ちらほらと桜の便りが聞こえてくる今日この頃。

最近、中学校の同級生に埋め合わせをする機会を与えられました。

小・中学生の頃、いじめに苦しんでいました。
先生に相談することがいいのかどうかわからなかったその時代、周りの友達にも相談しようかどうか迷ったいじめの事。

当時、同じクラスに好きな人がいて、それがクラス全員にバレて冷やかされるという事がありました。
その人は、私がいじめられている事を知っていたはず。
でも、いい気味だと思っていたのかもしれない。
ずっとそう思って呼び出される毎日を、苦しんで生きてきた。

中学生の多感な時期に、友達が助ける手を差し伸べられるわけがないと大人になればわかるのだけど、当時はその事がとても寂しく、恨んでいるまま大人になってしまいました。

埋め合わせできた彼はクラスの中心的存在の男子4人組の中の1人でした。

大人になった彼らは、学校に行けない子供達を支援する事業を始めました。
それを聞いた時、いじめを助けられなかった人たちが、なぜ人を助ける事ができるのか。
引きこもる子供達の気持ちが、経験した事のない彼らに分かるのか…とずっと思っていました。

クリスチャンだという事もあって、大人になってからその時の事を伝え話すために彼のご両親がやっていた工房へお邪魔した事があったけど、その時は会う事は叶わず…
またそこから長い時間、その思いを抱えたまま何年か経った先日、ようやく想いを伝え、埋め合わせをする事ができました。

彼は今病気を患っており、その記事をたまたま見つけた事で連絡を取る事ができました。

卒業してから今まで、同級生と会いたいと一度も思った事がなかった私だけれど、私の深い恐れや不安を伝え、それでもいつか会えたら嬉しいと言ってくれた事がとても嬉しかった。


あの時こうしていれば、こう話していれば…ということがたくさんあります。
タイムスリップできたら、助言したいくらいたくさんあります。
でも、機能不全家庭で育ち、学校でも辛い想いをした私だからこそ、分かる気持ちがあります。
今までの人生は、暗く寂しく辛い人生だったと思う。
でも、同じ問題で苦しんでいる人の気持ちには寄り添える。

私はいろんな依存症を抱えているけれど、こうなる運命が与えられたのだと思います。
こうなった事で、いろんな事を見つめる事ができます。
大人になってから、すごく仲良しだと思っていた友達に、「私は精神病の事はわからないからもう連絡してこないで」と言われた事がありました。

私が抱える病気や問題は、世間では理解が得られないし認識がまだまだ低いです。
それでも一生懸命生きていて自分の問題と向き合っている人たちがいる。
完治はないけど回復する事はできる。
自分の持っている病気の事も伝えられてよかった。

その一環の埋め合わせ。
あの時、寂しいと感じていた私と、みんなと仲良くしたいと感じていた小さい私が心の中でうずくまって泣いていました。
それに気付けてよかった。

"神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ:3.16"