母上側の叔父と叔母が、よくあちらこちらに連れていってくれたことを、よく覚えています。
彼らは子供がいないのですが、杉本家の子供たちをとても可愛がってくれました。
あまり、おもちゃなどを買ってもらった記憶はなく、叔父が携えてくるお土産の芋羊羹とかあんこ玉とか、くず餅とか、五家宝(埼玉の銘菓で、食べ方を間違えるときな粉が器官に入って半死にの目にあいます)のことはよく覚えてます。
多分おもちゃなども買ってくれたのかもしれませんが、覚えてません。
つまり、私にとってはおもちゃを買ってくれるかどうかは重要ではなかった。
叔父も叔母も、「私たちは子供いないから子供と遊んであげるコツがよくわからない」というようなことを言ってましたが、一般的に世の中で「子供扱いが上手」とされる人々がやるような遊び方はできなくても、おやつが渋くても(かりんとう、芋羊羹等)私にとって叔父や叔母と過ごす時間は大変楽しいものでした。
叔父は趣味でテニスをしていたので、小さい頃は、富山の叔父叔母と区別をつけるために
「テニスのおじちゃま、テニスのおばちゃま」と呼び、幼い私は、叔父はジョンマッケンローみたいなものだと、ずいぶん長い間、美しい誤解をしていました。
誤解しすぎ!
叔母は洋裁が得意で、洋服から着物までなんでもござれのお抱えデザイナー兼仕立屋さんをしてくれた祖母が入院してからは、叔母によくデザイン画を書いて布を買っていき、洋服を仕立ててもらいました。
今は、目が弱くなり、縫い物ができないのが残念です。
先日、父の葬儀で、ニューヨークから姉一家が来日した際、祖母に御線香でもあげようと、義兄(フランス人)らとともに、叔父宅を訪ねました。
叔父夫婦は英語全くわかりませんし、義兄も甥っ子坊や達は日本語わかりませんが、いい感じに交信してて楽しそうでした。
おもちゃとかはないけど、坊や1と2は、キッチンの周りをしつこくキャハキャハいいながら走り回り、いないいないばあ(peek-a-boo)をしたりして、楽しそうにしてました。
何も用意してくれなくていいと言ったのに、飲み物とお菓子を用意しておいてくれた叔父夫婦。
洋菓子やスナック菓子とともに、草加せんべいのぬれ煎餅があり、それは大人用に、ということだったようですが、
にゃんと中身はほぼ外国人の甥っ子その1が大変気に入り、三枚も平らげてました。
ぬれ煎餅を平らげるフランス人と日本人が混ざったニューヨーク在住の5歳児なんて見たことないです。
叔父たちもビックリ!
インド人もビックリ!
私は調子に乗ってゴツいかりんとうを食べさせてみましたが、速攻、ペッって口から出されました。
かりんとうはウケなかった。
その叔父宅で、私は会ったことがない祖父の写真を見せてもらったのですが、
こ、こ、これはあああーーー!
超イケメンだ!
大正生まれなのに、顔出ちがはっきりしてて、端正で、超イケメンだ!
これには、姉と二人でぶったまげました。
祖父は、母上が生まれてすぐに亡くなったので、セーフでしたが、生きてたらイケメンすぎてファザコンになるレベル。
ファザコンだったら、多分父とは結婚してないから、私たちも存在しなかったはず。
ひゃああああー。
なんだかわからないけど、驚きました。
叔父夫婦も齢をとり、だいぶ弱ってきました。
少し遠いので、しょっちゅう様子を見には行けませんが、これからはなるべく時間を作って会ったり電話したりしようと思います。
もちろん、叔父や叔母に何かあった時には、何を置いてもかけつけます。
レッスンを急にキャンセルお願いする機会があるかもしれませんが、ご理解いただけましたら幸いです。
叔父にも叔母にも、子供がいないなんてつまらない理由で愚かな人々から孤独な晩年呼ばわりされたり、孤独死の可能性を示唆されるなんて目にあってほしくないです。
子供がいる、いないなんてつまらないことで、人生を否定されるようなことがない社会であってほしいと、可愛がってくれた叔父夫婦の事を考えたりしながら、思いました。
↓活字扱いが得意で、独自のユーモアがある叔父が、義兄、甥っ子たちの名前を漢字にしたプリントを作って歓迎してくれました。↓
喧嘩上等
四露死苦
山紫水明
みたいなやつとは、品格が違います。