先週の10月1日の水曜日、一人の野球選手がグラウンドを去った。
その選手の名は、清原和博。
ここ数年は、怪我とリハビリとの闘いで満足に野球ができるような状態ではなかった。
が、その最後の試合で、4番DHとして先発出場し、第3打席ではタイムリーツーベースを打って、プロとしての意地を見せた。
そして最後の打席は、渾身のフルスイングでの見事な三振を決めて、スタンドを沸かせた。
その時の彼の表情は、まるで一人の野球少年のような爽やかさも感じられた。
思い起こせば、23年前の1985年夏の甲子園。
主役は、もちろんPL学園であり、その4番打者として君臨していたのが清原だった。
特に対宇部商業との決勝戦で放ったサヨナラホームランには、当時テレビ中継の実況を担当していたABC朝日放送の植草貞夫アナウンサーが「恐ろしい!甲子園は清原のためにあるのか!」と絶叫していたのが印象的だった。
清原が夏の甲子園で放った、ホームランの全記録映像
あの、植草アナを絶叫させたホームランは2:08頃から見られます。
翌1986年に、西武ライオンズに入団。
そのルーキーイヤーで、打率.304・31本塁打・78打点の大暴れで新人王を獲得。
その後も、森祇晶監督の元、秋山幸二・デストラーデ・石毛宏典・伊東勤・辻発彦・平野謙らと強力打線を組み、特に秋山・清原・デストラーデのクリーンアップはAKD砲と呼ばれ、他球団の投手を震え上がらせた
また、渡辺久信・工藤公康・石井丈裕・鹿取義隆といった投手陣の援護もあり、1996年までの10年間の西武在籍の間にリーグ優勝を8回(内、日本一6回)を経験した。
正に、西武黄金時代は清原と共にあったと言えるし、清原が一番輝いていた時代だと私は思う。
その同じ時代に、近鉄ファンとして、野茂英雄や阿波野秀幸・髙村祐・赤堀元之vs清原との対決が見られたのは、私にとってはいい思い出となっている。
西武時代の清原和博 ホームラン集 再編集版
その後、読売→オリックスに在籍し、今シーズン限りで清原和博はユニフォームを脱いだ。
23年間のプロ生活で、2122安打・525本塁打・1530打点をマークしたが、清原は正に、記録よりも記憶に残る男だろうと思う。
23年間、本当にお疲れ様でした。
西武ライオンズ 清原和博の応援歌です。
♪光輝く 大空高く 燃える男だ チャンスに強いぞ清原♪