触れるというコミュニケーション | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

2年間西宮のサロンでアロマセラピーのトリートメントをさせて頂いた。そして、先日そのことをしみじみ振り返り、思った事がある。


「こういうことを両親にしてあげたかった」


私が小さい頃、母の肩を揉んだり叩いたり、背中を押したりということをよくしていた。あの頃からカラダの「ツボ」というものがどこにあるのか、どういう力加減だと相手が喜ぶのかよく分かっていた。でも、小さいころは嫌々やっていたところがあった。


両親が入院してからも、治療は病院任せで、私はほとんど何もしなかった。だけど、もしも両親が生きていた時に、今の私が出来ることをやってあげていたら・・と思うと、少し切ない気持ちになった。過ぎた時間は戻せない。


体に触れるということは、言葉を使わなくても相手と思いを通わせ合うことが出来ると思う。例えば、少し落ち込んでいる時に、あれこれ言葉をかけられなくても、そっと肩に背に温かい手を添えてもらえば、その人の体温やこころの温度は自然に伝わってくるもの。もう少し加えると、優しい眼差しもそこに含まれる。


言葉はとても重要で大きな力を持っている。でも、逆に言葉を使わないからこそ、大切な思いを伝えられることだってあるような気もする。


触れるのは、言葉だけではない。肌と肌、だけでもない。でも、触れることは、相手を知り理解することにもなり、それが自分のことを知るきっかけになることにもなる。そんなことを、これまでにサロンにお越し頂いたクライアントさんたちは私に贈ってくれたのだった。


ボディへのトリートメント(マッサージ)は、やはりそこに深い愛情が伴うのが一番だと思うので、自分の体を委ねるときは私も相手を選ぶ。でも、こういう施術って、本当は一番身近な人に施したいのではないだろうか?


家族の中にひとりでもこういうことが出来るひとがいたなら・・。そんなことを考える。自分のことを優先してもいいけど、やはり「誰かにやってあげたい」と思うのが人間の本能というもの。その「誰か」が身近な大切な人=家族であって、そういう家族がたくさん増えれば、面白い世の中になっていくのじゃないか?なんていう妄想を膨らませる今日この頃。


お金を払って施術を受けるのも良い。が、一家にひとりヒーラーを!


今回(3月28日)の講座では、ちょっとしたヒーリングのコツについても、少しだがお伝えする予定!