いつもお読みいただきありがとうございます。
ほったんです。
プロ野球も佳境に入ってきました。
高校、大学ぐらいまでは、巨人フアンでしたが、
ここ数年は中日を割と応援している自分がいます。
今年こそは、完全日本一になって欲しいですね。
ここ数日は、こちらの本から「支援」についての考察をしています。
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人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則/エドガー・H・シャイン
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昨日は、支援を求める人の立場について考察しましたが、
本日は、支援を求められる人の立場についてです。
はっきり言って、支援を求められる人は、その問題を解決できると
みなされる人です。
ですから、クライアントからみると、えらい人になるのだと思います。
つまり、
先生という立場になり、権力と地位を与えられます。
そして、
クライアントは依存型の役割を演じることになります。
父親が入院していた頃、母親は医者のいうことばかり聞いていました。
たしかに、医療の心得がないわけですから、
治るか治らないかは、医者に聞いてみないとわからないわけです。
ただ、その姿を見たときに、もっと何か違う方法があるのではないだろうかと
感じることはありました。
ただ、それが、何のかはわからないのですが、
ただ、依存している関係に何かやりきれないものを感じました。
暫くして、そこから転院しましたが、それはそれでよかったのかなと
今となっては思います。
父親の場合は、支援者からしてみると、厄介者だったのかもしれません。
けれども、
通常、支援を求められるということは、知恵や専門能力がある人と
みなされるので、つい教え魔になってしまうこともあります。
それは、そのことについて詳しくしらなかったとしても、
必ず反応することになります。
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要するに、そもそもどんな支援関係も対等な状態にはない。
クライアントは一段低い位置にいるため、力が弱く、
支援者は一段高い位置にいるため、強力である。
支援のプロセスで物事がうまくいかなくなる原因の大半は、
当初から存在するこの不均衡を認めず、対処しないせいだ。
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支援者もクライアントも、はじめは人間関係に何を期待して
いいのか、何を与えるべきかもわからない。
専門家による支援の場合は実際に金銭が絡むが、
どんな形の支援でも手助けと引き換えに、何らかの価値を
あるものをクライアントが支援者に与えることをが期待される。
最低でも、支援が提供されたあとに、クライアントは感謝の
態度を示して礼を述べることを求められるのだ。
当初の力の不均衡―クライアントが支援者に依存するという
暗黙の了解と、クライアントと支援者のそれぞれが当然相手に
期待しているものの曖昧さ―のせいで、両者に不安感と
緊張感がうまれている。
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つまり、ひとたび支援を求めれば、状況に不安が必ず
つきまとうということである。
(本文より)
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この不安が陥りやすい罠になります。
支援者は、クライアントの話を聞いて、
自分が持っている知識と照合し、相手への解決策を提案します。
ただし、具体的に何が欲しいということになればいいいのですが、
曖昧なものですと、対立する原因になるかもしれません。
そこには、お金をいうものも絡んでくるので、
より感情的にも複雑になってきます。
私が思うに、支援者は、まず聴くことに集中しなければ
ならないんだと思います。
そうしたとしても、
クライアントが本当のことをいうかどうかはわかりませんが、
けれども、
何を感じているのかを感じてあげることで、
クライアントとの信頼感を築くかけ橋があるんだと思います。
次回はクライアントが陥りやすい罠について考察します。