戯曲集の出版を引き受けてくださったハーベスト社・小林社長が急逝されました。
心よりお悔やみ申し上げます。
三月に椿組の公演にご来場いただいたきりでした。とても心残りです。
小林さんと出会ったのは、ある忘年会。そのころ私は五大路子さんの劇団で横浜・野毛の闇市の芝居を書こうとするちょっと前、びっくりする
ようなタイミングで、戦後の闇市についてのエッセイ「やけあと闇市野毛の陽だまり」伊奈正司(著)を紹介頂いた。
戦後、警官として野毛の街で闇市をつぶさに、当事者でしか知りえない市井の風景を見てきた伊奈さんならではの温かく具体的な、脚本家には非常にありがたいエッセイだった。その伊奈さんのご縁で、館山の「ムジナ母ちゃん」は生まれた。
そうこうしているうちに小林社長は「ダム」のリーディングや、私の書き下ろし舞台を観に来てくださった。
そして戯曲集を出しては、とお声掛けを頂くようになったのだ。
そしてまたそうこうするうちに、私にとっての週刊ポスト事件が起きたのだ。
知ってる人がほとんどだが、丁度、昨年の今頃、週間ポストで「太平洋食堂」という小説を連載していますよ、と知らない方で観客の方から
メールが来た。少なからずショックを受けた。私は個人でしかなく大手の出版には勝てない。
いろんな人に相談したが、「戯曲集を出しましょう」と小林社長が力強く言ってくれた。「出す価値のある作品です」
私のようにマイナーな劇作家の本を出版してくれる方がいるとは驚くばかりだった。
しかし、単著を出したことのない私は、分からないだらけ。
本当に校正作業がうまくできなくて迷惑をかけたが、忍耐強く待ってくださった。
そして表紙のデザインにも根気強くつきあってくれた。
戯曲集が出たことで私は自分の表現というか自分の道が見えてきた。
脚本が舞台に上がるだけでなく、本という形で残ることに苦労が報われ、ほっとしたのも事実だ。
小林社長は社会学や思想、宗教関係の出版が専門で、戯曲は初めてだと言った。けれども、トライアスロン、演劇論、音楽など
多岐にわたる本をものすごく精力的に出されていた。早すぎる死を著者たちがSNSで悼んでいる。
私も頂いた機会をこれからも大事にしたい。
本というのは、情報だけではなく社会を作っていく。小林さんの本は確実に社会を思想の分野を支えていたのだろう。
感謝とともに心よりご冥福をお祈りいたします。嶽本