『天地明察』の「天度」 | メタメタの日



メタメタの日-天文分野之図
「度」という語は,現在は,速度・濃度・密度などと使われるので,内包量の単位のように思われますが,度量衡というときの度は,長さ(外延量)ですね。手元にある『角川漢和中辞典』によると,度は「ものさし」のことでもあり,もとは,「手で物をはかる意」とあります。

 いま「角度」という用語は,角の大きさを表わしますが,日本では洋算を知って以降(一般的には,明治時代以降)知った用語であり,この用語を知ったときに,角度という概念も知ったのでしょう。(※)

 江戸時代の暦法・天文学関係で,「角度」と紛らわしく使われていた「度」は,周天(円周)を分割した弧の長さのことであり,「弧度」や「天度」(これらの用語自体は,江戸時代にはなかったようですが)でした。

『天地明察』の主人公の渋川春海の「天文分野之図」(1677年)では,天周を白黒のモザイクで分割していますが,この数が365()589分の145半となっています(図では,365()4分の1個と見えます)。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0998/bunko08_c0998_p0004.jpg

このモザイクで示された数は,江戸時代の暦法・天文関係では,西洋(中国経由も含めて)の幾何学や天文学を知って360となりますが,あくまでも,円周を分割した弧度(天度)であって,角度(中心角の大きさ)ではなかった。建部賢弘,松永良弼らの和算家が作成した「三角関数表」の「度」も弧度だったのでしょう。

そして,明治になって,洋算で「角度」という用語が入ってきたとき,角度を弧度と誤解するものもあった。

藤沢利喜太郎が,算術書の中には,

角度とは壹圓周を三百六十分したる其の壹つを壹度としたるものを云ふと云ふ様なることを載せたるものあり、角は弧と異なり、此の定義の不都合なること多言を要さざるべし」

と,嘆くことになった。

つまり,江戸時代には,弧度(天度)はあったが,角度はなかった。和算の本には,多角形の内角の和を求めたり,円周角の大きさは中心角の半分,というような角度の問題は無かった。(※)

ただし,江戸時代後半の土地の測量では,縮図を作成するときに,タンジェント(三角形の辺の長さの比)を利用するだけでなく,分度器で測った角度も利用したようです。

※)また,前アーティクルのレスでおおくぼさんに教えてもらった『割円表』には,角度の問題が出てきます。この書が幕末安政4年(1857年)のものなので,洋算を学んだ成果だろうと思うのですが,和算書での角度の問題が,この先どこまでさかのぼれるのだろうか,という興味は出てきました。