明治30年(1897)の『代数学教科書第1巻』(チャールズ・スミス著,藤沢利喜太郎訳,「近代デジタルライブラリー」http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/828132 所収)の20コマ目に,「a÷(bc)ノ代リニハ通例a÷bcト書ク」とあります。
明治時代の日本の代数学で使われた教科書は,藤沢利喜太郎の『数学教授法講義筆記』(「近デジ」所収,134~138コマ目)によれば,初めは,ロビンソンの教科書だったが,明治10年に菊池大麓がイギリスから帰国して,ロビンソンの教科書を批判してから,トドハンターの教科書がこれに代わり,それが明治20年ごろまで続いた。しかし,トドハンターに「飽きて」(藤沢),前記のスミスの教科書の時代になった。(しかし藤沢は,自分で訳していながら,スミスをボロクソに言いトドハンターを絶賛しています。中谷太郎『日本数学教育史』24頁によれば,スミスの教科書は大正時代まで使われました。)
ロビンソンとトドハンターの教科書(日本語訳)も「近代デジタルライブラリー」で読めます。
確認すると,次のような問題,表現があります。
6ab÷2a=3b (ロビンソン『代数学初歩』34コマ目,明治7年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/828187/34?tocOpened=1
「5aヲ2cニテ除スルトキハ其商ハ5a÷2c或ハ
5a
- ヲ以テ顕シ」(トドハンター『代数学』35コマ目,明治19年)
2c
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/828076/35?tocOpened=1
というわけで,明治時代以来,日本の中等教育では100年以上「2a÷2a=1」だったようです。この「きまり」は,もちろん日本の文部省の創案などではなく,上記のように,日本が欧米から学んだものでした。
で,欧米ではどうだったのかということですが,『カッツ 数学の歴史』766~767頁にこうあります。
「19世紀のイングランドの代数学は,記号操作とその数学上の真理との関係についての新しい関心がでてきたことで特徴づけられる。代数学でのこの新しい動きを主導した一人が(略)ジョージ・ピーコック(1791-1858)であった。ピーコックは,代数学の対象を記号として考えていくという彼の新しいやり方を,1830年に出版した『代数学』(Treaties on Algebra)で説明した。」
記号代数は,フランスのヴィエタ(1540-1603)に始まるといわれていますが,ピーコックの表式は,上記“A Treatise on Algebra”が,Google Booksで全文が見れます。
43頁に,
3bc
-12abcde÷-8acd=――
2
44頁に
2ay 2y
―――÷3ac=―――
5bx^2 15bcx^2
という例題があります。
同時代の別の著者の“Algebra”の本を見ても,2a÷2a=1 型の例題があります。(1801年から1900年までに刊行され,Algebraを題名の一部に持ち,全文が読める本をGoogle Booksで検索すると50600点がヒットし,とても全点を確認できませんが。)
こうしてみると,19世紀の欧米では,「a÷bc=a÷(bc)」という理解は当然だったようで,そのように計算している本を確認できます。しかし,「a÷bc=a÷b×c」と計算している本は存在しないようです。しかし,そのような誤解(理解)も生じてきたので,a÷bcは,a÷(bc)の意味だ,と注記する本も出てきたという流れでしょうか。
しかし,19世紀の欧米では,「a÷bc=a÷(bc)」だったとしても,現在,そのような式が載っている欧米の本は見つけられない。少なくとも私には見つけられなかった。その理由は,数のわり算は別にして,文字式で÷記号を使うことがなくなり,分数表記になっているからでしょう。
つまり,日本の中学の教科書は,19世紀後半に西洋から教わった文字式の表記を守り通しているが,本家ではそのような表記は廃れていった。これは,中央部の旧い文化が周縁部で保存されている一例なのだろうか,と思えてきます。