おめでとう! | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

「おめでとう!」さて、何に対してのおめでとうでしょうか?

おそらく今の季節であればまだ「明けまして」を想像する人が多いのかな?それとも成人式?誕生日?


保育士をしていた頃、年明けに2歳児の子どもへ「明けましておめでとう」と挨拶をしたら、「ありがとう!!」と言われてしまったことがあります。


その子は年明けに誕生日を迎えたばっかりだったので、「おめでとう」と言われることは、すべて「自分の誕生日に対して」の祝福の言葉だと思っていたのですね。なんとも微笑ましい間違いです~~~!!!





(これは数年前に自宅のベランダから見た月。ムーンボウといって月の周りにかかる虹です~。画像が小さくて見えにくいですが、月のまわりをよく見ると白い光が見えますよ!)


子どものころは、「おめでとう」は誕生日や新年の挨拶くらいにしか使いませんでしたが、成長するにつれ、入学や卒業での「おめでとう」もあれば、合格や就職の「おめでとう」もあり、婚約や結婚、出産の「おめでとう」などなど、限りない「おめでとう」があることを知ります。


これまでの人生を振り返ってみると、「おめでとう」なんだけど、どうしてもおめでとうと素直に言えなかったり、その一言に気持ちが乗らなかったことが幾度となくあったように思います。小さい自分を思い出すようで、少し心地の悪さがあります。


そしてまた逆もあって、「おめでとう」と言われたけれども、顔が引きつってしまって素直に「ありがとう」と言えなかったということもありました。


自分の心の中ではいくつかの葛藤があって、周りからすれば喜び事なのに、私自身にとってはあまり喜ばしくない、と感じていたのです。


また、「おめでとう」の中にある「小さい棘」が刺さったときも、違和感を感じながら「ありがとう」と言っていたこともありました。


たった5文字の言葉なのに、その中には沢山の思いや感情が詰っているんだなと思います。「おめでとう」と言う時、自分自身のこれまでを振り返るのですね。


そこには、今もそばにいる大切な人たちだけではなく、疎遠になってしまったけれど縁の深かった人たちもいれば、たった一度しか会ったことのない人だっているはず。そのすべてを知らず知らずに感じながら「おめでとう」と言っているのかも知れません。


さて、先週の土曜日、友達カップルの結婚パーティーに出席しました!会場は祝福に包まれていて、みんな何度も二人に向けての「おめでとう」を贈っていました。


そして、この時私も、彼らに出会った1年前からその日までだけではなく、ずっとずっと以前からの自分の人生を紐解きつつ「おめでとう」と言っていたなぁ~~。


それと同時に、「おめでとう」と心から言える自分であることにも「おめでとう」と祝福していたのかも知れない、なんて思うのです。



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 (今月号のおたよりはもうすぐ出来上がります!)