型に分けてあって,これまた感心した。
 ところが今の教科書は,合併だろうが増加だろうが,たし算で答を求めればよいという方向ではなく,合併なのか増加なのかを区別することを子どもに求めるような方向になっているのだが,合併か増加かの区別は,見方によってはどちらとも言える場合がある。にもかかわらず,合併の問題と増加の問題をそれぞれ作問することを生徒に要求して大混乱に陥ったという授業報告もある。あたりまえである。 

  *


 さて,日本文教出版の教科書である。
 32頁には,空の水そうに左側から3匹の金魚,右側から2匹の金魚を入れる絵があって,
 「 3と 2を あわせると,5に なります。
    しき 3+2=5   こたえ 5ひき
      3たす2 5           」
 とある。合併である。
35頁には,5匹の金魚が入っている水そうに3匹の金魚を入れる絵があって,
 「 5に 3を たすと,8に なります。
   しき 5+3=8   こたえ 8ひき  」
とある。増加である。
そして,37頁の問題の絵である。
 増加の問題と解釈させるようである。男の子の前のケーキの個数に,右側から女の子が持ってくるケーキの個数が増える,と解釈させ,線の結び方は,× の形になるように,上の 2+6=8 の式にあう絵は下,下の 6+2=8 の式にあう絵は上を正解としている。
つまり,増加の問題では,2+6=8 の式と 6+2=8 の式は区別しなければいけないらしい。たし算の式にも順序があるということになる。
 ところが,次の38頁は,以下のようになっている。 日本文教出版38頁



  上の3コマ漫画の正解はこうなるのだろう。
「あひるが3わいました。あひるが5わきました。あひるは,8わになりました。」
 これにならって,下の絵から,「4+5=9 のしきになるおはなしをつくりましょう」と問いかけている。絵から文章(おはなし)をつくって式にせよ,というわけで,「絵」と「文章」と「式」の3者が出てくる。この3者の関係はどうなるのか。
 塾で受験算数を教えていたとき,難しい文章問題は図に描いて教えた。図は,線分図であったり,面積図だったり,グラフだったり,まれにはヴェン図もあった。文章→図であって,図→文章とはしなかった。しかし,「文章→図」とした図の意味を口頭で説明しながら式を立てていったから,その段階は「図→文章」だったかもしれないし,<方程式を立てた後は「機械的に」解く>という中学生以降のやり方を知らない小学生には,方程式を解く一つ一つのステップをことば(文章)で説明して納得してもらわなければならなかった。また,「図」は,問題の文章が示す状況を抽象化したものであって,状況そのものではなかったことになる。
 やや横道にそれた。小学1年の教科書では,「絵」が状況(事態)を表している。文章(おはなし)は,その状況に対する認識を表していることになる。
 絵・文章・式の3者とは,状況・認識・式の3者である。
 この3者の関係についてこの教科書はどう考えているのか。
 具体例で推測してみよう。絵の下部分に黄色い花の花壇と赤い花の花壇がある。
 教科書の正解のおはなしは,「赤い花の花壇が4つあります。黄色い花の花壇が5つあります。花壇は,あわせて9つあります。」だろう。
 では,「黄色い花の花壇が5つあります。赤い花の花壇が4つあります。花壇は,あわせて9つあります。」というおはなし(これをSとする)をつくったら,教科書はSのおはなしは間違いとするのか。

(推測ASは間違い,とする。
 Sのおはなしを表す式は,5+4=9と考えるわけである。
  つまり,(おはなし=文章=認識)の順序が式の順序とならなければならない,と考える。
 しかし,一つの(絵=状況)をどう認識し,文章にするのかは,一通りとは限らない。38頁上の3コマは時系列に進むから,「あひるが3わいました。あひるが5わきました。あひるは,8わになりました」と認識するだろうが,下の1コマの絵では,「子どもが5人きます。公園には子どもが4人います。子どもは,9人になります。」と認識することもある。推測Aでは,この(認識=文章)の場合は,式は,5+4=9 が正しいことになる。
 すると,前の37頁のケーキの絵の問題はどうなるか。
 上の絵も下の絵も,「女の子がケーキを2個(6個)持ってきます。男の前にケーキが6個(2個)あります。ケーキは,8個になります。」と認識することも可能である。そう認識してはいけない理由はない。特に,この絵が左右逆転していたら,そう認識する人の方が多くなるだろう。(黒木玄さんが,左右逆転の絵をつくってくれています。
https://twitter.com/genkuroki/status/286505334728691714/photo/1 )

 つまり,日文の教科書が推測Aのように考えているのだとしたら,37頁の問題は問題として成り立たないことになる。(私を含めてほとんどの人は37頁の問題は成り立たないと考えているから,それが当然ということになる。)

 では,(推測B
Sも正しい。はどうだろうか。
 つまり,「黄色い花壇が5つ。赤い花壇が4つ。花壇はあわせて9つ」という認識も,4+5=9 の式になる,ということだ。
この推測Bは,この先,2つに分かれるだろう。
 (推測B1)認識の順序とたし算の式の順序が逆になってもよいのは合併の場合だけで,Sは合併の場合だから正しい。
(推測B2)たし算では交換法則が成り立つから,認識の順序と足し算の式の順序が逆になってもよいから,Sは正しい。

 もし,日文の教科書が推測B-2のように考えているとしたら,37頁の問題は問題として成り立たないことになるだろうが,それが当然だとほとんどの人は考える。
 では,日文の教科書は,推測B-1のように考えているのだろうか。つまり,たし算で,認識の順序と式の順序が逆になってもよいのは合併の場合だけで,増加の場合は,認識の順序どおりに式の順序を書かなくてはいけない,と。しかし,すでに触れたとおり,一つの状況をどう認識するかは一通りとは限らない。客観的に事が起こった通りに時系列順に認識する場合もあるし,そうでない場合もある。
 推測B-1の主張は,事態の時系列順に認識の順序があり,認識の順序通りに立式する,という主張になる。あるいは,事態の時系列順に認識しないことがあっても,認識を文章化するときは,時系列順に文章化すべきであり,その文章の順序通りに立式する,という主張になる。または,与えられた文章の順序通りに立式するのではなく,その文章から事態の時系列を把握し,把握した時系列順に立式すべきである,という主張になる。
 つまりは,たし算の式は,客観的に物事が生起した順に書く,という主張になる。
 これはこれで首尾一貫した主張になることはなる。空の水そうに3匹の金魚と2匹の金魚を入れるという合併の場合は,確かに,3匹と2匹のどちらが先に入ったということはない(ということにする)から,3+2=5でも2+3=5でもよいが,5匹の金魚が入っている水そうに3匹の金魚を入れるという増加の場合は,5匹の金魚がすでに水そうに入っているという事態が起きているから,5+3=8という式でなければいけない,ということになる。
 推測B1をこう理解すれば,37頁のケーキの絵の問題とも整合性はとれる。
 しかし,問題は,たし算の交換法則が成り立つ合併の場合と成り立たない増加の場合があるということになり,しかもその合併と増加の区別の判断がしにくい事態があるということと,そもそもそういう区別をすることはたし算にとってよけいなことではないのか,というしごくまっとうな常識がないがしろにされることである。
 「空に鳩が5羽います。地面に鳩が4羽います。あわせて何羽いますか」という問題なら,合併の問題だから,5+4=9でも4+5=9でもよいが,「いま空から鳩が5羽地面に降りようとしています。すでに地面に鳩が4羽います。地面にはあわせて何羽いることになりますか」という問題は,増加の問題だから,式は
4+5=9でなければいけない,と教えることにどんな意味があるのか。
 この38頁の絵で,空に飛んでいる鳩が4羽で,地面にいる鳩が5羽だったら,「空から鳩が4羽地面に降りようとしています。地面に鳩が5羽います。地面に鳩は9羽になります」というおはなしになるが,それを式にするときは,5+4=9であって,4+5=9 にならないというのか? 
「今日おもちを3個食べました。きのうおもちを2個食べました。あわせて何個食べましたか。」という問題に,3+2=5 と式を書いたら,式は×か△になるのか? あわせていくつか,ふえるといくつか,どっちの問題なのか,こんなことを気にしなくてはいけないというのか?!
 ばかげている。 

 近々,教科書図書館に行って,日本文教出版の教科書の教師用指導書がこの箇所について,どんな指導を子どもにせよ,と言っているのか,そして文科省がどんな検定意見を付しているのか確認してこようと思っている。