みなさんこんにちは!
すっかりご無沙汰しておりました。
ブログにご来訪頂いたみなさま、どうもありがとうございます。
私は時々思い出す人がいます。
それは、パリで出会ったあるムッシュ。
彼は、私が住んでいたアパルトマンの一角を寝床にしていたSDF。
SDF=sans domicile fixe とは 決まった家を持たない人、
つまりホームレスという意味です。
引っ越したばかりのある日、このムッシュがアパルトマンの入り口で寝ていて、
夜遅く帰った私は、本当にびっくりして怖い思いをしたのです。
だって、見知らぬ人が建物の共有スペースに寝ていたらびっくりするでしょう!
そして、私はこのムッシュに怒り心頭し、
「なんでこんなところに寝ているんだ!」
「警察に言うぞ!」
「出て行け~」
とまくし立てていたのでした。
だけど、ここの住人がみんな同じように思っていたのか?というとそうではなく、
ほとんどの住人は、このムッシュに「好意的」に接していました。
例えば、ラジオやワインオープナーを貸してあげる人、
気持ちよく挨拶を交わす人など。
でも、私はこういう人たちの気持ちをどうしても理解できなかったのです。
しかし、ホームレスに対する人々の感じ方は、
このアパルトマンの住人以外も、私とは違っているようでした。
パリの街を歩いていると、ホームレスとそうでない人たちが、
ベンチに座りたわいもない話をしている光景をよく見かけます。
家族のようにかわいがってくれた私の大家さんも、
ホームレスに「お金を恵んで」などと声をかけられると、
無視したり、手で払いのけたりするのではなく、粋なセリフで言葉を返していました。
フランス人のホームレスに対する関わり方を見ていて、
私は自分の態度について違和感を感じ始めました。
そして、自分の中にも「差別する気持ち」があることに気づきました。
「善悪の観点を外して世の中を観てみたらどうだろう?」
「すべての人に役割があるのなら、彼らの役割は何?」
こんなことをベースに考えてみたとき、
「ただそこにいるだけで価値がある、ということを教えてくれている」
のではないかな?と思ったのでした。
そして、ある日のこと。
引っ越し前に、飲み切れなかったワインが家にあり、
捨ててしまおうかな?と思ったのですが、値段の割にはおいしくって!
どうしても捨てることが出来なかったのです。
で、失礼かな?と思いつつ、例のムッシュのところへ行って、
「少し飲んでしまったのですが、よかったら飲んでください。」
と、飲みかけの赤ワインを差し出しました。
その翌日、アパルトマンの外でムッシュに呼び止められました。
そしてムッシュは言いました。
「マドモアゼル、あのワインは私が今までに飲んだものの中で一番おいしかった!
私はあんなにおいしいワインを飲んだことがない!本当にありがとう!
とてもうれしかったから、私はあなたに何かお礼がしたい!
だから、カフェへ行って私にコーヒーを1杯ごちそうさせてくれませんか?」
この時のムッシュの瞳を今でも思い出します。
本当にきれいな目をしていて、心からの気持ちを伝えている。
そんなことが、誰にでも分かるようなオーラがありました。
残念ながら、引っ越し前で時間がなくて一緒にカフェへ行くことはできなかったけど、
この時のムッシュの気持ちは、何年たっても忘れることはありません。
「すべての命に価値がある」
今、本当にそうだなと思います。
この時であったホームレスのムッシュもまた、そのメッセージを伝えてくれた一人。
誰かは誰かの役に立ち、そしてまた、誰かは誰かの役に立っている。
気づかなくても、自分ではその価値に気づいていなくても、
何かを生み出していても、そうでなくても、
「いるだけで 価値がある」