メメントCの世界

演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。



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「太平洋食堂」「ダム」の演出をしていただいた藤井ごうさんが、今年の毎日芸術賞千田是也賞に輝きました。

対象作品は、青年劇場「郡上の立百姓」燐光群「カムアウト」椿組「海行かば水漬く屍」です。

おめでとうございます!

 

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2017年の私

 

 

あけましておめでとうございます。

昨年は荒波がざぶんざぶんと打ち寄せるような一年でした。

メメントCを結成して10年目となります。

それぞれの10年でもあり、私も人生の最も変化の大きな10年でした

今年は更にマイペースになりそうです。


昨年はPカンパニー「プロキュストの寝台」メメントC「安全区/Nanjing」「熊本震災劇場支援・ダム・リーディング」、また「彼の僧の娘」試演会、「アイバンクミュージカル・パパからもらった宝もの」などで、東京、熊本、新宮、仙台にてご関係の皆様には大変お世話になりました。演劇はたくさんの力で成り立つもので、一人が頑張ってもしかたなく、それ故、これだけの活動というのは本当に多くの方からのお力によるものです。心より御礼申し上げます。

 

今月22~29日まで横浜ランドマークホールにて、横浜夢座五大路子主演「風の吹く街」作・演出を致します。野毛の闇市の音楽劇です。

秋以降、この執筆ともう一本、まだいつやるか分からない和歌山カレーの話を書いていました。嘉くというのは楽しいのですが、一本は演出を負ったので、作家だったらしないような仕事量となりました。

食道ヘルニアに苦しみましたが、まだはみ出した胃はしょっちゅう痛みます。

そういう体の不調が起きやすい年になったのでしょう。今年は五十歳になる私です。後、一体何本の戯曲が書けるのか?

今年は書いて書いてかきまくります。

 

そういうエネルギーは残っていますが、人間わずか五十年が、あっという間でもないにしても若輩ものの自分にがっかりしたりもします。

たまたま、私の活動を知る演劇と出版の二つの草鞋を履いてる方からお声掛け頂き、これまでやってきた活動を本に書くこととなりました。私がやってる芝居は、メジャーとは程遠いのですが、それでも活動が社会とリンクしていることを認めて下さる方もいたのです。

嶽本あゆ美が劇作と苦闘の演劇スタッフ人生を語る、みたいな内容です。

これは共著で、演劇と社会に関するエッセイ集となります。

「支配を脱するための演劇」が私の受け持ちのパートです。確かに、独立独歩、個人主義の私でした。三人以上は苦手な私がどうしてこんなに変な奴になったのかよく分かるでしょう。

 

現在、執筆中で、アルファベータ社より刊行致します。

本年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

平成二九年 元旦

 

その他の予定

アイバンク啓発ミュージカル「パパからもらった宝もの」

9/22 (金)新宿文化センター/10/4(水)神戸文化ホール

11/3~5日新宿シアターモリエールにて劇団BDP新作ミュージカル書下ろし予定

 

 

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「風の吹く街」と天国からのダメ出し

 

 来年一月22~29日に横浜市ランドマークタワーホールで開催の「風の吹く街・野毛坂ダウンタウンストーリー」横浜夢座公演の脚本。演出を担当します。

 既に、顔合わせや記者発表も行われ、脚本も稿を重ねています。

 稽古開始は12月8日の日米開戦の日です。特に意味はありませんが。

 

 この仕事の声が掛かったのは、安全区/Nanjing を見に来た座長の五大さんから、まず演出を頼まれ、その後に脚本も頼まれました。私が演出の声を掛けられるのは音楽劇が多いのですが、これも音楽劇です。

 五大路子座長の横浜夢座は、横浜をテーマにオリジナル芝居を作り続けています。私もちょうど10年前に、福田善之先生の演出で「猫、或いは夢の女」という作品の脚本と音楽を担当させてもらいました。書き始めたのは次男が生まれて3か月の頃で、丁度、「ダム」で新人戯曲賞を頂いた後でした。福田さんは私が斎藤憐さんの教え子だったのもあり、演出を引き受けてくれました。

 執筆はかなり大変で、歌舞伎座や文化座で演出をしていた福田さんは忙しく、あちこちの現場にダメ出しをもらいに行って脱稿しました。書いていた頃はまだ次男を産んですぐだったので、死にそうでしたね。でも母が元気だったので、乳児の面倒を頼めました。あれから十年、次男は四年生です。その猫の公演で再開した杉嶋美智子、大内史子とメメントをその年に結成しました。今では母は老い、父は要介護4です。

「猫」は夏目漱石と横浜で割腹自殺をした女浪花節をめぐる話です。オリジナルで関東節の浪花節まで歌詞を書き、二葉百合子先生に曲を付けてもらい、曲師の方にビクターのスタジオで三味線を録音させてもらいました。「なにがなにしてなにとやら」という二葉先生の声の入ったMDは宝物です。芸の道の凄さを思い知らされた瞬間でした。もしも五大さんがずっとあれを練習してくれていたら今頃、五大さんは浪花節語りになっているはずですが、そうでもないので、きっと練習はしてくれてないでしょう。自分で練習してればよかった。「猫」は未だに忘れがたい幻想的な作品ですが、本番中はずっと袖でピアノを弾いていた為、前から観たことがありません。残念です。

 

 今回、五大さんは一年以上かけて、野毛の街をほっつきまわって闇市の事を聞きまくり、資料をためて私にドバっと渡してくださいました。その中で、一番惹きつけられたのは「無秩序の秩序を作った男・肥後盛造」という話でした。それを五大さんに言ったのは、野毛にある餃子で有名な萬里という中華屋さんの店長の福田豊さんです。この福田さんは何と、斎藤憐さんの同級生でした。憐さんは北朝鮮から6歳の時に引き上げて来ました。福田さんも同様に中国生まれで引揚できて福田さんのお母さんが野毛で餃子の店を開いたのです。

 劇作家協会戯曲セミナーの第一期生だったわたしは憧れの斎藤憐さんに師事し、舞い上がって、馬鹿みたいに脚本を書きまくり送りつけて嫌われました。「もうお前のものは読まない!!」と切れられて、最後には「これだというのが書けたら送ってこい」と言われてセミナーは終わったのです。でも、私としては新人戯曲賞の「ダム」の公開審査で斎藤憐さんには、「これだというもの」を読んでもらう事ができてギリギリ間に合いました。檀上で、ダムを推して下さった憐さんの言葉を忘れることはありません。憐さんと最後に会ったのは、青年座の住田女史の急死に伴う偲ぶ会です。ポツネンと会場で一人座っていた憐さんと話したのが最後でした。私は憐さんに気に入られてもいないので、出来の悪い方だったと思いますが、「ダム」という作品の真価を戯曲賞で認めて頂いた事が、その後に私の進む路の大きな助けてとなりました。

 

 不思議な縁ともいえる福田豊さんからは脚本を書く前にもいろいろなアドバイスを頂きましたが、こないだ第四稿を読んで頂いて、「死ぬことは生きることだ」という言葉をもらいました。何だか斎藤憐さんが言ってるみたいだと思えるような言葉ばかりアドバイス頂いたのでした。福田豊さんは「憐は気違いだ」と言います。でも、憐さんと時間を共有していた福田さんにもその狂気のような熱情があるように思えました。天国からのダメ出しを中継してもらって、更に原稿のブラッシュアップに励みます。野毛坂振興協会での記者会見で、福田さんは商店街代表でこう挨拶しました。

 「来年1月20日は、トランプ氏がアメリカ大統領に就任します。トランプ大統領が生まれる二日後の22日にこの芝居の幕が上がるのは、混迷の現代にとって何か「道しるべ」になるんじゃないかと思います。無秩序の闇市から市民が秩序を作って立ち上がって行くこの芝居は、これから世界がぐちゃぐちゃになる時、大変、意味があると思います」

 

 音楽は栗木さん。初めての方ですが、とても楽しみです。そして芝居のメインテーマは、「誠之助の死」をコーラス曲に書いてくれた中村華子さんが作曲します。どんな名曲が生まれるでしょうか。

 出演俳優も渋くて豪華です。若手も頑張ります。「プロキュストの寝台」で活躍してくれた劇団BDPの漆原志優さんが再登場し美空ひばりならぬオソラツバメ役。館山の子どもミュージカル・トゥルーカラーズからも、遠藤よもぎさんが、五大さんの娘役でそれぞれ出演致します。是非、お楽しみに!

 制作発表の記者会見の後、五大さんと出演俳優は戦後の紛争をして野毛の街へ繰りだして、歌を歌いながら宣伝活動を繰り広げました。何てまあ尽きないパワーなんでしょう。秋から病気続きでへとへとですが、天国の斎藤憐さんが見ているぞ!と自分で暗示と発破をかけた私でした。ご期待ください。

 

 

 

 

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塩素と母、そして

 

 時々、関西に出張します。今回は児童青少年演劇協同組合の戯曲講座の講師でした。日大の西田豊子さんと一緒です。ユーダイ君もいます。

 この三人の珍道中は毎回、楽しいのです。一番、パワーが無いのは私。定年超えの西田さんは、超凄いパワーで若いころ、世界を駆け巡って作品作りをしていたからこその、俯瞰した芸術論と戯曲論を持っている最強の人です。最強のオバサンが二人であちこち行きます。

 関西の講座では、人形劇団クラルテさんや京芸さん、他のフリーの関西演劇人が、戯曲の書き方、デバイジングによる練り上げ、リーディングと書き直しを繰りかえして短編を一本書き上げるという講座です。

 

 その為に時々、小学生二人の面倒を田舎の母に頼みます。母は上京すると、わが家を「汚い汚い」といって、掃除しまくります。一応、私も怒られないように、色々と捨て、小道具とか衣装で出しっぱしの雑物を、デカい段ボールに詰め込んで隠して家を離れます。そして帰宅すると、母は家中の食器を消毒してあるのです。キッチンハイターの香りがあちこちからします。

 

 母は68歳まで看護師として仕事をしていたので、殺菌が大好きです。いいとか悪いとかおいといて、殺菌しないと気が済まないのです。急須がハイター漬けになっていたのに気が付かず、濯ぎが足りなかったので、お茶をいれようとして葉っぱを無駄にしました。香り立つ塩素の匂い。これが物心ついたころからの母の匂いです。

 

 この先は、心臓の弱い人は読まないでください。責任持ちません。

 

 よど号の御祈祷の話と母が看護師だったころの話を何かに書いた覚えがありますが、母と車で走っていると、「ああ、昔ここで足を拾った」とぼそっと言うんです。それは、東海道線沿いの抜け道でのことでよくよく聞くと、母が若い時代は監察医制度も、帳場を建てる鑑識制度も整ってなかった為、東海道線で飛び込みや人身事故が起きると、近くの病院で当直している医師や看護師が駆り出されて、遺体を拾い集めて捜査しました。ありえねー感じですが、あったことなんです。また終戦から20年位は、戦争の影響や様々なことで発狂する人が滅茶苦茶多かったので、母は激しく暴れる女性患者を警察と一緒に静岡の脳病院へ移送する仕事をしょっちゅうしたそうです。狐が憑いちゃった人、刑事事件を起こした人、いろいろいたと言う話でした。そういうわけで、かなり母は血と骨に感覚がおかしい人でしたから、炒り卵を作りながら、昨日、盲腸手術で器具渡しをした話をして、「その人の脂肪がこんな感じだったで、私は食べたくない」と私によこすのです。私は私で「へえ」と言うしかありませんでした。

 

 母の見て来たものは、私には想像もつかないことばかりです。でも看護師さん、ナイチンゲールと呼ばれた職種には、苛酷な現実があったんでしょう。それらをボソっと言う母の胸の内は分かりません。そんなもんなんですよ、親子だって。

 もう少し母の良い部分を話すと、脳内出血を起こして「画像上では死んでます」と言われた父を、蘇生させ気管切開を塞がせ、胃ろうを取り、立ちあがって移乗が出来るほどに再生させた力は凄いです。父は、何と習字が出来るまでになりました。しかもかなり達筆に。実は父は習字など習った事などないのですが達筆でした。三年前はまだ字が書けなかったのに、父は幸せです。

 

 今、当たり前の法律、刑事事件の場合の鑑識や捜査方法が合理的で科学的になったのは、それほど昔のことじゃないんです。だから、沢山冤罪も生まれるし迷宮入りもあるわけです。

 最近、ある芝居の為に調べものをしていて、「証拠物件の紛失」がよくあるのだということを知りました。再審請求でその前の判決で証拠となったものを請求すると、「紛失」と言う答えが返ってくるそうです。又は、検査用の試料がなくなっていたり、再鑑定が出来ない事がざらにあるというのです。ゲゲゲゲです。

 

 今、巷を騒がせている病院の点滴への界面活性剤混入のニュースで、まず母の消毒好きを思いおこしました。全く事実関係ありません。それと、昔、仙台北陵クリニックで起きた、筋弛緩剤殺人事件も思いだしたのです。「彼の僧の娘」の公演の後に、その筋弛緩剤殺人を冤罪だとして被告の支援をしている宗教関係の方から、手紙をもらいました。それで、やはりググってみると、冤罪だという話が出て来る出て来る。

 もう決着がついたものだと思った事件は、実はそうではなかたし、いろいろな鑑定医どうしが対立していました。是非、ググって下さい。

 

 和歌山カレー事件も、スプリング8の分析結果の読みこみ方が間違っていると、違う見立てをしている科学者が学会で異論を発表しています。これらが再審請求を動かしていくことになるのか、注目したいと思います。冤罪なら真犯人がいるのか、それともそうでないのか、失った時間、亡くなった被害者は戻ってこないのですが、真実を明らかにすることができなければやはり、もっともっと被害は膨らむのです。何とか近い将来に「真実」が追及されることを祈ります。

 

 関西戯曲講座では、葬儀関係のお仕事をされている女優さんに、葬儀の司会業について伺いました。彼女は遺族から故人の方のプロフィールを聞き取り、それを葬儀の前に時代背景も含めてリーディングするという司会をしているそうです。本当に沢山の方の聴き取りをされた彼女の言葉の説得力と臨場感あふれる話に驚嘆しました。80代の方には必ず戦争の鮮やかな記憶があるそうです。それを聞きとるのは心にも負荷が掛かるのでしょう。貴重な仕事だと思い敬服しました。

 

 戯曲講座では、登場人物のプロフィール、場面の状況などのプロットだけを頼りに、インプロで即興的にオープニングシーンを作ります。身体が雄弁に語るので、少ないセリフに説得力がでます。脚本家がセリフを書き始める前に、俳優が状況を体現して出て来る言葉を探るのです。デバイズィングという手法ですが、二次元だけで考えていては分からないことが分かるのです。裁判記録などを読んでいて、有りえない記述があります。それは通常ならばそういう風には人間は反応しないだろう、とか思うことがよくあるのです。動機無き犯罪というものが多数ありますが、人間は一人では生きていない、他者の影響をどんな形でも受けて行動が生まれる動物です。そういう判決文などがストーリーありき、になっていればやはりおかしいのです。そういう時に、大逆事件の判決文を思い起こすのです。

 

 白水社から出た戯曲事典に載っているよ、と教えてもらいましたが、目を凝らしてその画像を見ると、私の大事な処女作「かつて東方に国ありき」が「かつて当方に国ありき」という誤字で掲載されています。出版の際に確認があるわけではなく、私は全く預かり知らぬことですが、非常に恥ずかしいことです。武田泰淳と堀田善衞に謝ろうにも謝れません。後の祭ですね。ああ、恥ずかしい。そして「太平洋食堂」は大逆事件の話です。観ないで紹介書いたなら仕方ないけど、やはり作者にとっては辛いことです。仕方がないから黒ヤギさんに葉書でも書きます。

 

 というわけで、心乱れてあれこれ書ました。気持ち悪い話でごめんなさい。春先からダムのチャリティーをや試演会シリーズなどで、疲労困憊した私ですが、じっと休める余裕がまだありません。思えばもう秋です。暑くないと書くのも楽ですから、がんばって横浜夢座公演「風の吹く街・野毛ダウンタウンストーリー」を執筆中です。来年、1月22~29日に桜木町のランドマークタワーホールで上演です。お楽しみに。

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高代を探して

 

「彼の僧の娘―高代覚書」試演会シリーズは、正法寺で終了いたしました。沢山の観客の皆様のご来場に感謝します。賛否両論、今後に生かしていきます。まだまだ、感想FAX,メールを御待ちしております!

 

 ラストの正法寺御本堂での公演は借景に、阿弥陀如来のご本尊というすごいセッティングでした。正法寺さんは、オルガンヴィトー公演「パターチャーラー」でお世話になり、二回目の上演です。ご住職の白川さんが、高円寺の稽古場公演を観られて、開演の前の法話をしてくださいました。白川さんは「南無阿弥陀仏に生きた人、憲法や法律など俗世の法ではなく、南無阿弥陀仏に沿って生きようとした人の物語」と語られました。

 

南無阿弥陀仏、父・顕明の信条はこの六文字に込められた平等思想です。それがどれだけ難しいことなのか、現代でも明らかです。迫害され苦界に生きた娘にとって、それは父を奪ったものの言葉でもありました。僧侶、と教団、国家と個人、その利害というのは必ずしも同じではないし、集団というものは弱い個を圧して強くなるものです。

 

私が劇団ではなく三人組のメメントをやり、ほぼ客演の俳優の皆さんと芝居をやっているのは、このひたすら集団としての劇団を作りたくないからです。集団になった瞬間に芝居の目的が変わっていくように思えるのです。様々な劇団があるのだから一概に、全体主義だのなんだのは言えませんが、芸人、芸術家として立っている為に私は絶対的な孤独が欲しいのです。何故かわかりませんが、もともと独りが好きなピアノ科だからか、高座で一人勝負する講談、語りと三味線の義太夫、浪花節、のようなものが羨ましくてたまりません。今回の試演会は、照明なし、音響は三味線一本、俳優も最小限と最初から決めていました。それは現実的にお金を掛けられないこと、どこでもできること、個でやること、などの総合的な理由です。様々なことを学び、悔しい瞬間もありましたが方向として間違っていなかったと思うのです。

 

 まず、最初にアクティングエリアの広い高円寺の阿波踊りホールでやりましたが、演者のリレーションや言葉をまっすぐに伝えるのに、かなりフォーカスを絞っていくことが必要でした。その上で空間を生かすダイナミックな動きを明樹さんが作りだしてくれました。かなり激しい感情表現にはその広さが楽でもあったのです。新宮に行きますと、四分の一のスペースとなり、畳二枚に収まる表現、けれども奥行きは変わらないということを目標にしました。以前、芸妓が舞う地唄舞は、四畳半のお座敷に春夏秋冬、喜怒哀楽、神羅万象の宇宙をそこに作りだすのだという事を聞きましたが、芸を極めればそうなるんでしょうね。

 新宮に移動して細かい場当たりをし、開演ぎりぎりまで稽古してようやく新宮の一回目をあけました。やってみるとそれはとても楽しく面白く、掘ればほるほど表現が深くなるという具合でした。また、土地の力が大きく、私は耳無し芳一になった気分でした。

 

 芳一は、壇の裏合戦の現場に近い浜辺の寺にいた。それで、琵琶を弾いて平家物語を語ってそこへ平家の亡霊が来る。滅ぼされたものの宴に呼ばれてサーガを謡う芳一は、どうなったか、皆さん知ってますね。自分たちの死ぬ様子を琵琶の調べと共に聞く平氏一門の哀れには、海底のしゃれこうべも涙したでしょう。

 新宮での上演で、明樹さんが大逆罪の大検挙が起きた時の町の描写を語る時、その指し示す方向には速玉さんがあり、浄泉寺があり、その町があるわけです。楽器を鳴らしながら、ゾクゾクした瞬間が何度もありました。私が引いていたのは細竿三味線ですが、微妙な「サワリ」という倍音が生まれます。その重なり具合は毎回違うし、温度湿度で変化します。ましてや修業が足りない私なので、なかなかそれをコントロール出来ないのですが、これ、というピッチだとベンベンではなく、ジョンジョンという音が出て、明樹由佳さんのせりふの哀愁がそれに乗るときに、ああこうやって日本人は悲しみや怒り、悔しさ、恐れを唄にしてきたのか、という実感が湧きました。義太夫、くどき、浄瑠璃、民謡などに形を変え年月を経て語られる物語、過去の事件、一節の歌詞が、プロテストを語っているのだろうなあ、とつくづく体感したのでした。足のしびれに閉口しましたが、無事に勤めることができてほっとしてます。

 

 最後の正法寺でお寺が持ってる力に便乗しました。そして至近の観客に伝える事、伝わること、どんな手法が有効なのか、もっともっと伝統芸能の先人を学ぼうと思ったのです。お経の作法というのも意味があり技術があるのにも気が付きました。 

 一つに自由にやる演劇表現であるけれど、何でも自由にやれば不自由に見えることも分かりました。何を今頃?ですが、子どものような芝居をしていられない、それでは人生を掛ける意味が無いと感じたのです。明樹さんと私の共通認識として、どこへ行っても通じるものを作ろうと言う所へいきました。明樹さんはアヴィニヨンで感じたこと、私は今回感じたこと、それらを磨き上げて行きたいのです、亀のように。

 

 そしてまた語りたくなったら老眼もひどいので女瞽女になっちまおうかとも思いましたが、何しろ五十の手習いで還暦までにもうちょっと上達したいと思います。

今回、使用した三味線を私にくれた伯父さんは86歳の農夫です。彼はダムの宗助伯父さんであり、三味線を弾き謡い、田畑を耕し、幼い私を可愛がってくれた人です。「ちったあ恩返しも出来ただかねえ」と遠州弁で思うのでした。

 「ほうい、もう秋の風だらねえ。今年の夏はえらかったで、この頃ぁだいぶゆるせくなったやあ。あんたもくたびれてえらかったらやあ。もうやらんでもええもんで、ちったあゆっくりしないね。」

 

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