銀座一丁目の英語発音教室「メントール」のブログ

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ずいぶんとイカついタイトルですね。
英語や外国の人と関わることが多いもんですから、やたらに外来語や欧米の価値観を振り回すヘンテコ国際人(自称)が視界に入ることがあります。
それはそれでその人の文化だし、賛同する人もいるでしょうから別に良いのです。

あちらもこちらを「ニセ国際人」と思っているか、あるいは国際人とも思われていないかもしれません。

政治や宗教のことを主張すると色々問題があるので具体名は伏せますが、半年ほど前から注目している人物のかっこよさがここ数週間でにわかに際立ってきており、彼女の活動が朝から晩まで気になります。

彼女の質に比べたら私などが「同業」だというのはおこがましいのですが、研究者であり、大学の教員であり、英語はもちろん、もう一つ他の日本人が操れない外国語がプロの通訳レベルで、その地域について研究している人です。

年齢も近いし、舌鋒が鋭く、口がかなり悪いところも似ています。そして、日本が大好きで、海外を知っていながら、日本が自分にとって世界一の国だと思っている。

これが私が思う「真の国際人」の素養です。英語が話せるかどうかではない。海外から見た日本、日本から見た海外を踏まえて、日本を自慢に思ってそのことを言語化することができる人。

何よりも賛同したのは、「他の国の人だって、自分の国が世界一だと思っている。外国の人から『あなたの国は世界一とか素晴らしいですね』と言われたならば、『いやいや、あなたの国だってxxがすごいじゃないですか。あなたの国が世界一ですよ』と言い返す。内心では自国が世界一だと思っていても、相手の国の良さも認める。そうしてお互いに認め合って世界は成り立っているのだ」という意見です。

詳細はちょっと間違えているかもしれませんが、ざっとこんな主張でした。

自分の国が一番だと思えるのって素敵なことなのに、知識人、国際人ぶって「日本は遅れている」とか「日本は落ちぶれている」みたいに斜に構えた見方をするのがかっこいいと思っている奴がいて、彼女が属する学者界隈はその類が多くて嘆かわしいと言っていました。

全くその通りです。私も日本が大好き。日本を世界中に自慢したいから英語を話していると言っても過言ではないくらいです。外国にもいいところはあるし日本にはダメなところもあるけど、外国の方がいいとかカッコいいと思ったことはありません。海外移住なんてつゆほども考えたことはございません。

何かと国際基準のxxランキングのxx位にしかなってないだとか、ランキングにも入ってないだとか言いたがる人がいます。いったいその中の何人がそのランキングの集計方法や根拠になっているデータを理解しているのでしょうか。また、日本が全く土壌が異なる海外と同一指標で比べてそこを目指すことにどの程度意味があるのか、考えたことがある人間はどのくらいいるのでしょうか。

小難しい話ばかり書いてもアレなので、このくらいにしておきますが私は普段、こんなことを考えております。

外国の人や様々な経営者や学者に会うので、まあまあな頻度で自己紹介をする機会があります。

私は言語学(英語発音)と経営学(ブランド戦略)の2つを専門にしておりますが、はじめて会った人にはこんな風に説明しています。

著書



「私はブランド戦略の中でもラグジュアリーブランドの研究を中心にしており、それは私が日本が好きで自慢に思っているからだ。日本は不器用なブランドや企業や職人が多くて、いいものを作っても価値をアピールできず低くみられがち。

一方でヨーロッパのラグジュアリーブランドは価値を上積みできている。だからその戦略を日本人が理解しやすいようにアカデミックの視点からまとめてパクってうまく価値を世界中に自慢できるようにしてやろうじゃないか、という作戦だ。」

日本語でも英語でも同じ説明をします。どこの国のどんな社会属性の人でも、大体納得し、賛同してくれます。

私がまあまあ英語を話すので、外国に住んでいたとか外国で働いていたと思われることがあるのですが、私は日本生まれ日本育ち、外国留学や居住経験はありません。

外国好きで外国に憧れているから英語をやっている人もいますが、私は違います。


そして、私がなぜこんなに日本を自慢に思っているかという背景の話をする時、女子大時代に茶道部に入り、社会人になった今でもずーっと師事している茶道の先生や友人達に影響を受けていること。外国語かぶれにならぬよう、日本語をとても大事にしていること。そのような素養を持つに至ったのは、十分な教育と、何よりも本を読む能力と環境を与えてもらったからであること。

こんなことを英語で外国の人に説明します。

↓ドバイ在住姉の友人、カナダ人ファミリーを帝国ホテルの茶室でお茶体験。茶室が表千家仕様でした↓主菓子は虎屋さん。抹茶は一保堂の幾代の昔でした。たまたま知っていたので英語でドヤ顔説明😛




なぜ私がこんな複雑なことを英語で言えるのかよくよく考えてみたのですが、それは友人達がいるからです。

友人達と話をすると、自分の価値観や文化の再確認や再構築を繰り返すことになり、明確な主張を持つことができます。だから英語にするとき、迷いがないのです。

私の大事な友人達は、こういった私の戯言を毎回会うたびに、真剣に聞いてくれます。例えば大学や大学院時代の友人と会う時、1回5−6時間平気で話し込むことがあります。

私たちはほとんど人の噂話とか過去の思い出を懐かしがるような懐古話はしません。もちろん思い出話が悪いという意味ではなく単にしないだけです。

では何を話しているかというと、自分たちの価値観や文化がどうやって形成されたのかや、自分たちが大事にしていること、是と思うこと、非と思うことを話しています。今現在起きていることから始まって。

今自分たちがこういう選択をしたり、こういったことに怒りや矛盾を感じたり、素晴らしいと思ったりするに至ったのはなぜなのか。

そういった話をしていると、必ず幼少期や学生時代に遡ることになります。

結婚しているとか子供がいるとか、同じ会社で働いているとかそういった表面的な属性の共通性ではなく、文化や価値観を共有できる友人ができたので、小さな女子大に行って茶道部に入ったこと、日本の大学院に入ったことは人生最良の選択肢だったと大変ありがたく噛み締めています。大学院で有名名門校に入ることと「学歴ロンダリング」と揶揄する一派がいるようですが、私の学歴は別に汚れておらず、ピカピカの大自慢ですから洗浄(ロンダリング)する必要なんてないんですよ。

話があちらこちらに飛びましたが、来週か大学は新学期。

思った通りの大学や学部に入れなくていじけている学生達もいると思いますが、大学で良いお友達を1人でも見つけられたら人生は御の字だということを叫び、勉強しろーと叫んで参りたいと思います。


私は恐怖の勉強オバさん。怖いのよ。学生達、覚悟して待っていなさい。

リライトしました
ネイティブレベルの英語とは?日本人はどこまで行ける? 日本人はみんなネイティブレベルの英語を目指すべき?