CHANEL | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇




両親が亡くなって遺品の整理をした時に思ったことは、「上質なものは残る」でした。特に父は既製品のワイシャツやスーツは体型に合わなかったので、そういったものは身体に合わせて仕立てて貰ったものを着ていました。私が子供のころ、家に「テーラーさん」が来て父の寸法を測ってたことを覚えています。


なので、父が残した洋服って、何年も何十年も前のものだったということです。(病気をして痩せてしまってからはスーツを着ることもありませんでしたが)


驚いたのはその素材と形で、長い時間が経っても品質は保たれ、そして型崩れも起こしていなかったのです。


既製品に比べると、きっと値段は高かったでしょう。しかし、それにはそれなりの訳があるし、長い目で見るとどうなのか?と思ってしまいました。それと、私の記憶の中にある「テーラーさん」は子供でも分かる「職人」で、メジャーを父の肩から腕に沿わせる手つきにはピンとした緊張感があったように思います。


さて、今日のブログに貼りつけた「CHANEL」。14分と長いですが、時間があればぜひじっくりと観て頂きたいのです。


私はパリに6年も住みながら、シャネルのブティックには日本からのお客様を連れて一度しか行ったことがありませんし、シャネルのスーツもバッグも持ってはいませんが、このショーの動画を観てジワリ、感動してしまいました。


デザイナー カール・ラガーフェルドの頭の中にある世界観が、シャネルというメゾンの何人ものスタッフとの調和で現実として生み出された形。そこに込められた、カール・ラガーフェルドとモデルも含め彼に携わる人たちの情熱。


人間が「上質を身につけたい」と思うとき、それは高価なものを纏い自分の価値を高めたいと思うだけではなく、「物」の奥に周りに流れる大きな世界を自分のものとして取り入れたいと思うのでしょう。


それは、自分で感じられる部分でもあるけれど、それ以外の無意識の部分で憧れ心惹かれるということが、本当はとても大きな割合を占めているのではないかと思います。


必ずしも、高価なものが良い訳ではないと思うし、安いものの中にも良いものもたくさんあります。だけど、値段という表面的なことに捉われていては、本質的なものは見えてこない。来るわけがないのです。






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